ロング・バケーション (9)

 1  2  3  4  5  6  7  8  10  11  12  13  14  15  16  Gallery  Novels Menu  地下室TOP  Back  Next

 香ばしい匂いに鼻をくすぐられ、目を覚ました。
 女がベッドに腰掛け、枕にうつぶせになった彼を見下ろしている。くすくす笑っていた。
「何がおかしい」
 低く言ったつもりだったが、寝起きで声が高く掠れる。自分の締まらない様に眉を顰め、彼は枕に顔を押し付けた。
「こども」
 毎度食い物の匂いで目を覚ます彼を子供のようだとでも言いたいのだろう。彼は鼻を鳴らして顔を上げ、女の方に向けた。
 ここのところ、聴力が回復している。見張りに付けている兵士が薬を見繕ってきたらしい。彼らにとって入手困難なものではなかったが、女のいた星には無いものだったのだろう。彼女は彼の言葉の多くを聞き取れるようになり、最近では少しはまともに会話出来るようになっている。
 黒々と長い髪が彼の手を舐める。絡め取ると、それはしなやかに撓み、ひんやりと彼に添った。
 彼女の髪に触れるといつも、何故か幼い頃住まった王宮の廊下を思い出す。同時に鼻の奥に甦ってくる、貴人の使う香の匂い。
 いつも同じ場面だった。大広間のそば、行き交う重臣たち。ひそひそと低く囁き交わす声。先払いの二人の女官が廊下を曲って現れる―
 そこで途切れる。
 廊下の向こうから姿を現そうとしている貴人は誰なのか。彼は目を閉じ、その続きを見ようとする。どうということのない記憶の断片。だが思い出せないとなると気になった。王、あるいは后。または妃達の誰かなのか―父が側室達を後宮から出入りさせていたのかどうかは彼の及び知らないところであったが。それらの人々でないとすれば、位の高い官人か―
 柔らかな感触に、彼は呼び戻された。瞼を開くと、女の髪を絡みつかせた彼の右手を、薄褐色の両手がふわりと包んでいるのが目に入る。
「食事?」
 どうしたのだ、起きて食事を取らないのか、と言っている。見上げると、微笑んでいた。朝の輝きに、その瞳が金色に透ける。
 やはり、知らんのか。
 彼が、彼女から母星を奪った先兵だということを。ほとんど忘れていたが、光に滲んで溶けるような微笑を目にし、彼はそれを思い出した。
 知らせてやったら、どんな顔をするだろう。
 残酷な想像をして、彼はにやりと笑う。だがそう告げることはせず、身体を起こした。そんな悠長なことをしている余裕はない。休暇中だったが、帰還命令を受けている。ままあることだった。午後には基地に戻らねばならないのだ。
「服をよこせ」
 彼はここに滞在する間は、女の用意したゆったりとした衣類を身につけるようになっていた。最初は毒を用心して―布に強力なそれを滲み込ませ、身につけたものを死に至らしめたという話がかつてサイヤの王宮にあった―触れることもしなかったのだが。
 緩んでいるのか、俺も。
 一糸纏わぬ姿でベッドから降り、女が着せ掛ける衣に袖を通しながら、彼は少し顔を顰めた。


 夜になって、ラディッツが訪ねてきた。窓からである。
「今朝、ナッパがザーボンに呼び出されたんだ」
 窓の、少し開いた隙間に顔を近づけ―人が出入りできる大きさには開閉しないようになっていた―声をひそめて彼にそう告げた。
「なに、奴は喋りゃしない。だがな、今度はきっとあんたがフリーザに呼ばれるぜ」
「―女のことか」
「だろうな。少なくともナッパはそのことについて問い質されたと言ってた」
「で、そのナッパはどうした」
「部屋に軟禁されてる。あんたと示し合わせが出来ないようにだろう。俺も一緒に放り込まれてたんだが、何とか窓を外して抜け出してきたんだ。そろそろ戻らんと・・」
「分かった」
「俺達は何にも漏らしちゃいない。カマ掛けられてもシラを切ってくれ」
「分かった、早く行け」
 ラディッツを見送り、窓の開閉ボタンを押そうとしたが、忍び込んでくる夜気の心地よさに気付き、そのままベッドに腰を下ろす。
 奴等でないなら、あいつしかいない。
 見張りの兵士が口を割ったのだ。昼間件の衛星で会った時には特に変わった様子は見受けられなかったが、そのように振舞うことを強要されたのだろう。
 遠征先で、死んだと思われたのだろう、打ち捨てられていたその兵士を、彼は最初から見張りに使う目的で拾い、メディカルマシンに放り込んでやった。上には死亡の届けを出しておいたので、彼は軍内部では存在しない人間になった。それが、食料や薬品などの調達で他の星をうろついていて、おそらく斥候や調査官に姿を見られでもしたのだろう。あんな下々の兵士の顔など覚えている人間はいまいと思っていたのだが―。
 油断したな。
 件の兵士は彼に深く恩義を感じていたようで、脅さなくとも働いた。機嫌を取ろうとしてへつらったり、余計なことをべらべら喋ったりしないところも、彼の気に入った。口は堅そうだった。だがフリーザに睨まれてはひとたまりもあるまい。所詮は下級兵士なのだ。
 奴は、どう出る。
 賭けと言うにはあまりにもアンバランスだった。最初から分かっていたことだ。



 1  2  3  4  5  6  7  8  10  11  12  13  14  15  16  Gallery  Novels Menu  地下室TOP  Back  Next