ロング・バケーション (1)

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「それで?」
「何?」
「貴様と俺は、ここで何をしているんだ」
「ジャグジーパーティーよ」
「パーティー?」
「そう」
 腰のくびれから下を泡立つ湯の中に浸し、女はにこりと微笑む。


 最上階フロアへ行ってみて。デザート用意してるから。
 夕食を取り自室に引き揚げる途中、廊下で声を掛けられた。満腹のもたらす充足感が彼のガードを緩めたのだろうか、いつもなら無視する女の言葉にこの日は乗ってみようという気になり、この場所に出てきた。
『シャワーブースがあるからそれ使って。あと、必ずこれ着て出るのよ』
 ものを喰うのに何をそんなに質面倒臭いことをと思った。だがこの女の言うことは時に的確で合理的だ。何の理由があるのかは分からなかったが、彼は取り敢えず言われるままに身体を流し、手渡されたローブと、丈の短い伸縮性のある黒いボトムを身に着け、用意されていたサンダルを引っ掛けて屋上へと続くドアを開いた。
『――』
 この家には色々な仕掛けが施されているが、これもその一つなのだろう、半球形の天井がアーモンド型に開いている。中央に、彼の背丈ほどの高さがあるピラミッド状の木製デッキが据え付けられており、周囲を植物群が取り巻いていた。その小さな森の中に、粒状の白い石の中に敷き込まれたベージュのタイルが道を成して伸びている。奥へと進むと、そこここに明かりの灯り始めた都の夕景が一望でき、その果てに今しがた陽を飲み込んだ余韻を残す水平線が延びている。
 彼は辺りを観察しながらデッキに引き返し、階段を中ほどまで上って、ぎょっとした。
 デッキの中央に石製と思しき濃い青のバスタブが埋め込まれており、そこに湯が張られている。中央から勢い良く泡が噴き出しているが、デッキの外側から覆い被さるように垂れた大きな葉の陰、湯に浸かって女が寛いでいるところを見ると、どうやら熱湯ではないらしい。
『何を、している?』
 予想もしなかった状況に驚く余り、デッキの上に山盛りになったフルーツやシャンパンに気付くこともないまま、彼はやっとのことで声を出した。
『やあねえ、気がついてなかったの?あんた気配で分かるのかと思ってたけど』
『―貴様の気は貧弱すぎる。注意を向けていないと気付かん』
『ふうん・・あ、ローブは脱いでよ』
『なんだと』
『早く入れば?そんなとこ突っ立ってたら寒いでしょ』
『入る?』
『そうよ』
『俺がか』
『そうよ』
『その中にか』
『恥ずかしがらなくても大丈夫よ、あたしだってほら、水着なんだし』
 そう言って湯の中で立ち上がってみせた女は、身体の二箇所を水色の布で申し訳程度に覆っただけという姿である。
『・・・貴様何とも思わんか、その格好』
『何ともって?』
『・・まあ、どうでもいい』
 彼はそう言って踵を返し、デッキを降りた。
『どこ行くの』
 彼は女の声を無視し、すたすたと来た道を引き返してゆく。だが途中、ここに入る時に通ったドアがシャワーブース諸共消えていることに気付き、歩みを止めた。
『隠したのよ』
 振り向くと、デッキの頂上から女の得意そうな顔がのぞいている。
『どうやった』
『簡単よ。ブースごと床に収納しただけ』
 リモコンはここよ。そう言って女は湯の中から掌ほどの小さな円盤を取り出し、ひらひらと振って見せる。床とデッキに施された淡い照明に照らされ、藍からオレンジのグラデーションを描く空を背景に、女の手元から飛び散る水滴がきらきらと光った。
『欲しいんならここへいらっしゃい』
『出せ』
『やあよ』
『なら、ぶち壊す』
『1ヶ月食事抜きだからね』
『―殺すぞ』
『殺せば?』
 しばらく女と睨み合ったが、馬鹿馬鹿しくなり、彼はふわりと浮き上がった。
『上品な王子様が海パン一丁でどこ行くの?ローブがあってもさすがにみっともないわよ、それは』
『自室へ飛ぶだけだからな。誰にも会わん』
『ベジータ』
 女が彼の名を呼ぶ。甘さの滲んだその響きに、思わず顧みた。目線の先に、バスタブの縁に両腕を預け、その上に顎を乗せた女がゆったりと笑っている。
『いいじゃない、たまには付き合ってよ』
『断る』
『気持ちいいわよ、ここ。それにさ』
 女は決して狭くはないデッキの半分を埋めようかというフルーツ群を振り返り、視線を戻して困ったように眉をひそめる。
『あんたの為に用意したのよ。どうすんの、これ』

 



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