ロング・バケーション (15)

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「ベジータ、貴様何のつもりだ」
 謁見室に現れた彼が手にしているものを目にし、ザーボンがその端正な顔を歪め、声を荒げた。
「フリーザ様の御前だぞ、そんな見苦しいものを・・」
「いいんですよ、ザーボンさん」
 冷ややかでねっとりとした声がその言葉を遮る。
「ベジータさん、それをこちらへ」
 薄い唇の両端を弓形に持ち上げ、フリーザが彼に言葉を掛ける。彼は一礼し、右脇に女の生首を抱えて進み、2人の側近に挟まれるようにして正面に腰を下ろすフリーザの目の前に、突き出すようにしてそれを翳した。なんという野蛮な。ザーボンが呻くように漏らした声が耳に届く。
「御下命の生物の、首です。御査収下さい」
「生け捕るのではなかったのですか」
「試みましたが、自死致し―」
「首から下は?持ち帰らなかったのですか?」
「見苦しい様になり、お目に掛けられる状態ではございませんでした」
「そうですか、残念ですね」
「申し訳ございません」
「腹の中をこそ、覗いてみたかったのですが」
 思わぬ宝物が見つかったかもしれませんよ。フリーザは、黒髪の先に下がった首に手を伸ばし、その冷たい頬を掴んで左右に動かしながら言った。なるほど、これがねえ。瞼を開いたまま固まったその瞳が色を変える様を眺め、感心したように声を漏らす。
「分かりました。下がって結構ですよ」
 女の顔を離し、懐から取り出した白い布でその手を拭いながら、フリーザは彼の方を見ようともせずに言った。
「これは、どう致します」
「もう何の役にも立たないでしょう。あなたの好きなようになさい」
「―は」
 首を脇に抱え直して一礼し、正面を向いたまま三歩下がる。再び一礼し、背を向けようとしたとき、フリーザが口を開いた。
「喰らいますか」
「――」
「お好きでしょう、屍肉が」
 フリーザの両隣で二人の側近がくく、と蔑んだ笑いを漏らした。咄嗟に彼はそれを片手で顔の前まで持ち上げ、焼け焦げた切断面に牙を立てる。
「――!」
 彼を嘲笑していた二人は目を見開き、冷水を浴びたように動きを止め、黙った。未だ弾力を残す血の管をひきちぎって首の肉を咀嚼する彼の様を茫然と眺める。ザーボンが我に返り、目を逸らして口元に手をやった。
「いかがです?」
 彼が嚥下するのを待って、フリーザが声を掛ける。
「美味いものではありませんな。死後時間が経ち過ぎている」
 彼は親指で口元をゆっくりと拭いながら返した。ほほ、そういうものですか。フリーザが紫色の唇を歪め、笑った。
「それにしても、哀れなものですね。生前は随分と可愛がられていたのでしょうに」
 誰に、とは言わない。その声には、何らの感慨も込められてはいなかった。
 彼は無言のまま軽く頭を下げ、フリーザに背を向けた。細くなる扉の隙間にもう一度深々と一礼し、場を辞する。控えの間を抜け、通路に出ると、行き交う兵士達が彼の異様な様を目にしてぎょっと足を止めた。
「何を見てる」
 ぎろ、と彼らを一瞥する。皆一斉に通路の両脇に直立し、道をあけた。


『寒い』
 彼の膝に崩れ、やがて女は小刻みに身体を震わせ始めた。乳色の石で組まれた床に赤黒い海が出来ている。それは女の身体から溢れ出るものでみるみるうちに大きさを増してゆく。部屋中に、彼の良く知る死の匂いが充ち始める。
『塔の中は、冷たくて、一人きりで―』
 彼の顔を懸命に見上げているが、焦点が合っていない。もう見えてはいないのだろう。朝陽が差した。木々を通り過ぎたその光に、彼女の瞳が若葉の色に透ける。
『小さな頃は、よく、泣いて』
 かっ、と血を吐いた。彼の脚に、それが黒々と大きな染みを作る。絞り出される言葉は確実に死を加速させていたが、女は喋るのを止めなかった。褐色の肌が青ざめ、唇は紫に変色している。べったりと血に濡れた手が、肘掛の上の彼の指先に辿り着いた。
『でも、いつか、寂しいと感じなく、なって』
 心が死んだのだと、思って。
 また、涙を落とす。若葉から零れる朝露にも似たそれが、彼女自身の血で汚れた肌を一筋洗った。
『でもあなたは』
 最後の力で、彼の膝に頬をすり寄せる。
『あなたの体は、とても、温かくて』
 わたし、生きているのだと――
 最後は、掠れて聞き取れなかった。膝の上の頭が重さを増す。それきり、動かなくなった。彼の指先にしがみついていた手が床に落ち、そこに広がる海をぴしゃん、とはねた。
『それはお前の血だ』
 お前の血の温度だ。力もなく、何も知らず、愚かでちっぽけなまま死んだ女の上で、彼は呟いた。黒髪を掻き上げ、褐色の頬を露わにする。死顔は、微かに笑っていた。

 
 基地を囲む森を眼下に断崖の上に立つ彼を、その日二度目の朝陽が照らす。腕の中の首を一瞥した。身体を持ち帰らなかったのは最初から予定していた事だ。彼は自分以外の誰にも、自身に関わるものについて引っ掻き回すことを許すつもりはなかった。長い髪を掴み、静かに地に下ろす。白い手袋の指先から細い光が黒髪を伝い、それが炎を上げた。ふと、在りし日の穏やかな笑い声が耳の奥に甦る。
 女は彼が到着すると、嬉しそうに出迎えた。今度は何日、いてくださるのですか。彼女が自分より少し小柄な彼を覗き込んで発する第一声は、いつもそれだった。
 神に奉納する舞踏だ、と彼の前で踊ってみせたことがある。随分と好色な神もあったものだな。身体をくねらせる淫靡な様に眉根を寄せる彼に、女は笑みを浮かべて言ったものだ。捧げる神が好むものでなければ意味がありませんもの、と。
 目覚めたとき、複雑な表情を浮かべて彼を見下ろしていることがあった。女はいつもすぐに破顔してみせたが、その表情のどこかぼんやりと虚ろだった様が奇妙にはっきり目に浮かぶ。
「馬鹿だったな、お前は」
 自分自身に負けた女。愚かだと思った。だが、認め難いものを見せ付けた彼女を、それでも不快な存在として記憶することはないのだろうと感じた。
 そこで見届けろ。
 お前の神が、勝ちを収める日をな。彼は女に背を向ける。
 待っています。
 カーロス。背後でそう響いた気がしたが、振り返らなかった。長く伸びた自身の影の先に目を遣り、彼は再び歩き始める。
 長期休暇が、終わった。



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