ロング・バケーション (16)

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 ブルマは何杯目かのシャンパンを飲み干し、デッキの上にグラスを置いた。日の入り直後の薄明るさは去り、空は吸い込まれそうな漆黒に染まっている。
 ごろん、と何かがバスタブの縁を転がった。おや、と見遣ると、男の背後に転がる空き瓶がいつの間にやら三本に増えている。
「ちょっと、あんたそれ三本目?いくらなんでも飲み過ぎよ」
 強くもないくせに、あたしの分まで飲んじゃって。ブルマが呆れてこぼした言葉に、男は目の縁を染めたまましゃっくりで答える。
「もう・・ほら、これ飲みなさい」
 デッキに身を乗り出して水のボトルを引き寄せ、彼の方へと押しやった。それが水だと分かっているかは疑問だが、男は素直に腕を伸ばす。ぬるい。キャップをひねり、一口含んで低く漏らした文句が彼女の耳に届いた。
「色んな意味で愚問だと思うけど」
「何だ」
「なんで死んじゃったか解ってる?」
「―さあな。どのみちあれは殺さねばならなかったんだ」
 思うところがあったんだろうさ。自死する必要性は理解出来んがな。彼はボトルをデッキに置きながら息を吐き出す。
「存在しなくなったものに束縛されてどうなる」
 故郷への忠誠と、それを奪った男への情の板挟みの中で命を絶ったのだ、という所まではどうやら理解しているらしい。それにしてもだ。
「・・・あんたがそれ言う?王子様」
「何?」
「いーえ、何でもないわ」
 こっちのこと。彼女は肩を竦め、デッキに片腕を乗せて頬杖を付いた。
「で、その星はどうなったの」
 空のクリスタルグラスを銀色の爪先で弾く。きいん、と冴えた音が響いた。
「爆破して片付けた」
 再び手に取ったボトルを見るとはなしに眺めながら、男が返す。
「だろうと思った。あんたに掛かりゃ環境破壊なんて可愛いもんよね」
 ブルマはデッキに体を引き上げ、自分の為に水のボトルを一本引き寄せながら言った。
「"痕跡"を残すわけにはいかんのでな」
 男はふんと鼻を鳴らしてボトルに口をつけ、中身を煽った。唇の端から零れた水が、頬を伝い、首筋を流れ、厚い胸板の下で湯と混ざり合う。水面浅く足をばたつかせ、小さく水を跳ね返しながらその様子をじっと見ていた彼女が、いつになく真面目な調子で言った。
「あんたさ、結構いい旦那になるのかもね」
 唐突に発せられた彼女の言葉に、男は口に含んだものを噴き出した。気管に入り掛けたのだろう、激しく咳き込む。
「もうー・・・キタナイわねえ」
 尖らせた口元から漏れた文句に、男は咳き込みながらも彼女を睨む。だが涙目では迫力に欠けると感じたのか、すぐに視線を明後日の方向に向けた。
「そんな変なこと言ってないでしょ。幸せだったんだと思うわよ、そのひと」
 そりゃ苦しかっただろうとは思うけど。彼女はボトルのキャップをひねり、自分のグラスに水を注ぐ。
「素質があるのよ、あんた。どういうつもりだったにせよ、ね」
 グラスを持ち上げ、遠く広がる夜景に翳した。床に設置されたアップライトの淡い光を孕み、都の灯りを閉じ込めて、グラスの中の水が黒い天鵞絨(びろうど)に抱かれた上質な宝石のように輝く。
「・・・勝手な事抜かしやがって」
 どうにか咳を沈め、男が低く呟いた。
「第一、俺には必要無いものだ」
「あー、言うと思った」
 薄く笑いながら、女は自分のグラスをデッキに置き、体を傾けて彼のグラスに手を伸ばした。
「あたしフリーザっての見たことないのよね。惜しい事したわ」
「・・・貴様の話には脈絡が無いな」
「あんたの話聞いてたらさ、見たくなっちゃった」
 ほとんどデッキに付きそうになっている乳房の深い谷間の向こう、不安定な姿勢で露わになった白い内腿が目に入り、彼は視線を逸らす。女はグラスを手に取り、それを自分のグラスの隣に置いて水を注いだ。
「乾杯しましょう」
 女がぐい、と彼のグラスを差し出した。
「ああ?」
「ほら、取ってよ」
「何に乾杯するんだ」
「早くってば」
 彼は首を傾げながらグラスを受け取る。
「素敵な夜に!」
 彼女が杯を掲げて声を上げる。
「・・・・・」
「ほら、あんたも何か言うのよ」
「なんだと」
「ほら、何でもいいわよ」
「・・・・・」
「ほら!」
「・・・下品な女に」
「何よそれ」
「何でもいいんだろうが」
「・・いいわよ、それじゃ」
 女がデッキの上を彼の方へにじり寄り、腕を伸ばして自分のグラスを彼のそれに軽くぶつける。
「悪い男に!」
 しっとりと深い夜空に、澄んだ軽快な音が吸い込まれた。


2005.11.13 連載開始
2005.12.  3 連載終了



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