ロング・バケーション (3)

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「・・・いいわ、じゃあ女の人の話をして」
「なに?」
「恋愛の話。聞かせてよ」
「・・俺の推測が正しければ、貴様とあの男のような、ちんたらグズグズした関係のことを言ってるんだと思うが、そうなのか?」
 彼は天を仰いだまま、小馬鹿にしたように呟く。
「・・・まあ、そうね」
「経験が無い」
「そんな訳無いでしょう、あんたそのトシで清く正しい男の子だって言うの」
「―なるほど、貴様が聞きたいのはそういう話か」
「そうじゃないけど、それも込みじゃない、普通」
「込みじゃない。それ『だけ』だ」
「それでいいわ。聞かせて」
 彼の方に向き直った女の手足が、湯の中心に向かってほどけるように伸びた。勢い良く流れる泡が掻き乱す水の中、薄く上気した身体が青いバスタブの中に白く揺れている。預けた二の腕の内側が縁の曲面に沿い、彼女の肉の柔らかさを際立たせた。
「何故そんな事が知りたい」
「さあねえ」
 知ってる?あんたって色んな人の興味をそそるのよ。そう言って、女は大きな瞳をくるくると面白そうに輝かせた。陽の名残を受け、それは半分緑掛かって彼の目に映る。
「―――」
「どうしたの、なんかビックリしてる?」
「―いや」
 知った女を思い出しただけだ。彼が目を逸らして小さく零したその言葉に、しかし女は喰い付いて来た。さっき僅かに見せた恥じらいなど無かったかのように、何なに、と湯の中を滑って彼に接近する。
「なに、誰のこと?」
「おい、寄るな」
「聞かせてよ、ねえ」
「離れろと言ってるんだ」
 彼は、もう十分に踏み荒らされていたパーソナルスペースの最後の砦を蹂躙されたせいだろう、ひどく落ち着かない気分になり、女から離れようと大きな円い浴槽の壁面に沿って身体を滑らせたが、彼女もまた壁面を滑りながら彼に迫って来る。
「ね、お願い」
「寄るな!とにかく止まれ!」
 彼はすぐ傍まで近付いた女に向かって思わず大きな声を出した。このままでは一晩中バスタブの中で輪を描き続けることになりかねない。
「なに怒ってんのよ・・はいはい、これでいいんでしょ」
 女はやっと動きを止め、呆れたように眉を上げた。彼は、下らない事で自分が少しでも冷静さを失ったことに眉を顰め、舌打ちする。目の端にシャンパンの瓶が映った。手に取り、その口を栓ごと折るようにして親指で割る。
「ちょ、ちょっと」
 素早い行動に女があっけに取られている間に、彼は中身を大半飲み干した。
「大丈夫なの?そんないっぺんに飲んだりして・・」
 喉を仰け反らせ、したたり落ちる最後の一滴を舌で受け止める。喉仏が上下した。泡立つ湯の音を縫って、上質な酒が彼の食道を通り過ぎる音が―勢い良く泡立つ水に遮られて聞こえるはずのないそれが―彼女の耳に届く。
「よこせ」
 瓶をデッキに転がすと、彼は彼女が手にしていたグラスに目を遣り、命令する。
「よこせって、あんたのはそこに・・」
「いいからよこせ」
 手を伸ばし、ひったくるようにしてそれを奪う。拍子、中身の半分が湯の中にこぼれた。酒に含まれていた空気が押し上げたのだろう、男の口から大きなおくびが漏れる。
「酔っちゃったのね、あんた」
 マナー違反はさておき、常の彼に不似合いなその音に彼女は眉をひそめた。ホントに極端なんだから。溜息を交ぜて言い、あ、と声を上げる。
「口、切ってるわ」
 折られた瓶の縁で切ったのだろう、形の良い唇から顎を伝って湯の中に血が滴った。彼女はその場所に指を伸ばす。彼は近付いてきた細い指先から視線を滑らせ、彼女のそれと絡ませる。縁をほんのりと染めた切れの長い目元から流れたそれに、彼女はどきりと動きを止める。
「なんだ、何をじろじろ見てる」
「・・別に」
 彼はふんと鼻を鳴らし、彼女から視線を外してグラスの中身をぐいと飲み干す。彼女は我知らず、自分の口元に指を添える。薄く冷たいグラスの上で重なった、互いの唇―
 やだ。
 人の事言えないわね。酔いを自覚し、バスタブから身体を上げ、縁に腰掛ける。冷たい風が体をすり抜け、彼女は取り戻した自分にほっと息をついた。沈黙が、少し気まずい。
「侵攻先の惑星で拾ったんだ」
 突然響いたその声に、彼女はぼんやり眺めていた夕景から目を戻す。
「え?」
 泡の沸き起こる湯の中心に目を据えたまま、男は口を開いた。
「その星は赤く、乾いていた」



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