リベルタンゴ (15)

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「・・あたし、もういらないわ。お腹一杯になっちゃった」
「そうだな、それ以上喰わん方がいいだろ」
「独り占めしようと思って言ったんじゃないでしょうね」
「?何の話だ」
「・・いえ、いいわ」
 夢は持ってたほうが楽しいものね。呟き、膝の上のナプキンを取って口元を拭う彼女を、男がもぐもぐ口を動かしながら不可解そうに眺めている。ルージュを引き直し、ふっくらと微笑みかけると、彼がちょっと顔を赤らめて視線を逸らした。微かな狼狽を悟られまいとしたか、眉を顰めたちょうどそのとき、アナウンスが入る。
『西の都行き、73便を御利用のお客様にお知らせ致します。まもなく搭乗手続きを終了させて頂きますので・・』
「そろそろ行きましょ、テレ屋さん」
「阿呆、誰がだ」
 こういうとき、あの青年なら―いや他のどんな男でも―椅子を引いてエスコートしてくれるのだろうなと思いながら彼女は立ち上がり、青絨毯の上を(常よりは心持ち)注意深く歩いた。扉近くへ至った辺りでようやく男が席を立つ気配があり、彼らは前後して貴賓室を出る。
 人の姿もまばらな廊下に、午後のまったりとした光が天窓から降って来る。ロビーの喧騒も、ここまでは届かなかった。
「それで」
 いつの間にか肩を並べたベジータの声が、静かな廊下で僅かに反響する。
「お前はどっちがいいんだ」
「え?」
「男か、女か」
「・・あたしは別に・・・」
 とはいうものの、実際女の子なのではないかという気はしているのだった。あのミカエルのような青年から御託宣が下されたから、という訳でもあるまいが―
「何だ?結局どっちでも良いわけか」
「うん・・でも女の子よ、多分」
「判るのか」
「ううん、なんとなくそう思うだけ。帰ったら精密検査だけど、その時はっきりするわ。伏せといてもらうけど」
「伏せる?何故だ」
「楽しみの先延ばし」
「ふん、なるほど」
「あんたはどう思う?」
「わからん」
「気で分からない?」
「先延ばしするんだろ」
「そうなんだけど・・」
「どっちにしても、まだ小さすぎて判別できん」
「そっか、今回はあんたも気付かなかったもんね」
 青絨毯の果てでフロアを区切る扉が開くと、途端に騒がしくなった。
「妙な一週間だったわ」
 現実に戻る人の群れでごった返すロビーを見下ろし、彼女は今度の滞在を思い返した。旅は、日常に曇るこもごもを浮き上がらせるものなのだろう。それがそこからかけ離れていればいるだけ、くっきりと。
「けど、なかなか楽しかったわね」
「食い物は美味かった」
「確かに。名残惜しいわ」
「いつでも来られるだろ」
「あら、また御一緒してくださるの?」
「時々ならな」
「じゃあ、お誘いしますわね」
「馬鹿、しっかり歩け」
 おどけて絨毯の毛足に躓いた彼女の腕を取り、彼が忌々しそうに吐き捨てる。
「じゃエスコートして」
「・・お前、わざとやったんだな」
「ほら、恥ずかしがってちゃ誰かに持ってかれるわよ」
「ほざけ」
「あっ!ねえ、あの男の子綺麗よ!」
「・・忙しい女だ」
 彼はやれやれと首を振ったが、すばやく左腕にとりついた彼女を押し戻す事はしなかった。魔法の名残が残っているのかもしれないし、彼女の身体を気遣っているのかもしれない。
「あんたって素敵だわ、キング」
「黙って歩け」
 このときブルマがふざけて発したこの呼び名こそが、後にC.Cで子々孫々まで語り継がれる伝説の男の称号となるのであるが、彼らはそれを知る由もなかった。


2007.5.27(連載終了)
2007.7. 2(編集後分をMENUに掲載)



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