十日間戦争 ― things I'll never say (5)

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 彼らにとって、相手の神経を逆撫でしたり動揺させたりする事は、互いを探る一種の遊びだと彼女は思っている。ただ彼がそれを仕掛けて来る事は滅多に無かったためか、腕組みしたまま窓枠に凭れ掛かる彼の様子をひどく新鮮なもののように感じた。
「そうね」
 細心の注意を払い、自分を美味そうに見せる仕草でベッドに身を起こしながら、静かに言葉を投げ返す。
 背を弓姿に反らせつつ、肘を伸ばす。伸ばし切らない状態で、僅かにずらせた両の膝頭を引き寄せる。完全に起き上がりながら、上体を相手の方に捻る。頭は、こころもち上体に引っ張らせるようにし、一呼吸置いて首を垂直に伸ばす。こうするとうなじが伸び、華奢で優美な姿態が作られる。動作はすべて、ゆっくりと行う。
「随分御無沙汰な気がするけど」
 両膝を揃えて脚を下ろし、三拍置いてからサイドテーブルの煙草のケースに右手を伸ばす。左腕は腿の上に軽く置いておく。
「どの位だったかしらね」
 一本取り出し、俯いたまま咥え、火を点ける。ライターを、右手指の中を滑らせながらシーツの上に落とし、深く吸い込む。左手指に煙草を挟んで煙を吐き出す。呼気は長めに。ここで初めて、煙幕のむこうの相手に視線を遣る。
「半月くらいかしら」
 脚を組み、緩やかな傾斜をつけて伸ばす。左腕を曲げて腿に置き、右肘を組んだ膝の上に置いて頬杖をつく。
「寂しかった?」


「寝惚けるな」
 しかしそれは、ふざけた台詞に対して吐き出されたものではなかった。
 半月だと。
 風が無い。煙は彼らの間にのそりと漂い、女の顔を隠している。いらいらした。息を吹きかけて帳を破ってしまいたい衝動に駆られたが、窓の外に視線を移してやり過ごす。
「せいせいしてたさ。夜は静かに過ごすに限る」
 遠く広がる夜景の中ほどに、昨夜までは無かった光がある。上空から何度か目にしたので、そこが高層ビルの建築現場であるということは知っていた。風変わりな緑色のネオンは、その建物が少なくとも今夜は既に稼動中である事を示している。
 喉を鳴らす音が響き、彼は室内に目を戻した。煙が拡散して薄く濁った景色の中、女が額に手の平をあてがって笑っている。
「静かに、何をして過ごすわけ?」
 女が顔を上げて言い、背筋を伸ばした。煙草を挟んだ右の手指を口元に持ってゆく。彼女の身体を包む上質な布地が擦れ、微かな音を立てた。
「ディスクで映画鑑賞とか?」
 女の中を潜った煙が、彼の鼻腔に到達する。空気はゆっくりとではあったが動き、幕が薄くなってきていた。だが位置を変えた彼女の顔は、顎から上が月影の縁に切り取られ、光によって色を深めた闇の中に隠れている。濃色の上着の胸元が、逆三角に白く浮かんでいる。一旦強くなり、それから弱まった小さな赤い光が、彼に女の唇のありかを教える。
「それとも読書?」
 笑いを含んだまま女が続けた。
「わかったわ、瞑想してるんでしょ」
 こんなふうに、と女は煙草を咥えたまま器用に喋り、両手を法界定印に組んでみせる。白い手指の作り出す楕円形の空間、女の下腹部で、光沢のある四角いボタンが青く光を撥ね返した。
「貴様には関係ない」
 かろうじて溜息をつき、声が掠れないよう胃から腹に力を入れて低く切り返した。重ねた膝の奥、いびつな形の小さな闇が、彼を束縛している。


 強い逆光が、男の表情を黒く塗り潰していた。
 硬く冷たい声色に少し不安になったが、彼女はゆったりと煙草を口に運び、深く吸い込んだ。小さな火が香葉を焼く微かな音がする。
 彼は非常に表情の読み易い男だった。戦闘の際は違っているのかもしれないが、彼のそういった世界には踏み込むことが出来なかったから、彼女には知る術が無かった。少なくとも自分との関わりに於いては、彼は『解りやすい』男だ。彼女はずっとそう思って来たが、鋭いシルエットはそれがただの思い込みだったのかもしれないと感じさせた。
「それで?何の用だ」
 息苦しさを伴う沈黙は、冷ややかな声で破られた。
「抱いて欲しいのか」
 黒い姿が動いた。緩慢な動作で窓枠から離れ、近付いて来る。彼らの間にある空気が塊となって自分を押して来るように感じたが、彼女は背筋を伸ばしたまま煙を吐き出し、シーツの上の灰皿に目を落とした。
「違うわね」
 この部屋は、彼女の為の小さな皿たちの居場所の一つである。白地にオレンジの縁取りが施された正方形の皿の中央、彼女の腿のすぐ脇で、掌ほどのゼブラが彼女を凝視していた。昼間の鮮やかさはなりを潜めていたが、夜はすべてのものの稜線をくっきりと浮き上がらせる。
「あんたが、あたしを欲しがってるのよ」
 すぐ傍に感じる体温を意識しながら、ゼブラの腹に火を押し付ける。冷たい白黒の馬が、擦りつけられたものの熱さに驚いたように、きゅ、と鳴いた。
「ほざけ。貴様がここへ来たんだ」
「あんたも来たわ」
「ここは俺の部屋だ」
「その気が無いなら、わざわざ戻ってこなかったでしょ」
 あたしの気配には慣れてるはずよね。角皿を枕の方へ押しやりながら、彼女は低く呟いた。男は黙っている。顔を上げると、彼が立ち位置を変えた事で月は腰の辺りに下り、心持ち柔らかくなった光背の中、わずかに目鼻が見て取れた。だがその色までは分からない。
 見たい。
 本音が知りたい。彼女はベッドから滑り降り、床に両膝をついて隆とした脚を抱く。尻の山から内腿に指を滑らせると、ぴくりと硬い筋肉が震えた。目の前にあるその場所に、頬を寄せる。
「可愛い子・・」
 熱を帯び始めたその徴に、彼女は安堵の吐息を漏らす。決して嘘をつかない箇所。彼女が愛してやまない、素直で凶暴な、彼の分身。優しくくちづけると、布地の上からでもその微かな蠢きが感じられた。髪の中に大きな手が潜り込んで来る。奥歯をくすぐるような摩擦音が、地肌を滑る指先が、彼女を総毛立たせた。快さに、思わず瞼を下ろす。期待に、睫毛が細かく震える。
 だが、愛撫は突然終わった。
「雌犬め」
 髪を鷲掴みされる痛みに驚き、彼女は思わず悲鳴を上げた。
「黙れ」
 もう片方の手で、小さな顔を掴むようにして彼女の口を塞ぎ、男は低く言った。
「忘れるな。窓は開いてるんだ」


「欲しいんならくれてやるさ」
 大きな目が、彼の影の内で見開かれている。輝いて見えた。
 敗北を知らない。
 組み敷かれ、翻弄され、彼以外の何も映さなくなろうと、それは僅かな時間だった。朝になるたび、その瞳が取り戻す理知の光は ―それは彼が気に入っている彼女の属性でありながら― 時に彼を不快にさえした。
「だが声は出すなよ。奴に聞こえたらお前を殺すぞ」
 トランクスの聴覚は、少なくとも地球人の域を超えていた。彼はそれを知っていながら、サイドテーブルの操作盤で窓を閉めようとする女を、細い手首を掴んで遮る。その身体を寝台の上に投げ出した拍子に、枕元の小さな陶器が弾んで床の上に落ち、彼女が咥え、味わっていたものの残骸を撒き散らした。
「脱げ」
 半身を起こして彼を睨みつける女に、顎をしゃくって命令した。
「・・何怒ってるのよ」
 何を、だと。彼は胸の前で再び腕を組みながら鼻を鳴らす。
 自分に唇を押し付け、はや恍惚とした表情を浮かべる女を見下ろしていると、無性に腹が立ってきた。
 勝手な。
 二度と来るなと放言しておきながら、己が欲しくなったら、こうか。
 だが彼が何より腹立たしいと思ったのは、触れた場所すべてで彼女を感じ、彼女に反応してしまう自分自身だった。膝頭に触れる乳房の弾力。尻や脚を舐め回す指。布越しに擦れる彼女の衣服さえ、彼を充血させた。そして淫らで、それでいて小さな、唇。
 彼ともあろうものが、女の勝手に振り回されている。許せないと思った。彼にこんな屈辱を与える女を。その女を振り払う事が出来ない己自身を。
「さっさとしろ。それとも着たままがいいのか」
 ああ、無理矢理ってのも悪くないな。それで行くか?酷薄に響いた自分の声に満足し、彼は片頬を持ち上げて笑った。



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