十日間戦争 ― things I'll never say (1)

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 最後に言葉を交わしたのは、もう先週の話だ。

 六歳になる一人息子は、またなの、と最初の内こそ関心が無さそうだったが、冷戦が3日を過ぎる頃から物言いたげな視線を寄越すようになった。子供に心配を掛けるなぞ、親として如何なものかと自分でもそうは思うのだが。
 ベジータが彼女を侮辱するのは、日常的な、挨拶程度のイベントでしかない。そして、彼が彼女に向かって阿呆だの下品だのと口にする場面の多くにおいて、彼らは体のどこかを―額や鼻先、上唇やその他様々な部分を―触れ合わせている。
『馬鹿が』
 しかし発端は、取引先との交渉が思うように進まず虫の居所が悪かった彼女に、彼が吐き捨てたこの一言だった。常と同じ調子で響いていたなら彼女を爆発させる事は無かったのかもしれない。だがこの時は、同じく機嫌が良くなかったらしい彼のいつも以上に冷ややかな声色が、彼女のどこかを切りつけた。突然掴み掛かってきた彼女を片手であしらいながら、彼が眉根をぴくりと痙攣させて漏らした「てめえの仕事だろう、持ち込んで来るんじゃねえ」という低い呟きが、火に油を注ぐ。
『持ち込むな、ですって?』
 ブルマは両手を壁に押し付けられて自由を奪われたまま、ベジータを睨みつける。
『あんた、昔自分がどれだけあたしを引っ掻き回したか解ってるの?無茶苦茶して、大怪我して、さんざん世話掛けといてぷいっと居なくなって』
『それとこれとは話が―』
『黙ってよ!突然戻って来て偉そうに命令して、自分の言いたいことだけ言って、その後はあたしの事なんて無視してたじゃないの!あたしだけじゃないわ、家の中の全員よ。あんたのイライラや我儘にどれだけ付き合ってやったと思ってるのよ!』
『あの時と今じゃ状況が違・・』
『うるさいわね!あんたみたいに自分勝手でデリカシーの無い野蛮人にそんな事言われる筋合い無いわよ!』
『何だと?』
 さすがに気を悪くしたのか、元々鋭い視線を更に尖らせて声を荒げた彼の手を、彼女は渾身の力で振り解く。悪くすれば手首を骨折していてもおかしくない無理な姿勢と勢いだったが、そうなる前に彼が力を緩めたのだろう、彼女は彼から逃れる事が出来た。
『二度とあたしの部屋に来ないでちょうだい』
 あんたなんか大嫌いよ!靴音高く部屋を出ながら振り返りもせずに叫んだ捨て台詞が、彼らの最後の会話を締め括った。

 翌朝、気分の悪いまま出勤した。当然、仕事が上手く運ばない。
『どうなさったんですか。御気分でも?』
 立て続くケアレスミスを訝しみ、秘書達が心配気に顔を覗き込んできた。彼女は、ごめんなさい、何でもないのと辛うじて笑顔を作る。
『気分転換してくるわ』
 シガーケースとライターを手に取り、秘書の一人に告げると、彼女は席を立った。一番年若い男の秘書が、お忘れです、とこんもりと小さな卵型の赤いガラスの灰皿を差し出す。屋上じゃないわ、ラボに行くの。優しく言ったつもりの自分の声の硬さに、彼女は少し驚いた。

 最低。
 無人のラボのだだっ広いデスクの端に浅く腰掛け、煙草を咥えて火を点す。深く吸い込み、胸の中の塊を吐き出すような溜息をついた。
 社においては、彼女にとってここが一番落ち着ける場所であり、考え事をするときなどによく使った。居住区にあるラボほど使い勝手はよくなかったため、本来の目的で入室することは殆ど無いのだが。
 気分が上手く切り替えられない。始めるとすぐに没頭する研究開発の業務においては、まずありえない事だった。ラボに篭って機械をいじっていたかったが、将来社を率いる事になる彼女への教育の一環なのだろう、現在は苦手な交渉事にばかり携わらされている。彼女は疲弊し、神経が尖り切っていた。
 あたしが悪いのよ。そんなこと解ってるわ。
 怒鳴り、部屋を出た後、すぐに後悔した。あれではまるきり言いがかりだ。朝になって謝ろうと思ったが、ベジータはダイニングに姿を現さなかった。
 ああそう、顔も見たくないってわけ。
 二度と来るなと自分で口にしておいて、彼が昨夜彼女の部屋を訪れなかった事も気にくわないのだった。我ながら理不尽だとは思うのだが、湧き上がってくるムカつきを抑えられない。家人に当り散らしてこれ以上の自己嫌悪に陥らないように、彼女はスープを口にしただけで―実際食欲も無かった―早々に家を出てきた。

 あれから、もうかれこれ7日近く経つ。何度か顔は合わせた。だが彼女の存在を空気のように無視している彼の態度が気に入らなくて、目を合わせないようにしている。こうなると、どちらが悪いかは問題ではない。もう、意地だった。



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