十日間戦争 ― things I'll never say (3)

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「こういう時は男の方からアクション起こすもんだわよ」
 帰路、エアカーのアッシュトレイで煙草の火を揉み消しながら、ブルマは煙と共にそう吐き出した。言ってから、随分勝手な台詞だと苦笑する。信号が青に変わり、アクセルに足を乗せた瞬間、彼女の左頬を照らしていたブティックのショウウィンドウの灯りが失せ、視界が一瞬暗くなった。
 以前の恋人とは、共に若かったせいもあるのだろう、よく喧嘩したものだ。理由なぞ他愛ない。彼が女達にとって魅力的過ぎるという事以外は、思い出すことも難しいようなものばかりだった。幾日か口もきかず、目も合わせないという状態が続き ―時に彼が家を飛び出し、あるいは彼女が叩き出し― その状態に互いに嫌気が差した頃、彼が彼女を訪い、うやむやに流れ、終わる。それが通常の手順だった。
 彼の場当たり的な対応に、いつも不満が残った。だが今になって、そのある種おざなりな態度に救われている部分もあったのだと気付く。ベジータが相手ではそういう展開は期待出来ない。彼には、彼女をベッドに引っ張り込んで誤魔化さなければならない事など何一つ無いのだ。
「面倒なやつ」
 第一、『喧嘩』にならない。
 確かに、彼が地球に住み始めたばかりの頃や、壁を越えようと無茶を繰り返していた頃には (つまり彼らの関係が『居候と家主の娘』『戦士と科学者』という以上ではなかった頃には) しばしば衝突が起こったものだが、そのほとんどは、無理に無理を重ねようとする彼とそれを止めようとする彼女の押し問答であり、厳密に言えば諍いや争いの類ではなかった。
 彼の怒りには常に、明確な、それも公平に見て全く当然だと思われる理由があり、それが取り除かれるまでは一切縺れをほどこうとはしない。その意味で、彼は実に真面目で几帳面で理屈の通った男だった。
(何でもかんでも曖昧だ、ってのよりはマシだけど・・)
 基本的に好ましい性質だとは思う。だが、もしも彼にもう少し滑らかで柔軟な姿勢が備わっていたなら ―例えばあの夜、彼が彼女を訪ねて来ていたなら― こんなに長引いてこじれる事も無かったのだろうに。
(あら)
 そこまで考え、ここのところ彼と一緒に夜を過ごしていないことに気付いた。
(いつからだっけ)
 この一週間は無論だが、その前の週もだ。帰宅が連日深夜になり、かなり疲弊していた。ではその前は?体の都合が悪かった上、やはり忙しかった―
(ウソでしょ)
 確かその前の週もだ。前半が出張で―最後に共寝したのはその出張の前夜だった。つまり都合1ヶ月になる。新記録なのではないか。彼が姿を隠していた半年を除いて、ではあるが―
 孫悟空の死後、ベジータが失踪から帰還するまでは、彼らの関係は不安定だったし、彼が(おそらくはトレーニングの為に)ふた月三月家を空ける事など珍しくは無かった。けれどそうした不在時にも、間隙を縫うようにふらりと戻っては彼女のベッドに潜り込んで来ていたものだ。翌朝には『夢だったのではないか』と思えるほど鮮やかに姿を消していたが。
(だから余計に怒ってるんだわ、きっと)
 神経が擦り切れ、それどころではなかったというだけだが、確かに長く彼から離れ続けていた。彼の方も、まさか気遣った訳ではあるまいとは思うが、彼女を訪ねて来なかった。あの日の「もう来るな」という捨て台詞と、それまでの彼女の無沙汰を結びつけ、完全な拒絶だと受け取ったかもしれない。だとすればプライドの高い男のこと、そんな状態で自分から彼女を訪問するなど出来ない相談だろう。
(・・折れるしかないか。もともとあたしが悪いんだし)
 家に着いたら、思い切って謝ってしまおう。膝を折ることには慣れていなかったが(というよりほとんど経験が無かったが)、常時臨戦態勢でいるのはそろそろ限界だった。外で磨り減ってくるのだから、せめて家の中では寛いでいたい。
(でもねえ・・)
 『ゴメンね、許して』で済むかしら。相手が悪いわよね・・
 甘えても相手にされないだろう。まあ大した事ではないのだから、命まで差し出せとも言われまいが。
 土下座させられて、『お許し下さい御主人様』なんてね。
「ぷっ」
 耐え難い想像だったが、そのありえなさに思わず吹き出す。彼女は、その程度に構えていた。


 帰宅後部屋を訪ねたが、男は居なかった。
 父母は昨日から留守だ。深夜、もしくは明け方まで戻らないだろう。トランクスはぐっすり眠っている時間だったので、事情を尋ねる訳にもいかなかった(起こしたところで、寝惚け眼で「知らないよ」と言われるのが落ちだろうが)。
 タイミング悪い奴。
 空のベッドはしかし、乱れていた。毛布は半分床に落ち、シーツには大小の襞が出来ている。寝付けなくて外出したのか。
 彼女は、彼が一度身を預けたベッドに体を横たえ、大きく息を吐いた。彼がそこから出掛けたということなのだろう、開け放たれたままの窓から、灯りの無い部屋の中に月光が燦然と射し込んでいる。手足を伸ばし、天井に顔を向けた。見慣れた景色に、疲労した体がじんわりと溶ける。
 そこには居ない。けれど気配を感じる。
 彼は彼女にとって、そういう男だった。彼女の感じているものが、彼らの言うところの『気』というものの一種なのかどうかは、分からない。
 彼女は側らの空間に、その身体を温度を伴って形作る事が出来た。彼女の体は、彼の全てを記憶している。皮膚に掛かる呼気の熱さ、快楽に泡立つ肌。硬い尻の丘のなだらかな窪み、その双丘の麓にある尾の名残―そこに触れたときの無防備な声に、逞しい体の微かな震えに、どうしようもなく彼を愛しいと感じ、四肢を絡ませて力一杯かき抱いた―
 ベジータ。
 目を閉じたまま、我知らず隣に手を伸ばした。指先に触れたシーツの冷たさに、はっと瞼を開く。
 ・・信じられない。
 そのひややかさが生んだ空虚に、息を詰まらせる。これほどに馴染み、深く刻み込まれた肉体に、何故こんなにも長く触れずにいられたのか。うつ伏せになり、シーツに顔を押し付ける。真っ白なそれに唇が触れ、紅い色が移った。男が残した微かな匂いに喉の奥が締め付けられ、薄く涙が滲む。
「早く・・」
 戻って。呻くようなその言葉が終わらないうちに、黒い影が目の端を過(よ)ぎった。確かめようと顔を上げると、果たして窓の内側に見慣れたシルエットがある。十三夜の月を背に、それ自体がぼんやり光って見えた。



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