十日間戦争 ― things I'll never say (4)

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 C.Cの丸屋根の頂上は、悪くない場所の一つだった。
 次々と頭をかすめる面白くない想像に寝付けなくなった彼は、むかむかしながら毛布を蹴飛ばして跳ね起き、窓を開いてその場所へと飛んだ。
 折しも満月が近かった。くだらない事ばかり考えるのはそのせいもあるのだと思いながら(尾を失ってはいたものの、彼は月の姿が真円に近付くにつれ少々落ち着きを失う自分に気付いていた)、3人も立てば窮屈に感じられるだろう小さな展望台のフェンスに腰を下ろす。
 何だってんだ。
 女が何をしようと、自分には関係無いはずだ。だがさっきから彼を悶々とさせているのは、紛れも無く彼女の淫らで奔放な行動―すべては想像に過ぎないが―であった。
 違う。
 そんな筈は無い。彼はその考えを打ち消そうとした。自分は、あれに執着している訳ではない。
 共に居て、悪いとは思わなかった。だからこそ彼はこの星に留まり続けていられるのだとすら言える。
 ここでは、何もかもが安定し過ぎていた。彼とて完全に安んじていられるこの環境が嫌いでは無かったが、それにしても刺激が無さ過ぎるのだ。闘争本能を至上のものとする彼ら種族にとって、7年近くも安穏とした状態でいる事は簡単ではなかった。
 C.Cは、その意味では地球上で最も住み易い場所だった。
 まず、彼が存分に身体を動かし、肉体を鍛える事を可能にする施設がある。これはある意味、死活問題だと言えた。
 そして彼はここで、初めて利害を抜きにして自分以外のものに興味を持った。ここの主である男やその娘が生み出す発明品は、地球を後進的な惑星だと見下していた彼にすら、多少なりとも関心を抱かせた―尤も、娘の方は今それどころでは無いようだが。彼は時に、無意識にだが彼らに手掛りを与えさえしているようだった。女の父親が、用も無いのに彼の所にやってきて話をしてゆくことがある。戻り際、男は彼に言うのだ。
 いや、ありがとう。君と話していると雲が晴れるような気がするよ。
 一方的に押しかけてきて、彼の周囲を目に沁みる煙で充満させて、ほとんど一人でぽつぽつ喋って、気が済んだら帰ってゆく。それでも彼がこの男を追い払わないのは、C.Cでは唯一まともで、言葉の端々に至るまで何を言っているかが理解できる人間だ、と思うからだった。この男の娘は、優秀ではあったが時々ひどく感情的になって筋の通らない事を喚きたてることがあったし、この男の妻に至っては全く理解不能だった。言葉の通じる豚や、室内の森に棲んでいるその他の動物達は、彼にとってはいつでも食糧に代わり得るものでしかない。
 しかしこの男の娘の、次の瞬間には何を仕出かすか知れない訳のわからなさは、確かに退屈を許さないものではある。彼が彼女を完全に理解し、意のままに出来るのは、抱いて翻弄している時だけだった。腕の中からすり抜け、頼りない衣類で女が武装してしまうと、彼は何一つ自分の思い通りには出来なくなってしまう。かつて誰に対してもそうしてきたように、力で以って捻じ伏せる事はどうしても出来なかった。地球人のやり方に沿っているつもりはない。だがもしも彼がそうした行動を選んでしまえば、壊したくない何かが壊れてしまうという気がするのだ。それが何なのかという事までは、彼には解らなかったが―
 そして最近、新たな形で彼の関心を引き始めたのは、自身の息子であった。
 こいつは、強い。
 彼は日々の情景の端々にそれを感じ取った。幼児だった頃でさえ、アパ、アパ(パパ、パパ)と涎を垂らしながらよちよち近付いてくる様子に閉口しながらも、その尋常ではない潜在能力を嗅ぎ取り、密かに満足を覚えたものだった。もう少ししたら鍛えよう。静かで固い決心は、少なからず彼の血を騒がせた。
 これならば、あの悟飯をも超えるのではないか。
 いや、超えてもらわねば困る。いやしくも、この自分の血を引いているのだ。下級戦士の餓鬼の風下に立たせる訳にはいかなかった。
 種々(くさぐさ)そんな事を考えているうちに、気分が落ち着いてきた。たかが女一人の事で、全くどうかしていたのだ。だが少し気を良くしてフェンスから浮き上がったその時、足下にその女の気を感じた。
 ―くそ。
 彼は眉根を寄せ、思わず舌打ちした。気分良く就寝しようとしていたのに、何とタイミングの悪い女なのか。しかも彼女の気配は、彼の部屋の辺りで留まっている。
「何しに来やがった」
 しばし、次に取るべき行動を考えた。
 このままフェンスの上で夜明かしした方がましかもしれない。女と顔を合わせて、無様で不本意なことを言い出さないで済ませられるかどうか、彼には自信が無かった。しかし、そんな事をこんな場所でうろうろと考えている自分にも納得できない。気付くと、部屋の窓付近にまで降下していた。
 儘よ。
 相手が悪い。考えるだけ無駄だ。戦闘準備など整ってはいなかったが、彼は一気に部屋へと滑り込んだ。窓の内に静かに降り立つと、ベッドに横たわっていた女が気付いたのか、うつ伏せていた顔を上げて彼の方へと巡らせる。
「――」
 体中を緊張させ、息を呑まないようにするのがやっとだった。
 まともに顔を見るのは何日振りだろう。彼の褥に僅かに身を起こして伏臥する女の、その艶(なま)めかしさ。月は、長く伸びた彼の影の先、女の左半身を照らしている。眩しさを感じた。大きな瞳が潤んで見えるのは、彼の錯覚なのか。
「なんだ」
 だが口を突いて出たのは、
「欲情したか」
 我ながら思ってもみない言葉だった。



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