背中 (8)

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 小型コンピュータとカプセル類などを手早くパッキングし、秘書に電話しているところへ、ベジータが入ってきた。彼女はちょっと待ってねと目配せしながら指示を続ける。
「トランスポートは、当分弟氏の方と接触することになると思うから、彼関係で連絡があったら電話して。あと、決裁が必要なものがあったらメールで送ってちょうだい。ムリなら直接父さんにまわしてくれればいいわ」
 よろしく、と通話を切り上げ、電話を畳むと、彼女は彼に向き直った。
「お待たせ。どこ行こうか」
「―それはこっちの台詞だ。どこまで運びゃいいんだ」
「運ぶ?」
「行方を眩ませるんだろうが」
「ええ、あんたと一緒にね」
「馬鹿言うな、そんな話は聞いてない」
「デートだって言ったでしょ」
「俺が承諾したのはそっちじゃない、外の奴らにみつからないように貴様を外に出すのを請け負ってやっただけだ」
「―けち」
「何とでも言え」
 彼は窓に近付き、開閉ボタンを押した。大きなガラスがゆっくりと上にスライドし、朝の爽やかな風が部屋へと流れ込む。
「そこから出るの?」
「他にリクエストがあるなら応じるぞ。表玄関にするか?」
「―そこでいいわ」
「だったら早く来い」
 側に来た彼女の腰を、男は片手で引き寄せる。彼女の柔らかい身体が、彼の硬質な肉体に押し付けられて馴染んだ。
 うそ。
 彼女は自分の顔が熱くなるのを感じ、慌てる。何をいまさら。だが、鎮めようとすればするほど頬は紅潮してゆく。彼女は顔を見られまいと男の身体に腕をまわし、しがみついた。
「そうじゃない、首を抱け」
 軽くだ。男が命令したが、彼女はいやいやと首を振って拒絶する。コアラか。彼は小さく舌打ちし、彼女の肩に手を掛けて自身から引き剥がした。
「それじゃ飛びにくいと―・・・何を赤くなってる」
 俯いて逸らした彼女の顔を、男が覗き込む。口元が緩んでいる。面白がっているのだ。
「・・・知らないわよ。風邪ひいたんじゃないの」
「随分と急なんだな」
 彼女の頬に指の背を滑らせながら、男は低い声で言った。嬲っているつもりなのだろうが、ほとんど優しいと言って良いその仕草や、甘い声の響きに体の芯が震え、彼女は男に縛められている腕をわずかに緊張させた。ふっふ、と低く笑い、男はもう一度彼女を引き寄せる。はっと顔を上げた彼女は、危うく男と鼻をぶつけそうになった。
 黒い瞳に、女の顔が映っている。この男に身も心も素裸にされてしまう、滑稽なほどに正直な女の。それが、近付いてきた。彼女は瞼を下ろす。唇が、自然に開いた。温かい息が混ざり合い、人間の持つ最も美しい形の粘膜が、微かに触れ合う。すぐ近くで、ホバリングするような音がした。何だろう、と頭の隅で考える。
 途端に、爆音がした。驚いて目を開くと、窓の外を一機のフライヤーが煙の尾を引きながら斜めに横切って行くところだった。
「何てことするのよ!」
 彼女は窓の方に片手を翳している男の腕をすり抜け、窓枠から身を乗り出す。フライヤーがC.Cの広大な庭に不時着し、中から数人の男女がまろび出てくるのが見えた。女はマイクを手にしており、男の一人はカメラと思しき大きな機材を抱えている。
「どけ」
 彼女を押しのけ、男が、フライヤーから走って遠ざかって行く彼らの方へとまっすぐ人差指を伸ばした。
「やめて!」
 叫び、その腕にかじりついたが、遅かった。彼の指先から発射された光弾は、ゆっくりと―彼女の目にはそう映った―彼らの方へ向かって飛び、男の一人が肩に抱える機材を撃ち抜いた。自分の抱えるそれが、小さな爆発と共に突然はじけたのに驚き、男がその場に腰を抜かす。マイクの女が引き返してきて、彼を引き摺るようにして走り去って行く。
「は・・」
 ブルマはほっとしてその場にへたり込んだ。その腕を掴み、男が彼女を引っ張り上げる。
「さっさとしろ」
 彼女は、自分の腰を抱いて今にも飛び立とうとしている男を振り払い、かみついた。
「何であんなことするの!?」
「不法侵入だ」
 男は片方の眉を上げ、何を喚いてるんだと言わんばかり、訝しそうに彼女の顔を見て言った。
「殺されたって文句は言えん」
「だからって、ほんとに死んじゃってたらどうするつもりだったのよ!」
「どうにもせん。大体俺がそんなヘマをやらかすと思うか。加減したから生きてるんだろうが」
「加減!?偶然でしょ!爆発したら終わりじゃないのよ!」
「撃つ箇所は選んだ。軌道も計算した」
「でも」
「撮られてたぞ」
「え」
「壊しただろ、あれでだ。中継なら意味無いがな。誰が責められるべきかまだ分からんか」
「・・・・・」
「行くぞ。新手が来る」
 貴様のわめき散らす声を聞かされるのはたくさんだからな。彼はもはや彼女に口を開く隙を与えなかった。彼女を肩に担ぎ、外へ飛び出すと垂直に上昇する。充分緩やかなつもりなのは彼女にも分かるが、カプセル・コーポが豆粒ほどの大きさになり、上昇が止まったときには、暫くは口もきけないほどのダメージを自覚した。逆風に煽られた髪はかつて無い形に乱れている。だがそのスピードのお陰だろう、誰の目にも留まらなかったようではあり、ヘリやフライヤーが追いかけてくる様子は無かった。



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