背中 (1)

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 屈辱に、未だ身体が震えている。

 ブルマは吐き気を覚え、通り掛かったサービスエリアにエアカーを乗り入れた。転がるように車を降り、洗面所に走る。露出を抑えたドレスの裾が脚に纏わりつき、彼女の邪魔をした。
 汚い顔。
 嘔吐し、少し楽になった彼女は、口を濯ぎ、飾り気の無い鏡に映った自分の土気色の顔を見て、思わずぞっとそう呟く。



 彼女の父が率いるグループは、この夏、微妙な時期を迎えた。
 彼女や彼女の父親、そして多くの研究員達が生み出す優れた発明は、次から次へと人々に受け入れられている。だが彼女の父が一代で築き上げたC.C(カプセル・コーポレーション)グループは、物流部門への進出には未だほとんど手を回せていなかった。世界中のそれは別の大手グループが事実上一手に握っているという現状である。
 最近、件のグループの総帥が病没した。するとそれまで適正を保っていた物流の価格が、みるみるうちに跳ね上がり始めたのだ。賢明な創始者が残した遺言に、二代目達が―双子の兄弟だった―耳を傾けることは無かった。
 物流は全ての産業にとっての血管である。無論、C.Cとて例外ではない。そこに滞りが生じれば、いくら心血を注いで優れた発明品を生み出そうとも、事業としては成り立たなくなる。あと一年。いや半年でもいい、良好な関係を保っておかねばならない。C.Cが物流の基礎を立ち上げるまで。それを軌道に乗せ、敵を防ぐ力を手に出来るまで。相手側からの指名を受け、最高幹部の一人であるブルマがその折衝に当たっていた。
 こういった仕事に不慣れなことは否めなかった。しかも訓練も無しに、端から最悪の相手と剣を交えることになった彼女は実に運が悪かったと言って良い。
 兄弟は、すらりと背が高く、顔立ちも整っており、物腰柔らかな、一見して申し分の無い紳士であった。
 へえ、悪くないじゃないの。
 客観的に、そう思った。だが同時に、彼女の直感は既に警告を発していた。理屈ではなかった。虫が好かないのだ。そして彼女のその種の勘は、いやになるほどよく当たった。


 この日は、食事の誘いを受けていた。当然気乗りしなかったが、今度断れば立て続けに三度振ったことになるので、申し出を受けない訳にはいかなかった。
「貴様にしては随分まともな格好だな」
 廊下ですれ違ったベジータが、珍しく立ち止まって感想を述べた。
「格好だけだが」
 首から足の爪先までを覆う、袖無しのグレイのドレスを着込んだ彼女をまじまじと見て、彼は重ねてそう言った。
 知っているのだろうか。立ち去って行く背中をみつめながら、自分をしつこく口説く男の―兄の方だ―ねっとりとした視線が目の裏に甦り、彼女は身震いする。
 複雑な気分だった。ベジータは自分が立ち入ってはならない場所を弁えている。他人からは我儘で身勝手な男に見えようが、彼女は彼のそういった一面をよく知っていた。ありがたくもある。だが今は、怒り、全てをぶち壊してくれたら、と思わないではいられなかった。本当にそうなって困るのは、他ならぬ彼女なのだけれども。
 半年の辛抱よ。
 余計に暗い気分になる自分を、彼女は叱咤した。



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