声 (6)

 1  2  3  4  5  7  8  Gallery  Novels Menu  Back  Next

 コンピュータのチェックが終わり、データを、外部と繋がっていないカプセル・コーポの独立コンピュータから携帯できる小型コンピュータへコピーし、念のために二本のバックアップを作成して、作業は遂に完了した。
「おめでとう、ブルマ」
 彼女は一人で呟き、ふうっと息を吐いた。王立アカデミーのコンピュータへ直接送信出来れば早いが、通信にそぐわない性質のデータであり、盗難の危険も増すため、それは不可能だった。朝にはアカデミーに持ち込むそれらを持って、ラボを出る。もうすぐ夜が明けるが、少しだけでも眠っておこう。彼女は窓ガラスに映る自分の青白い顔を眺めながら考えた。
 寝室に直行せず、娘の部屋に立ち寄った。毛布から出ている左手を直してやりながら、彼女は先程の父娘の様子を思い起こす。
 ブラ。パパの歌は気に入った?またうたってもらいなさいね。ブラのお願いなら、パパきっときいてくれるわよ。ママは歌ってあげられないのよね。
 彼女はあれ以来、一度もあの歌を口にしていない。もしも彼がまた姿を消すようなことがあれば、歌おう。あれはベジータを召還する歌だから。彼女はなんとなくそんなふうに思っている。実際的効果を期待している訳ではないが―。
 もうそんな必要は無いだろうと信じている。不安を感じるということもない。だが、彼が自らを魔導師に売り渡した戦いから、ふたたびの死を経て帰還したとき、彼女は思ったのだ。
 自分には、わからなかった。
 昔の自分に戻りたかった。彼は、そう叫んだという。
 彼の誇り、そして血と戦いを至上の喜びとする彼ら種族の本能。孫悟空の死の七年の間に得た平安。彼がその狭間でそれほどまでに揺れていたことに、彼女は気付かなかったのだ。すべてを捨てて、戦いたい。だが平安を、家族を、そして何ということだろう、この星を、失いたくない。
 結局、選べなかったのだ。
 自分自身でその誇りと本能を開放することは出来なかった。それを選んでしまったときに失うものが、あまりにも、大きかったから。そして、他者に魂を委ねた。自分を二つに引き裂かれる、その壮絶な苦しみに耐えかねたのだ。術に掛かってしまえば、何かを失う恐怖に拘束されること無く、自身を解き放つことが出来る。心を売ることで得られる力など、誇り高い彼が自身を納得させる為に付した理由に過ぎないだろう。
 孫悟空の再来と、世界の再びの危機が、この揺れが始まる契機であったことは間違いない。だが、それはずっと彼の中で燻り続けていたのだ。選択肢が失われている間はそれが再燃しなかった、というだけのことだ。
 自分にはわからなかった。時に小さな違和感を感じてはいた。しかしその正体の何たるかまでは、自分には見えていなかった。いや彼自身さえ、その瞬間が来るまで自覚していなかったかもしれない。彼は苦しみ、闘い続けていたのだ。だが自分は、気付かなかったのだ。誰よりも傍にいながら。そして彼は、闇に呑まれた。
 彼は最期の最後でそこから戻り、そして二度目の死を迎えた。再生を許された今、もはや同じ闇に捕まることはないのだろう。だが誰の中にも、底の見えない暗い深淵が幾つも口を開いているものだ。むろん、彼の中にも。考えたくはないが、そこに迷い込む事もあるのかもしれない。だから。
 お守りなのよ、あのお歌は。パパがまた迷っちゃったときには、あなたの帰る場所はここよ、って、歌って教えてあげるの。だからもう二度と歌わないですめばいい、って思うわ。
 でもブラはいいわねえ。あのパパにお歌を歌ってもらえるなんて、ちょっと妬けるわね。
 彼自身の幼少期、子守歌などに縁があったとは思えない。生まれ落ちてすぐに戦闘能力を審査され、振り分けられ、それぞれのレベルで戦いを開始する。彼自身の口から語られた、彼の種族の生のかたち。それが当たり前の世界で育ったのだから、彼自身はそのことについて何とも思ってないのかもしれないが、随分殺伐としている。母子の間にそれらしいコミュニケーションなどあったとも思えない。彼自身も母親のことはほとんど知らないようであるし、乳母がついたという話も聞かない。幼い頃から側近として傍に侍り、この地球にも共に来たという男も、戦闘不能になると彼自身の手で始末されるという程度の存在でしかない。父王は歌い手候補からは除外してよかろう。彼女は部屋を出ながら、つくづく思う。
「すごい生い立ちだわ・・」
 ああすれば子供が落ち着くということは、間違いなく地球において、というよりブルマを見ていて学んだのだろう。あの歌だって彼女を通して覚えたのだ。なんか、親の真似をする子供みたい。彼女は急に、彼を気が遠くなるほど愛おしいと感じ、目頭が熱くなるのを覚えた。
 でもさベジータ、これってすごく素敵なことよね。
 母と息子。夫と、妻と呼びあった男女。そして、父と娘。
 歌は静かに、彼らを結んでいた。



 1  2  3  4  5  7  8  Gallery  Novels Menu  Back  Next