声 (4)

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 彼女がそれに気付いたのは、そろそろ空が白んでこようかという頃だった。
 何となく体が重いような気がして目が開いた。それになんだかひどく温かい。なんだろう。確かめるため、体を動かそうとして完全に目が覚めた。背後から、逞しい腕が自分の身体に回されている。
 うそでしょ。
 だが彼女にこんな振る舞いをすることが許されているのは、宇宙中に一人しかいない。
 少し身体をずらし、出来るだけそっと背後を伺う。紛れも無い、ベジータその人がすうすうと寝息を立てている。
「―!」
 分かってはいた。体に刻み込まれた硬質な身体の感触。間違えるはずは無い。わかってはいたのだが、それでも彼女の心臓は跳ね上がった。驚きと、そしてじんわりと染み渡ってくる、喜び。それらがない交ぜになって、満足に息が出来ないほど興奮した。必死でそれを抑えながら、用心深く彼の方へと向き直る。起こしてしまわないように、ほんとうにそうっと。
 窓から差し込む薄明かりを頼りに、男の様子を観察する。すこし痩せたように見えるが、肌は浅黒く焼け、むしろ健康的に感じられた。室内着の隙間から見える胸元は、変わらず隆起し、呼吸に併せて上下している。顔を寄せると、花のような香りがした。
『汗臭い身体でベッドに上がらないで』
 彼女の教えたこの手のマナーを、彼は可笑しいくらいに忠実に守る。戻ってきて、自分の部屋でシャワーを使って、身体を乾かして、それから彼女のベッドに忍んできたのだろう。そういう几帳面な一面もそのままだ。その様子を思い浮かべると、彼女はもうおかしくておかしくて堪らなくなり、笑いをこらえて体を細かく震わせる。
「・・・何を笑っていやがる」
 その振動のせいか、男はとうとう目を覚ましてしまった。その不機嫌そのものといった様子も、声も、半年前と変わらない。彼女は耐えに耐えた笑いのためにうっすら涙ぐんだ目を上げる。
「・・何でもないわ。あんたは相変わらずいい男だ、って思ったのよ」
 当然だ。彼は満更冗談でも無さそうに鼻を鳴らした。こうやってふんと鼻を鳴らすのも―
「ホントに相変わらずねえ」
 言い終らないうちに、彼女は男の懐深くへと引き込まれた。
「後にしろ。俺はまだ眠いんだ」
 彼女を抱きこんで、欠伸交じりに呟く。口元を手の甲で塞ぐことを忘れない。彼女は今度は遠慮せずに男の体にしがみついた。胸元に顔を摺り寄せると、花の香りの向こうから彼自身の匂いがする。彼女は、大好きなそれを深呼吸して堪能した。男は彼女の髪に唇を押し当て、指先で軽く掻くようにしてゆっくりと梳く。
「お前」
 男の声が、押し当てられた唇から直接彼女の体に響いてきた。彼女が目を上げると、すいこまれそうな漆黒の瞳が、半開きで彼女を捕える。
「お前、俺を呼んだか」
 どういう意味だろう。彼女は彼の言っていることを判じかねた。
「聞こえたんだ」
 お前の声だった。空耳とは思えん。随分はっきりしていたようだ。また何か訳のわからんものを開発したのか。男は真面目な顔で彼女に尋ねる。
「・・テレパシーかしら」
 それは一種の真実だろう。彼女は確かに彼の名前を呼んだのだ。呼んだ、というよりも、漏らした、というほうが近いが。この男に会いたい、と強く思った。
「馬鹿な。地球人にそんな能力があるとは思えん」
 男は鼻で笑った。彼らの種族にはある程度そういった力が備わっているようだった。通信機を兼ねたスカウターを使うようになるまでは、集団で戦う場に於いて必要な能力だったのだ。彼女はこの男の傍近く暮らした五年程の生活の中で、そのような話を彼自身から聞いたことがあったし、彼の同族たちとの接触でそのように感じることが何度かあった。進んだ文明を吸収しながら、より野生に近い能力も併せ持っている。ずるいわね、と彼女は思ったものだ。
「そうね。偶然かも」
 言いながら彼女は、もう一度男の身体に顔を埋め、ぎゅうぎゅうと全身をすり寄せる。
「・・やめろ、眠りにくいだろう」
 しかしますます自分の皮膚に食い込んでくる彼女に、やめんか、と言うが早いか、男は枕の並びを変えるが如く軽々と彼女の体の向きを変え、再び後ろから抱きこんだ。彼女は自分の目の前にある男の腕や指に、甘く噛み付く。よせ。言いながら彼は一つ満足そうな溜息を漏らす。首筋に、温かい息が掛かった。
「ベジータ」
 彼女は気持ちよく寝入りかけている男に、優しく呼び掛ける。
「なんだ」
 消息不明、二百と十一日。
「・・おかえり」
 そして、帰ってきた。
 彼女の身体を抱く腕に、少しだけ力が込められる。返事は無かった。だが、それで充分だった。



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