艶―烏龍の憂鬱 (4)

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「そうそう、烏龍ちゃん、今日ね、お昼にヤムチャちゃんが戻ってらしてたのよ」
 二日後の夜、夕食の席での夫人のその言葉に、烏龍は口に含んでいたスープをあやうく吹き出しそうになった。
「へえ、そ、そうなんだ」
 彼はかろうじてそれを飲み込み、手元の皿に視線を落とす振りをしながら、隣席のブルマを横目で窺った。彼女はさして興味も無さそうにラザニアを口に運びつつ、母親の方を見ている。
「何かね、荷物を取りにいらしてたみたいなの。皆さん夕方には戻られるから、お夕食を御一緒しましょうよってお引き留めしたんだけど、すぐに出て行かれたのよ。烏龍ちゃんが何か御用があるみたいでしたわよ、って言ったら、これを、って―」
 失礼、と彼女は立ち上がり、リビングから小さな紙切れを持ってきて彼に渡した。別に用があるって訳でもないんだけど。呟きながら受け取ったそれには、この西の都でも一、二を争う名門ホテルの名と、部屋のナンバーが走り書きしてある。
「今そこに滞在されてるようなのよ。都にいらっしゃるんならうちに泊まられたらよろしいのにねえ」
 夫人は同意を求めるように娘を見遣った。ブルマは曖昧に笑って母親に返す。
「さあ、あいつにも色々都合ってもんがあるんじゃないの」
 彼女は水の入ったグラスに口をつけ、ちらりと向いの空席に目をやった。いつもなら盛り上がった食料で周囲から隔絶された感のあるそこは、主の不在で、常々彼を恐れている烏龍にさえ妙に寒々しく感じられる。
「ベジータちゃんもお出掛けみたいだし、ママ寂しいわ」
 今度は烏龍に視線を向けて、夫人が溜息をつく。オレに同意しろってか。彼は急いで彼女から目を逸らすと、目の前でまだふわりと湯気を上げているパンに手を伸ばした。


 偶然とは面白いもので、翌日の烏龍の仕事場は件のホテルであった。
 彼は変化(へんげ)という特殊技能を活かし、大手モデル事務所に所属していた。モデル達が様々な理由で撮影に参加できなくなると―それは時に我儘や仮病からであったりしたが―、事務所は彼に連絡を寄越すのだ。持続時間に多少問題はあったが、真面目にやれば彼の変化はなかなかのものであったため、重宝がられ、結構な収入になっている。
 この日は、舞台で一歩踏み出す毎に10万ゼニーを稼ぎ出すと噂の大物女性モデルと、作家との対談記事の撮影が件のホテルで行われることになっていたのだが、本人もマネージャーも、時間を過ぎても一向に現場に現れない。ばかりか、連絡すらつかない。対談相手の男性作家は―これもかなりの著名人であったが―非常に穏やかな人物であったのか、それともこの手の待ち惚けには慣れているものなのか、地面に頭をこすり付けんばかりにして謝罪する事務所のスタッフに、労いの言葉さえ掛けてくれたのだが、スタッフにも一流所を揃えたこの撮影が流れてしまっては、事務所の被る損害は甚大である。金銭面はもちろんであるが、何よりも信用問題という意味で。という訳で、烏龍にお呼びが掛かったのだ。
 大至急、と連絡を受け、エアカーを飛ばして迎えに来たスタッフに部屋着のまま担ぎ出され、車に押し込まれながら、寝不足なのによ、と烏龍が不平を鳴らした。
「それにオレ、対談なんてできねえぞ」
「対談の内容は後でライターが考えるから大丈夫。相手の先生と相談しながらね。君はいつものようにカメラの前でにっこりしててくれればいいんだよ」
 忙しく電話を掛ける合間を縫い、スタッフはそう言って烏龍をなだめる。
「だったらいいけどよ」
 だが停車した車の外に目を遣って、烏龍は唖然とした。昨日話題に上ったホテルではないか。
「ここ?」
「そ、ここだよ。さあ、早く降りて」
「いて、痛えよ」
 スタッフは烏龍を車からひきずり出し、彼を担いだまま撮影の行われる屋上の空中庭園に走った。


 昼近く、大騒ぎした割にはあっさりと仕事は片付き、烏龍は開放された。
「悪かったね、急で。家まで送るよ」
 何とか形がついたと喜ぶスタッフの一人に声を掛けられたが、彼は申し出を辞退する。
「急なのはいつもだろ。いいよ、オレちょっと用があるからさ」
「そう?でも今日はホントに助かったよ。ありがとう。みんな感謝してる」
「ま、この位は朝飯前さ。また声掛けてくれよな」
 烏龍は少しくすぐったいような気分になりながら、手を振っておどけて見せ、現場を後にした。下りのエレベーターに乗り込むと、目的の階で降りる。
 ここ、エグゼクティブフロアじゃねえのか。あいつそんなリッチだったのかよ。
 ドアのナンバープレートの金文字を追いながら、廊下を奥へと進む。
 ここだな。
 チャイムはあったが、場所が高すぎて届かない。彼は、ただ事ではない重厚な雰囲気に呑まれながら、遠慮がちにドアをノックした。しいんとして何の反応も無い。
「あのー」
 彼は、変化してチャイムを鳴らしたほうが早いかも知れないと思いながら、もう一度ノックしてみる。するとドアが細く開き、目の前に、白いハイヒールのすんなりした脚が現れた。見上げると、褐色の肌に白いドレスを身に着けたブロンドの美女が立っている。
 ヤムチャのやつ、また悪い癖が―
「烏龍!」
 美女は彼の名を呼ぶと、ドアを大きく開き、彼に抱きついてきた。
「!え?え?・・・プ・・」
「そう、ぼくだよ!プーアルだよ!」

「ヤムチャは?いないのか?」
 烏龍は、変化を解いたプーアルに部屋に通され、振舞われた缶飲料を―外で調達してきたものだろう―口にしながら尋ねた。
「ヤムチャ様、修行に出られてるんだ」
「修行?じゃお前、ここで一人なのか?」
「うん、昨日ちょっと帰って来られたんだけど、またすぐ出て行かれたんだ。もう暫くしたら迎えに来るから、って」
「一緒に行かないのか?」
「・・・行きたいんだけど、駄目だって」
 プーアルは心底悲しそうにしょんぼりと呟いた。
「厳しい修行になるだろうから、側にいると危険なんだって。それに何だか色々お忙しいみたいでさ。足手纏いになっちゃうんだ、ボク・・」
 そう言って俯いてしまったプーアルを、烏龍は懸命に慰める。
「そういうことじゃねえだろ、お前を安全な所に置いておきたいってことだよ」
「・・そうかな」
「そうだよ。それに考えてもみろ、こんな一流処で優雅な一人暮らしじゃねえか。楽しまなきゃ損だぜ」
「・・ん・・そうだね」
 プーアルは顔を上げて少し笑った。烏龍はほっと胸を撫で下ろし、と同時に、当然の疑問が口を突いて出た。
「でもあいつ、なんでわざわざこんなとこに部屋取ったんだ?西の都を拠点にするならカプセル・コーポで充分なんじゃねえか」
「それは・・ボクにもよく分からないよ」
「・・またブルマのやつと喧嘩でもしてんのかな」
 プーアルは、自分の飲み物に差し込んだストローを咥えて中身を吸い込む。
「さあ・・ブルマさんは、ヤムチャ様はここにいる、ってボクを連れてきてくれたんだけど・・あんまりヤムチャ様とゆっくり話す時間がなくて。ボクがここに来たあくる日には、もう出て行ってしまわれたし・・」
「それから昨日まで、ずっと戻らなかったのか?」
「ううん、時々は着替えなんかの荷物を入れ替えに戻って来られてたんだよ。でも慌ただしいし、何となく事情を訊けないままなんだ」
「ふうん・・」
 烏龍は自分の缶に口を付け、まだ少し沈んだ様子のプーアルを見遣りながら、中身を喉に流し込んだ。



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