艶―烏龍の憂鬱 (2)

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 日差しが緩い。
 彼らは未だ戻らない。どころか、何の音沙汰も無い。修行に出ているにしても、あれから三ヶ月近くが経っている。一度戻ってきても良い頃だ。
 なんかあったんじゃねえのか。怪我したとかさ。
 ヤムチャだって相当な武道家なのだから、滅多なことはないだろう、とは思うが。珍しく早起きした烏龍が、うららかな朝陽が差し込むダイニングでそんなことを考えていると、早朝トレーニングを終えたベジータが重力室から姿を現した。
 うう、やっぱ怖え。
 彼は、普段可能な限り顔を合わさないようにしているこの同居人の放つ刺すような空気に、縮み上がる。彼がここにやって来てもう二年半以上にもなろうというのに、慣れない。だがベジータの方は彼の存在に気付いていないのか―そんなことがあろう筈はないのだが―、烏龍を見ようともせずにテーブルの斜め向いの自分の定位置に座ると、そこに彼の為に用意されていた山積みの朝食と格闘を始めた。
 拍子抜けしたものの、彼と目を合わさずに済んだ事に心底ほっとしながら、烏龍はこの滅多にない機会にその顔を盗み見る。
 なんか雰囲気変わったんだよなあ。
 三月ほど前に念願の超化を果たしたらしいことはブルマに聞いて知っている。だがスーパーなんとかになろうとなるまいと、彼が烏龍にとって恐ろしい男であることに変わりはなかった。この男と普通に口をきいているブルマの神経が解らない。
 そういうことじゃねえんだよな。
 それは何と表現されるべきものなのだろう。烏龍は、腕組みして考え込み、苦労して一つの言葉を捻り出した。
 艶、がある。ような気がする。
(・・・オレ、男は趣味じゃねえんだ)
 しかし他に適当な表現が浮かばない。
(具体的には何が変わった?)
 彼はおよそ自分にも、目の前のこの男にも似つかわしくないその表現を、何とかして他の言葉に替える事を試みるべく、再びそうっと目を上げる。山盛りのサラダの向こうには逆立った黒髪が見え隠れしているだけだったが、見る間に山は小さくなり、黄味を帯びた肌が現れた。
 顔色が良くなった。
 それはそうだろう。超化を果たすまでの彼のトレーニングの激しさは常軌を逸していた。特に最後の一月ほどはその程度がひどく、ただでさえ常に緊張している眉間の辺りには険をさえ漂わせ、肌色はくすみ、生傷が絶えず、声など掛けようものなら瞬殺されかねないほど苛立ち、辺り一帯の空気を帯電させていた。加えて、意外なことにこの男には珍しいことなのだが、その間、この家の内外で物の壊れる頻度が異常に高まった。皿、グラス、ドア、スイッチ、窓、壁、水道のバー、シャワーヘッド、その他諸々。この男の筋力では、ほんの少し加減を誤っただけで、それらのものは簡単に壊れてしまう。そういった日常のコントロールさえ上手く行かないほど、彼は危うい状態だったのだ。烏龍は戦々恐々として過ごした日々を思い出し、空になったサラダの皿を押し退け、ゆで卵が盛られたバスケットを引き寄せている男の、一睨みで自身を昇天させそうな顔を、優しくなったとさえ感じた。
 ブルマのやつがまたひでえんだよな。
 物が破壊される度に、烏龍は彼女に八つ当たりされた。彼女は、三度に一度は男に食って掛かっていたが、男の方は相手になろうとしなかった。異常なトレーニングが始まるまでは、ほとんど楽しんでさえいるように見えた彼女との言い争いを、ぴたりと止めてしまったのだ。
 きっと、シャレにならねえからだな。
 余裕が無いとはそういうことだ。彼女の方もそれは承知していたのだろう、しつこく食い下がるような真似はしなかった。そしてその帳尻合わせの役目が烏龍に廻って来ていたのだ。
 分かってんのかよ、家中みんなお前のために振り回されたんだからな。
 彼は、卵を軽く握ってはするりと片手で殻を剥き、滑り出てきたつやつやと白い中身を次から次へと口に放り込む男の華麗な手捌きを横目で眺めながら、心の中で毒を吐いた。



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