理由 (4)

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「あんたのいたとこでも雪って降ったの?」
 なんでそんなくだらない質問をするんだ。そんなことが貴様にとって有益な情報なのか。彼はそう思いながらも、何故か無視する気になれないでいた。
「俺は一所にいたわけじゃない」
 彼を隷属させていたかつての支配者にはひどく気紛れで飽きっぽいところがあり、惑星を侵略しては拠点をそこへ移すということを繰り返していた。その下で締め付けられる生活を嫌った彼は、次から次へと仕事を請けては星々を飛び回って戦闘を繰り返していたが、さすがに全く寄り付かない訳にもいかないので、生活環境に関しては他の全ての戦闘員たちと同様、結局この支配者の気紛れに振り回されざるを得なかった。
「拠点となった星も様々だったし、ほとんどの時間を宇宙船の中か、侵略先の星で過ごした。星の気候というのは独特なものだ。知っているか、雪の色は一つじゃない。その星の大気や水分の組成、核になる物質の持つ色素、気温なんぞの条件で様々に変わるものだ」
 彼は、グラスの液体を一口含んだ。咽喉、胸と、それが通り過ぎた所に焼けるような刺激が伝わる。やはりアルコールなど摂るものではない。これのどこが美味いというのか。そう思うのに、彼は二口目を含む。何故だ。今日の自分はどうかしている―
「赤い雪を見たことがあるか」
 彼は白く染まり行く景色に目を遣りながら、女に問いかけた。いいえ、無いわ。女は静かに答える。その低く、柔らかな響きに、彼は皮膚を撫でられたような感触を覚えた。
「――」
 思わず、女を顧みる。手の中のグラスに視線を落としていた彼女が、顔を上げた。
「どうしたの」
 彼と目を合わせ、少し首をかしげる。聞かせて、赤い雪のこと。再び手の中に視線を落としながら、女は先を促した。細い首に、上げた髪の後れ毛が纏わり付いていた。このきつい酒のせいなのか、それとも帰宅前に多少入れてきたものか、薄暗がりでもほんのりと上気している様が見て取れる。彼は金輪際振り向くまいと決め、自身の視線をそれから引き剥がして窓の外に戻した。
「別に珍しいもんじゃない。核になっている砂なんぞの物質の色が赤いというだけのことだ。あちこちで目にした。だがその悉くが、赤砂が交じった白い雪という以上ではなかった」
 からん、とグラスの鳴る音がする。女の咽喉を飲み物が降りてゆく音が、彼の耳に届いた。
「だが一度だけ、鮮やかな緋色の雪を見たことがある。俺がガキの頃、フリーザの元へ行くために母星を出発する時だったから、印象に残ってる」
 それが、初めて目にした雪であり、最後に目にした母星の景色だった。赤い土、赤い大気、そして降りしきる赤い雪。見送りに出た父王を取巻いていた側近や兵士達は、滅多に目にしない、しかも鮮やかな色の雪に動揺し、晴れの門出に何と不吉な、とざわめいた。
『緋は、我が王家を象徴する色だ。吉兆であろう』
 だが王のその一言で、ざわめきは感嘆と喜色を含んだどよめきへと変化した。父は確かにある種のカリスマだったな。彼は、そのとき幼いながらも自分が人々の目の中に見出した色を思い起こした。
「いくつだったの」
「・・さあな。はっきりとは覚えていない」
 四、五歳ってとこじゃないのか。窓外に目を置いたまま、彼は三口目を含んだ。人質だとしても、幼過ぎるわね。女は呟き、瓶を持ち上げると、空になった自分のグラスに液体を注いだ。
 まずい。彼は目の端でそれを捉えながら、この女の酒癖の悪さを思い出す。いつかのように絡まれるのは真っ平だ。瓶を取り上げようかと考えたが、常とは違う女の様子は、その必要を感じさせるものではなく、彼はもう少し様子を見ようと思い直した。
「貴様、会社に顔を出すとか言ってたんじゃなかったのか」
 不意に彼は彼女の母親の言葉を思い出して言った。同時に、修理が必要になっている重力室のことを思い出し、そんな重要なことを忘れてこの女にとりとめの無い話をしている自分に驚き、口に含んだ最後の一口を飲み込みながら、小さく笑った。
「なに?どうしたの」
 いきなり笑ったりして。女は不審そうに彼の方を見た。彼はふふんと鼻を鳴らし、テーブルの上の瓶を取り上げる。変なの。グラスに液体を注ぐ音に、女の鼻白んだような呟きが重なった。
「もういいのよ、どうせお偉いさんやら魂胆ミエミエの男の相手させられるだけなんだから」
 今日はそんなこと出来る気分じゃないわ。彼女はソファの背に倒れ込みながら大きく息を吐き出す。自分でも何故かは分からなかったが、彼は今重力室の話を持ち出す気にはなれないでいた。
「貴様は四、五歳が幼いと言ったが、そんなことはない。戦闘は生まれ落ちてすぐに始まる」
「知ってるわ。生まれるとすぐに強さで振り分けられて、ってやつでしょ」
 彼女は以前、彼らの種族が生を享けると、すぐに戦闘力で振り分けられて、赤ん坊のうちからそれぞれのレベルにおける戦いを始めるのだということを彼自身から聞き出していた。だが彼女が幼過ぎると言ったのは、戦闘開始の年齢のことではなかった。
「でも、あんたはやっぱり特殊だわ。そんな小さなうちに仲間から引き離されたんだから」
 普通は、一生サイヤ人同士で組んで戦うんでしょ。いくら親子も仲間も関係無いなんて言ったって、あんたが経験してきた世界とはやっぱり違うと思うわ。女が呟く。
 彼はグラスをテーブルに置いた。腹の底のほうから笑いが込み上げ、体をゆさぶり始めるのが分かった。何がそんなに可笑しいんだ。彼はしかし自分が笑い出すのを抑えることが出来なかった。
 女が、呆気に取られて自分を見ているのが分かった。戦闘時の挑発以外で馬鹿笑いするなど、主義に反している。だが、止まらなかった。彼は体を仰け反らせ、膝を叩いて大声で笑った。
「・・ああ、傑作だ」
 まったく、今日はどうかしている。彼は片手で両の目尻を押さえながら、やっとのことで笑いを収めた。
「・・あんた、笑い上戸だったのね」
 馬鹿言うな。全く、碌な事を言わんな。彼は一口含み、女を横目で軽く睨んだ。
「お前、人質と言うが、フリーザに召し上げられるということは名誉な事だったんだぞ」
 実際そう感じていた訳ではなかった。
 名誉なことだと教え込まれ、そう言葉に出す事を強要された。だが、彼は誰にも支配されてはならない子供だった。幼い事は、隷属を受け入れる理由にはならなかった。縛められる屈辱に耐えたのは、今はまだ力不足だということを自覚していたからに他ならない。
 それに、フリーザの膝元は自分を磨くには悪くない場所だった。ここで、誰より強くなる。いずれは、自分に膝を折らせているものを組み敷いてみせる。彼は自らの持つ可能性に、強い自信と誇りを抱いていた。
「それに、奴等を『仲間』だなどと、考えたこともなかったな」
 あの日、迎えの船に乗り込む彼を見送った同族達。彼らに抱いたわずかな思いといえば、いずれ自分の手で統治する星の者達なのだということだけだった。言われるがまま自分を差し出すしか成す術を持たなかった父に至っては、王でありながら情け無いことだという侮りに近い思いしか抱かなかった。
 自分は、彼らとは次元の異なる存在なのだ。生きる世界は違っていて当然だ。まして有象無象の下級戦士達など、同じ人間だなどと考えたことも無い。
 ―くそ、カカロット―
 いやな名前を思い出し、思わずグラスを持つ手に力が入ってしまった。ぐしゃりという音と共に、ガラスの欠片が彼の手の中からこぼれ落ちる。彼の手で大きく割れたそれは、床で、透明な音を響かせて更に細かく砕けた。
「ちょっと、何やってるのよ!」
 女は叫び、自分のグラスを置いて、彼の右手をとった。
「・・触るな」
 彼は低く言ったが、女の耳には届いていないようだった。彼女は両手でそうっと彼の掌を上に向け、じっとしててよ、と立ち上がった。手の平と薬指に大小の破片が突き刺さっている。そこから溢れて来るものが、彼の手の中にみるみるうちに小さな血溜りを作った。



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