理由 (1)

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 珍しく、朝から雨が降っていた。

 間の悪いことに、女は昨晩自分の男と出掛けたきり戻っていない。そのことに思い至り、彼は昨夜の夕食の席を思い出して少しげんなりした。女の母親が、訊いてもいないのに「明日は聖人の誕生日の前夜祭で、皆でそれを祝うのだ」だの「今日はブルマはヤムチャと泊まりで出掛けているのだ」だの、べらべらと喋って聞かせるのだ。
 毎度の事ながら、返事も無いのにああして喋り続けることが出来るのには恐れ入る。少しは黙って食い物を口に運んだらどうなんだ。貴様の口は役にも立たん事を音声にして流すためにだけ付いているわけではなかろう。大体そんなに喋っていていつ咀嚼するんだ。
 彼女のおしゃべりは、彼が席を立つまで続いていた。聖人の生い立ちやその一生に始まり、その誕生を祝って行われる街を挙げての大騒ぎや、その日のために各家々で用意される料理や菓子類のことに話が及び、果ては明日カプセル・コーポで催される祝いに出席しろとまで言い出す始末だった。彼が返事をしないでいると、彼女はそれを『諾』と受け取ったのだろう、やれベジータちゃんのタキシードは作ってあったかしらだの、明日はパパとベジータちゃんで両手に花よだの、一人で大騒ぎを始めた。彼はチキンの最後の一本を食べ終えると、ボトルの水を飲み干し、うんざりしながら席を立った。
 ・・あの女は苦手だ。あれの娘は下品で喧しくてどうしようもないが、母親の方よりはましだ。あれは、訳がわからん。
 彼は、どう接してよいか全くわからない理解不能な女の止め処無いお喋りを思い出して、小さく溜息をつく。
 まあ、いい。そんなことよりもだ。彼は、電源の落ちてしまった重力室の内部を見回して今度は大仰に溜息をついた。全く。もう少し性能の良いものは作れんのか。ひとりごちながら扉を開ける。
 彼が、何度も死の淵から生還しながら漸く超化を手にして以降、故障の頻度が高くなっている。それが肉体の劇的な変化が彼にもたらした強大なパワーに起因するものであることは明白だった。この家の誰もまだそれを知らないが、メンテナンスをする二人にはパワーアップの程度を見せておいた方が良いのかもしれない。完全に変化をコントロール出来るようになった訳ではないので、彼としてはまだその状態を人目に晒したくはなかったのだが。
 女は昨夜から出掛けているし、父親の方も気配が感じられない。彼はメンテナンス要員が二人とも留守であることに憤慨しながら、汗を流そうと屋内へ移動する。廊下を歩いていた彼は、最も苦手とする人物にリビングから声を掛けられ、思わず渋面を作った。
「ベジータちゃん、そろそろお支度、お願いしますわね」
「支度?」
 何の話だ。彼はリビング内部に目を移して、絶句した。
 中心部に、高い天井に届きそうなほど大きな木が生えている。よく見ると、三抱え以上もあろうかという大きな容器に据え付けられているもののようだった。それが銀と青の細い布や、クリスタルだろうか、数々のオーナメント類で飾り付けられている。おまけに部屋のそこここに白いバラが溢れ、一種異様な雰囲気だった。
「いやだわベジータちゃんたら、お忘れになった?今夜は会社主催のパーティーに御一緒して下さるって仰ってたでしょう?」
 夫人は、裾の長いシャンパンゴールドのドレスに身を包み、同系色の真珠の首飾りとピアスを付けていた。ソファの上には小さなバッグと白い手袋が置かれている。
「俺は行くと言った覚えはない」
「まあま、いつ見ても逞しいお身体ね。殿方の汗って素敵だわあ」
 貴様、聞いてないな。彼はうっとりと自分を眺めている彼女を見て意思の疎通を諦め、今最も知りたいことについて質問することにした。
「貴様の夫は、いつ戻るんだ」
「あら、今日は夜中まで戻りませんわよ。今、会社に出ておりますもの。そのままパーティーに出席して、そのあと別に三つほどかけもちで・・」
「分かった。貴様の娘はいつ戻る」
「ブルマさん?さあ・・会社の方には、夜に顔を出すようなことを言ってましたけれど・・」
 首を傾げる夫人を前に、今日は重力室を使用するのは無理だと見切りを付け、彼は自室に戻るために再び歩き出した。その背中に彼女が声を掛ける。
「タキシードお部屋に準備してますから、お着替えが終わったら降りてらしてね」
「俺は行かん」
 彼は振返らず、足も止めずにぴしゃりと返した。まあ、お行きにならないの?心底意外そうな声が響く。本気で彼を連れ出すつもりだったらしい。困ったわ、それじゃあ会社までどなたにエスコートして頂こうかしら。たいして思案しているふうでもない彼女の声が、遠ざかってゆく。同じ敷地内なのに、エスコートもクソも無いだろ。彼は心中でそう吐き捨てた。



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