理由 (2)

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 部屋に戻ってシャワーを使い、人心地つくと、彼はラフな部屋着を身につけ、食事を摂るため部屋を出ようとした。ふと、ハンガーに掛けられたタキシードに目が留まる。
 まったく、非効率的な格好だな。あの女の母親の身につけていたずるずると長い服といい・・まあ、あれは娘の方ほど趣味は悪くない。いや、娘の方も趣味が悪い訳ではないが、如何せん、下品すぎる。
 人のものを選ばせたら、センスも最悪だしな。彼はダイニングに移動しながら、ここに来た当初の、ブルマとの火花の散るような日々を思い出す。
 確かに彼に似合わないでもないが、どう考えてもふざけているとしか思えない服を、次から次へと選んでは繰り出してきていた。彼の美意識がそれらに拒絶反応を起さないでは無かったが、文句を言えば女を面白がらせるだけだし、第一そんなことでいちいち争うなど―しかも女と―それこそ滑稽に感じられたので、ほとんどの場合、提供されたものを黙って身につけて、いや着こなしてみせていた。それはある意味、彼と彼女の戦いの日々であったと言っても良い。彼ともあろうものが防御に徹し続けなければならない戦いだった訳だが。
 だが謎の少年が未来からやってきた日を境に、彼の、それまでとは比較にならない激しいトレーニングが始まると、この戦いは突然幕を閉じた。彼には、女の悪ふざけになど付き合っている暇はもうなくなってしまったし、彼女の方も、彼に毎日のように言い渡される無茶苦茶な注文や、普通は死ぬだろうというような大怪我を何度も負う男の世話に追われたために、そんな余裕はすっかり失ってしまったのだ。
 趣味はともかくとして、その点は認めてやってもいい。
 彼女は彼の注文に、曲がりなりにも応じ続けた。構うなというのに、怪我人なのだから大人しくしろ、と何くれとなく世話を焼かれるのには閉口したが、彼が超化を手にするまでの七ヵ月半のあいだ、彼女は睡眠を削って、彼の傍でがむしゃらに働き続けたのだ。彼は、結果的に人造人間から命を守ってもらうことになるのだからその位当然のことだと思いながら、それでも解しきれない思いでその様子を眺めたものだ。
 恐怖から従うというのではない。ここに来た最初の頃に彼が試みたその種の脅迫が、彼ら家人に通用した試しはほとんど無かった。彼らはどんな恫喝も、柳に風と受け流してしまうのだ。彼はなんだか馬鹿馬鹿しくなって早々にそれを諦めてしまった。そんな彼らも、余裕を失い毎日今にも切れそうに殺気立っている彼を見て、刺激しない方が良い、くらいのことは感じていたようだったが。
 冷静に思考する余裕を取り戻した今、彼は少し不思議に思っていた。なんだかんだと文句を言ってはいたが、結局彼らは彼に協力を惜しまなかった。やがて来る脅威がそうさせているのかと思っていたのだが、今はそれだけではないような気がしている。地球人の持つ人の好さ、甘さなのだろうか。まあ何にせよ、好都合だが。思いつつ、彼はダイニングの扉の前に立った。

「ああ、ベジータちゃん。ごめんなさいねえ、今日はまだお食事出来てないの。ベジータちゃんも御一緒して下さると思ってたものだから準備してなくて・・今調理ロボットさんに作ってもらってるから、出来上がるまでこのカプセルのお食事で我慢なさって頂戴ね」
 鼻に掛かった甘ったるい声で言い、彼に食料カプセルを渡すと、夫人はいそいそと手袋をつけ、支度の仕上げを始めた。彼は無言でそれを受け取り、食料カプセル展開用に開けられているテーブルの窪みにそれを差し込むと、ボタンを横に倒す。普通のカプセルと展開の方法が異なるが、こうすることで、食料がある程度セッティングされた形で出てくる。
 彼にこういった種類の事を教えるのはブルマだった。野外トレーニングに出掛けようとする彼に、彼女はカプセルハウスやこの食料カプセルがいくつも入ったケースを手渡し、ひとつひとつ使い方を教えた。のみならず、日常生活の細々したことに至るまで教授して聞かせる。ちゃんとお風呂に入りなさいよね。戦闘服なんかはこのカプセルに何着も入ってるから、毎日着替えるのよ。ああそれから、帰るときにはハウスはカプセルに戻して持って帰ってきて頂戴よ。それからねえ・・・彼女はまるで小うるさい教育係のように彼に教え込んだ。いちいち聞いてはいなかったが、彼女の言うことは合理的なので、結局言われたとおりにしているような形になってしまう。
「残念だわ。ベジータちゃんにエスコートして頂こうと思ってたのに。いつもの、あのお体の線を強調なさるようなお洋服も素敵だけど、きっとタキシードなんかもお似合いよ」
「早く出掛けたらどうだ」
 にこにこしながら自分をみつめる女に、彼は鬱陶しそうに言い捨てた。あらそうね。もう行かなきゃ。夫人は彼に、じゃあお留守番お願いしますわね、と声を掛け、玄関へと向かう。
 知るか。何がお留守番だ。彼はポテトサラダのケースを開け、ぐさりとフォークを突き立てた。

 食事を終え、皿が山積みになったダイニングテーブルを離れると、彼はそのまま次の間のリビングへと移動した。給仕ロボットが、ダイニングテーブルに用意しようとしていたコーヒー一式を手に、彼の後を追ってリビングへと入って来る。
「シテイサレマシタメニューハ、イジョウデス」
 給仕ロボットはリビングのテーブルに、温められたコーヒーカップとコーヒーポット、ミルクピッチャーとシュガーポットを用意すると、プログラムされた食事はこれで全部だと告げてダイニングへと戻って行く。もう一体がテーブルの上の皿などを片付けているのだろう、奥の台所の方からは、食洗機に皿を入れ込んでいるらしいカチャカチャという音と、ロボットの立てる小さなモーター音が微かに聞こえてきた。それ以外に音と呼べるものは、彼の鋭敏な耳にも何も届いてこなかった。今日は一際大きい筈の街の喧騒も、この高台にある建物までは届かない。
 静かだ。
 彼の良く知る静けさとは違っている。沈黙の中に感じる大気の流れも、淘汰から漏れた動植物の引き起こす小さなざわめきも、遠くで何かが炎に爆ぜる気配も、今はなかった。心が、凪いでいる。不思議だった。静寂を経験したのは初めてなのではないかという気がした。奥で食洗機の稼動する小さな音が、無音を却って強めている。テーブルの上の操作盤で照明を落とすと、彼は一層自分が落ち着くのを覚えた。
 目の端を、何かがよぎった。見ると、さっきまで雨だった窓の外に雪が積り始めていた。そういえば、雨音が止んでいたな。彼は窓辺に近づき、分厚い窓越しに、それでも伝わってくる外気の冷たさを肌で感じた。この位は寒いと感じない彼だったが、そうしていると、何だかテーブルの上の普段進んでは口にしない嗜好品の温かさが欲しくなり、ソファに戻ってカップにコーヒーを注ぐ。香ばしい薫りのする湯気が辺りに漂った。



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