sweet season (2)

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 「ただいま」
 リビングに顔を出すと、両親が揃って午後のお茶を飲んでいるところだった。
「あら、おかえりなさい」
 彼女の母はにこにこと立ち上がり、ブルマさんの分も用意しますわね、とダイニングの方へ足を運んだ。彼女の父はその後ろ姿を見送りながら、母さんのお尻はいつ見てもセクシーだねえ、と真面目な顔で呟く。
「そう思わんかね」
 彼は娘を見上げて声を掛けた。
「ベジータは?まだ戻ってないの?」
 ブルマは父を見下ろして訊ねる。ふむ、見掛けてないな。髭の下に隠れた口元から、吹き出された息に押されて白衣の膝にこぼれたクッキーの欠片を眺め、彼は答えた。
「気になるのかね」
 小さな欠片を摘み、菓子皿の上で指を合わせて擦り落としながら彼女に尋ねる。
「別に」
 返答を要求されている訳ではないと分かっていたが、彼女は敢えてそう答えた。紅茶のカップに口を付けながら、ふむ、と彼は曖昧な声を漏らす。
 時々ふらりといなくなることはあったが、夕食時には毎日姿を現していた。だがあのサイヤ人は今日で五日、戻っていない。ここのところでは珍しい事だった。
「人騒がせな奴だわよ」
 彼女は父の斜め向かいの一人掛けのソファに腰を下ろし、不平を鳴らした。
「何をやるにも周りを巻き込むのよ、あいつは」
「そうかねえ」
「何言ってるのよ、父さんだって犠牲者の一人じゃないの」
「儂は特に不都合は感じないよ」
「―腹が立たないの?」
「何に腹を立てるんだい」
 彼女の父はのんびりとそう言い、紅茶をゆっくりと口元に運ぶ。
「やっぱり母さんの淹れてくれたお茶は旨いな」
「あのね父さん―」
「なあブルマ」
 彼は手の中の紅い水面から目を上げ、娘の顔に視線を移す。
「彼にはここ以外に戻るところなんかないんだろう、そのうち帰ってくるよ」
「・・だからこそよ。ずっとここに住むんなら少しはここのルールってものを―」
「彼のルールじゃないんだろうよ」
 強制は出来ないさ。湯気に曇った眼鏡を外してテーブルの上に置きながら、父は言った。
「どこに行くから何日留守にするって一言残すだけじゃない。何が強制なの」
「どこへ行くつもりなのか自分で分かってるのなら、そう出来たかもしれんな」
「――」
「お前の言ってることは正しいと思うよ。だがな、出来ることなら受け入れておやり。彼はこの地球に来てまだ2年にしかならんのだから」
 年数は関係ないわよ、絶対。しかし紅茶を含み、ふむ旨い、と呟く父に、その言葉を投げることはしなかった。


 エレベータを降り、自室近くの書斎に続く廊下を進む。自分の靴音が、いやに大きく響いた。
 あの男がここから居なくなって都合の良くない事情など何も無い。今更彼がこの星をどうこうするつもりだとも思えなかった。自らを高めること以外に彼が興味を抱こうなど、今はもう想像出来ない。
 ああ、もう。
 そこまで考え、重苦しさに囚われてしまった自分自身を再び見出す。呆れるほどに彼が自分を高みへと駆り立て、その情熱を傾けた対象は、既に失われてしまった。
 彼が視野の内にいるのなら、目を逸らすことも出来よう。だがそうすることが不可能なまま、彼女の視界は彼に占領されてしまっている。脳裏から離れないその姿が、彼女の視野の他の全てを薄ぼんやりと曇らせる。
 困ったわね。
 何故なのだろう、と思う。
 自分はどうしてこんなにあの男に振り回されてしまうのだろう。他人事のはずなのに、何故ここまで深刻な気分にさせられるのか。何故、見過ごすことが出来ないのか。自分は彼に一体何を望んでいるのだろう。直視することに痛みを伴うあの空虚が消える日など、来る事は無いのだろうに。
 窓辺の観葉植物が、ガラス越しに広がる冬の空に少し褪せた緑を伸ばしている。それは、季節が巡れば力強く色を取り戻す。命一杯に花を開く。
 彼女はそれから目を背けた。何だか泣きたい気分だった。



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