innocent (2)

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「おい、お前」
 車で病院まで送ろうというブルマの申し出を断り、立ち上がったクリリンを、ベジータが呼び止めた。
「なんだ?」
 クリリンは、彼から声を掛けてくるなど珍しいこともあるものだといった様子で少し驚きながら、ソファの傍で立ち止まった。
「あのガキ―カカロットのガキだが、あれは死なせるな」
「―悟飯か」
「可能性があるのは、あいつだけだ」
 言いながら、ベジータは自分の口から漏れ出た言葉に驚愕していた。自分以外の人間に、自分以上の可能性を認めるなど―ましてあの下級戦士の子供に。
 彼の戦いは、常に彼だけのものだった。かつて生業としていた星の地上げの際に使った部下やその他の人間は、彼が生き、彼が勝ち残るためだけに存在した。
 可能性?何のだ。
 勝利を手にする可能性。悟飯はまだ子供だった。これから桁外れに伸びてゆく可能性を秘めている。しかも、あのカカロットの息子なのだ。
 だがそのとき手にする勝利は、彼のものではない。
 リビングに一人残ったベジータは、身体が冷えていくような感覚を覚えた。つまり、自分は絶対に―時間があるなら話は別だが―あれらを倒す事は出来ないだろう、と彼は考えているのだ。脳裏に浮かんでくるのは敵を踏みにじる自らの姿ではなく、大地に倒れ伏して冷たくなった自分であった。この戦いに勝ちを収められないということは、そういうことである。 
 ただ、戦った末の結果としての死を受け入れることと、敗北を受け入れて死ぬことではまるで意味が違ってくる。戦意を失い、絶望に打ちのめされ、相手の成すがままに死んでゆく。それが、彼がかつて異星で経験した決定的な「敗北」だった。
 その意味で、彼は決して敗北することはないと言えた。行き着く先に死しか見えていない今の状況で、それでも彼は戦う事だけを考えている。絶望に囚われてもいない。彼は、かつて自分が迎えた惨めな死を思い、今の自身の状態に安堵を覚えた。彼にとって本当に恐ろしいのは、死そのものではないのだ。それを引き裂いた男の他界によって永遠に塞がらない傷を抱えてはいたものの、彼は最期まで誇りを失わずに済みそうだった。
 だが、熱は既に失われていた。
 彼が人生の大半身を置いた世界で、力はすべてであった。彼が自身の出自に拘ったのは、その血こそが自身の力の証となるものだったからだ。彼はその身に享けた覇者の血によって、常に一族で最強であることを求められ、自身もそれをあたりまえの事として成長してきた。その重圧は、一族のほとんど全てを失った後も彼に圧し掛かり、しかしそれがもたらす誇りは、どんな状況においても彼を支え続けた。絶対的な力を持つ支配者の下にいても、それは変わらなかった。彼は自分のもつ可能性に強い自信を抱いていた。
 彼のすべてと言えるその誇りをずたずたにしたのが、同族の最下級戦士であったカカロットだった。一介の下級戦士である彼との勝負に於いて、ベジータは勝ちを収めることが出来なかったのだ。だけではない、あれはフリーザを殺した。許せなかった。長きに渡って彼に服従を強いてきた男を滅ぼしたのは、彼自身ではなかったのだ。誇りに受けた傷を回復させる為には、再び戦い、倒すしかない。ベジータは、そのことだけを考え、高みを目指した。
 だが彼の仇は、病で他界してしまった。呆気無かった。
 繰り上がりで頂上に辿り着いたところで、無意味なのだ。自分の手でそれを取り戻さない限り。その機会は永久に失われた。彼はその時、冷えてしまった。熱を、失ったのだ。
 二体の人造人間と戦い、その圧倒的な強さを感じたとき、彼は自分がすうっと落ち着くのを感じた。かつての彼なら、自分の不甲斐なさに激怒したことだろう。だが今はただ、静かだった。どこかでこれを待っていたような気がした。不思議だが、悪くないと感じた。
 それは良いとしてだ。
 不可解だった。常に勝負を自分ひとりの中でだけ完結させてきた彼であるというのに、終生の仇とした男の血を享けた子供を遺して行こうという考えが、一体自分のどこから生まれたものか。
 惜しんでいるのか。
 カカロットの血を。考えたくないが、それはあるだろう。悟飯は、状況によってはその父よりも強くなるかもしれない可能性を秘めていた。可能ならば、その成長を見たい気がした。戦ってみたい気がした。
 戦ってみたい。その気持ちは彼の体温をわずかに上げる。だが所詮、刹那的なものでしかなかった。
 あれは、カカロットではない。
 悟飯だけではない。人造人間とて同じであった。わずかに上がった彼の体温を、かつて彼を支配した熱にまで高めることは、彼らには出来なかった。
 代わりはいないという訳か。
 我ながら笑える。たかが下級戦士一人に拘って―
 だが彼にとって誇りとはそういうものだった。他の誰と戦い、誰を倒そうとも、もはや彼は自身のプライドを取り戻すことは出来ないのだ。件の男の死は、彼の心の半分を、殺した。



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