その朝空はまぶしく輝く (2)

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 お互い、ある意味惹きあっていたのだとは思う。
 ふと身体が触れ合った瞬間に流れる空気。内面を表す語彙の持ち合わせが極端に少ないのだろうこの男の、漆黒の瞳に一瞬走る色、それを隠すかのように不機嫌に伏せられるまぶた。彼女を侮辱しているとしか思えない無礼な態度や言葉の端。それらの徴(しるし)は本当に微かで、余程注意を向けていなければ気付かない程度のものだったのだが、彼女はあるとき確信したのだ。
 それを何と呼ぶのか知りはしなくとも―はっきりと自覚があるのかさえ定かではないが―この男は、私を欲している。
 そして彼女はスイッチを押してしまった。
 まだ早い―頭の片隅で、理性の叫ぶ声が響いた。もっと時間を掛け、もっと自分に有利な状況にもってゆくべきだ。しかも相手は普通の男ではない。元宇宙の地上げ屋の軍人で、物心ついた時から殺戮と破壊を生業としてきた異星人の戦士。加えて王子。精神構造に自分たちと根本的な違いがあって然るべき生き物。彼女の存在を彼に顕示し、刻み付ける為に、もっと十分な時間を掛ける必要がある。
 だが、理性は封印された。
 この男の身体の下で、理屈でどうにか出来るものではない。彼の肉体が与える嵐のような時間が通り過ぎた後、その腕に身体を預けたまま、彼女はぼんやり考えた。つまるところ、自分は既に囚われていたということなのだろう。その男の微細過ぎるサインを見逃さなかったのだから。自分の隅々に満ちるこの深い悦びを、彼もまた感じていれば嬉しい、と思ったのだから。

 それからずっと肉体関係が継続している―それってちょっと素敵じゃない響きなんだけど、と彼女は思う―愛だとか恋だとかとは言い難い関係が。
 彼は相変わらず彼女に尊大な態度で接していたし、別れた恋人と彼女がやっていたように人前でキスやハグを交わすなど、太陽が西から昇るよりもっとありえないことのように思われた。何も告げずふらりと出て行って何日も帰らないのも以前のとおりだし、ちょっとしたことから罵り合いが始まるのも、彼がカプセル・コーポにやってきた日から変わらない。
 何より彼らの間には束縛が無かった。
 彼は、ああいう、強くなること以外に興味が無いようなストイックな男なので、そういった意味での束縛は彼女にとって端から必要を感じないものではあった―仮に必要だったとしても、あの野生動物のような男を鎖に繋いでおける訳もないのだが。
 そして彼もまた彼女を縛ろうとはしなかった。三十年以上生きてきてはっきりしていることだったのだが、周囲の誰をも釘付けにせずにはおかない魅力が彼女には備わっていた。仕事柄、あるいは立場上、彼女は男性と行動を共にすることが多かったが、彼はそれについて何の反応も示さず、一切関心を抱いていないようだった。したたかに酔って連れの男に担ぎこまれても、彼の口から漏れる言葉は「重力室を修理しろ」だの「食い物のカプセルのストックが無い」だの「新しい戦闘服を用意しておけ」だのという彼女への注文か、恐ろしく冷ややかな声音で吐き捨てられる「酒癖の悪い女だな」とか「俺に絡むんじゃない、殺すぞ」といった類のものだけだった。
 それを期待できる相手ではないのは分かっていた。それに彼女は、いちいち妬かれていて勤まるような立場にある訳ではないのだ。解ってはいても、やはり時々砂を噛むような空しさを覚える。
 あの男にとって、私は何なのだろう。
 修理工で専属の科学者で抱き心地のよい女、といったところか。別にそれ自体悪くはない。そのどれ一つ取っても、自分は彼にとってこの地球で最高レベルであることに彼女は疑いを抱いていなかった。しかし彼女は、自分がいつかは彼にとってそれ以上の何かに成りうる女であれば良い、と考えないではいられない。
 このままでは寂しすぎる。自分はともかく、あの男が。

 肉体的相性は、しかしそれら全てを帳消しにしてしまう。
 いやむしろ、彼女を忙殺するその身勝手さも、無礼極まりない言動も、時々感じる空虚や不安も、全てその程度を高めるエッセンスになるとさえ言って良かった。大袈裟かもしれないが、彼女は、自分にとってこれ以上の肉体は、たとえ世界中探しても見つからないのではないだろうかという気がしていた。触れた箇所で互いが対流しているような、溶け合うような一体感。彼が引き起こす波動は、身体の中心から鼻の奥を突き抜け、四肢を走り抜けて爪先で共鳴し、彼女を極限まで追いつめた。そして、彼女は完全に自らの支配を手放さざるを得なくなる。
 彼にとっても同様なのかどうか、それは分からない。互いが互いにとって特別であるのか、あるいは彼が―宇宙人であることは多分この際関係ないだろう―特殊なだけなのか。そして空恐ろしい気分になるのだ。肉体以外に何のレスポンスもない、「束縛しない」相手が、こうやって自分を「縛めて」いるという事実に。

 それが彼らの関係だった。世の中がそれを何と呼ぶかは、わからない。



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