覚醒(1)

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 この惑星には、いくつかの季節がある。
 雨季と乾季、そのそれぞれに暑期と寒期があった。雨季といっても延々降り続け水浸しという訳ではなく、乾季とてカラカラに乾き一粒の雨も落ちてこない、というほど極端ではない。両季の降水量に明確な開きはあるが、体感的に見ると、雨季は多少湿気が高く不快指数が上昇するという程度である。ただ寒暖の差は顕著で、雨季がピークを迎える頃の暑さと乾季が深まる頃の寒さは、それなりに厳しい。
 その女に初めて会ったのは、季節が雨季から乾季に変わろうとするころ、日々薄くなる湿気が名残惜しげに空気を甘く香らせる、そんな心地良い日の暮れ時であった。
 取次ぎの女官に案内されて入室してきた姿に、まず奇妙な違和感を覚えた。
 普通、女官と妃は明らかに違う。纏う装束のせいではない。確かにそれも異なっているが、両者が裸で立っていたとしても見分けはつく。一度でも王と通じた女は、その香りをいつまでも体からたなびかせているからだ。
「御挨拶が遅れまして」
 だが彼女の前にゆるりと佇む女からは、それが感じられない。といって、女官に間違えられる事もないだろう。かれらであれば常に漂わせている、ぴしりとした緊張感が無いのだ。背高窓から長く伸びる陽の光の中で、金茶の衣装に濃淡を施す小さな飴色の飾り玉がきらきら輝いている。女は「チコ」と名乗った。
「愛らしい御名ですこと」
 椅子を勧めながら言って、彼女はちょっと口元を緩めた。下級戦士の娘なのだと聞くが、いかにもそうした身分のままの軽々しい名だ、と思ったのだ。
「お耳汚しで、恥ずかしゅうございますが」
 しかし、そう言って首を傾げる頬にうっすら差す赤味や、見事にまろやかな肩の線、布地越しにも判る二の腕のふっくらした美しさは、生粋の貴婦人には醸せない温(ぬく)みのようなものを女に与えている。顔から首筋をなぞるように波打つ控え目な巻髪には、知性を感じさせるおだやかな艶があった。それが為か目元にある小さな黒子やぽってりと赤い唇の婀娜っぽさも、絶妙な線で下品には映らない。
 そもそも、後宮入りできる身分ではないと聞く。さる貴族の館に踊り子として仕えていたところ、どういう経緯でか現王の太子宮に引き抜かれたのであるらしい。そのようにして王の目に留まった女は古今少なからずあるが、出自が出自であるだけに、妃の位まで授けられた者は多くなかった。であれば、この大変な栄達に際して改名などしても良さそうなものだが、この女はそうしなかったらしい。それがいかにも可愛気のある事だ、と感じて彼女は笑ったのである。
「先日、御出産なされたとか」
「はい」
「御子共々お健やかとのこと、何よりでありました」
「ありがとうございます。けれどそれがために長い間失礼を」
 とは、『挨拶が遅れた』という件のことであろう。後宮入り当初、多くの女が偵察を兼ねて彼女のもとを訪れた。階級制度は、外界と隔絶された世界でも厳然として生きている。幾人子を持とうとも上下が覆るということはなく、ただ王の生母だけはその則の外に置かれる感があるのだが、通常次期王となる子は高位の女の腹から生まれるものであったため、それもあまり意味を成す慣習ではない。同じほどの分際の女は幾人かあったが、彼女はこの厳格な階級制の頂点あたりに身を置いていると言ってよく、彼女自身が望むと望まざるとに関わらず、賤しい身分の女が無視して通せる存在ではなかった。現に初顔合わせであるこの妃も、既に以前、白絹を持たせた女官を代理として寄越している。
「話には聞いております、御懐妊中は大変なのだとか」
 身籠っている女にとって、後宮は安全な場所ではない。サイヤ人の女は概ねからりと陽気だが、後宮内の妊婦がその腹で育てているのは王の子であって、直属の女官を除き、そこに住まう女達がそれを快く思わないのは無理からぬ話だからだ。隙あらば産まれ落ちる前に葬ってやろう、と手薬煉引く輩が必ずある。
 王がまだ太子だったころ、妃の一人が初めて懐妊したとき、太子宮内で一応緘口令らしきものが敷かれたらしい。だが漏れぬはずがない。無駄なのである。王も(そのころは王子だ)それは承知していたようで、『漏洩しているらしい』という報告を受けた時も、さもありなんよと眉を動かしただけだったという。
 それが(彼の後宮の)外の話であれば、血の雨が降ったかもしれない。ほとんど常時、どこかしらと戦争状態にある彼らにとって、機密の漏洩は深刻な事態である。激怒しただろう。だが奇妙なことに舞台が後宮に移った途端、彼は万事簡単に匙を投げ出してしまう場合が多かった。というよりも、端から関わりたがらないのである。女の世界は女で管理せよという事か、あるいは単に面倒なのかもしれない。それでも不可避的な流産を除いて一件の「事故」の履歴も無いのは、ひとえにこの後宮を取り締まる女官長の力量だと言えた。
 彼女は懐妊中の女を、出産まで軟禁に近い状態に置く。他の妃を訪ねるなどとんでもない事で、到底許されるはずもなく、そういうわけで「挨拶が遅れる」という事になるのだ。どんなに身分の高い女であろうと、そしてその女がどんなに拒もうと、それを実行する権限を彼女は持っている。すなわち女官長とは、単なる官吏ではない。
 屈強な女護衛達に四六時中妊婦の周囲を固めさせ、食事は彼ら全員が毒見を済ませてからでないと与えない。入浴は(湯などに毒が仕込まれないとも限らないので)彼らの少なくとも一人が全身を浸した湯しか使わせない。早朝の極秘会議で決定した以外の場所には移動させないし、その移動も、先導部隊が(毒物などの飛散が無いか)空気の状態を確認した後に敢行される。彼女はやることなすことそういう具合に徹底しており、懐妊中の女達は、だからその実情を知るものからは気の毒がられもした。
「お子は確か・・お三方?王子お二人に、姫がお一人」
「はい、中の一人が女子でございます」
「陛下もお喜びでしょう」
「労ってくださいました。お優しい方です」
 とチコが目を上げた。潤んだ大きな黒眼が印象的な童顔で、一種の美貌であるが、ここ後宮においては女官にでもよくある平凡な容貌にすぎない。にもかかわらず、艶々した肌か人懐こそうな丸い口元のせいなのか、見る者をとろかすような何かがこの女には備わっていた。それに仕草といい物言いといい体つきといい、これはもうサイヤ人としては有り得ないというほどゆったりしている。
(困ったな)
 見ていると、何やらこちらまでほかほかと寛いだ気分になってしまうのだ。自分がいつのまにやら片方の肘掛に上体を預けていた事に気付き、彼女はちょっと苦笑いした。
 数多ある妃達の中で、最も王の寵深い女なのだと聞く。確かに―体質に恵まれているという事もあろうが―子を一人も儲ける事なく終わる女も多いこの後宮で、彼女は三度目の僥倖を得ている。今は遠征中の王も、戻ればあのふっくらした腿に頭など預け、緩みきって甘えてみたりするのかもしれない。
 サイヤ人の女は、(生物学的に考えて男女どちらに原因があるのか定かではないが)元来妊娠しにくい。科学・医学の飛躍的発展で改善を見たが、彼らが最近まで少数種族と呼ばれる状態に甘んじて来た理由の一つでもあった。未だはっきりした原因は解明されていないが、男女問わず戦士である、という種族の性質から来るのかもしれない。腹が膨れていたのでは、戦闘的には不利である。それは原因というより結果であると考えるべきなのかもしれないが―
 種の保存繁栄を考えた場合、男女で明確に分業を図った方が有利であると思われがちであるが、進化の過程でそれが望ましからざる何らかの原因が生じたのであろう。あるいは破壊者としての役割を担った彼らの生息数を、宇宙の意思とやらが統制しているのかもしれなかった。



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