明と暗(4)

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 実戦に伴うための訓練の最中、事件は起こった。
『いや、いやだ』
 獲物として放たれた異性人を前にわなわな呟いたかと思うと、蹲って硬直してしまったのだという。傅人がどんなに宥めようと叱りつけようと、ターブルは丸くなったまま指を開こうとすらせず、遂には気を失ってそのまま宮殿に担ぎ込まれた。
(気の小さいことよ)
 と王は嗤う。己を、である。
 サイヤ人の皆が皆、戦闘向きに生まれてくる訳ではない。種族の性質としてそれを楽しむ傾向が強いとは言うものの、戦い、命を奪う事に躊躇を覚えるというのは、まれにだが子供には時々見られる症状なのだった。大抵、放っておいても「治癒」する。本能の充足のもたらす快楽が、かれらを治す特効薬となるからだ。始まりは確かに、サイヤ人という「種」としてあるべき姿ではない。だが他より知能が勝っている、あるいは他にはない能力を持っていると、こういった事の起き易い傾向があるのではないか。いくつかのケースを観察し、また報告を受けるにつけそう感じ、もっと深く研究させるべき分野であると考え始めていたところだった。
 ターブルも、そうした子供の一人に過ぎないのかもしれない。いや十中八九、そうなのだ。
 だが傅人から報告を受けたとき、彼の脳裏を駆け抜けたのは、最も愛し、信頼していた弟、カリフの姿であった。
『ぼく、戦いたくないよ』
 そう言って死にかけていた幼い弟は、彼に次ぐほどの立派な戦士に成長した。頭が切れ、手際も良く、面倒な事務方を一手に担って彼の右腕として働いた。天性のもの、というよりも、弟がその大半を努力で手に入れたことを彼は知っている。兄の傍にいたい、と血の滲むような鍛錬を重ねてきたことを、彼はよく知っている。
 なのに―
 なのに弟は、自らを削るようにして研磨してきたその刃を、最後に彼に向けたのである。あれほど敬い、愛し、『我が命』とまで謳った兄に。
 魔が差したのか。
 そうだ。彼を裏切ったというよりも、弟は単にそうして自滅していっただけなのかもしれない。
『兄上!』
 彼に光弾を放ちながら、弟はそう絶叫していた。挑戦的な響きは微塵もなく、悲痛な、というより恐怖のそれに近かった。
(憐れな男よ)
 という想いもある。だが、手塩に掛けた弟の不甲斐無さが腹立たしくもあった。サイヤの王族たる者が、ふと隙間を通りかかった魔に心操られるなど―
 ターブルが、かの弟と同じ轍を踏むとは限らない。だが、
(踏まぬ、と言い切れもせぬ)
 彼が脳裏で自らに重ねているのは、息子ベジータの姿だった。渇望の末に、やっと得た後継。究極の進化という伝説を現出させる可能性。彼らサイヤ人を導く、唯一の、今はまだ細い糸。
 この掌中の珠を守るためであれば、どんなことでも断行せねばならない。起こすかどうかも分からぬ謀反の罪でも、これを罰さねばならない―
「他の星へ」
 とは、考えた末の言葉ではなかった。処分する決心で、目の上に幕が下りたような不快感に漂いながらナラスの元へ渡り、その言葉が口を突いて出た後に、
(そうしよう)
 と決めた。掻き曇っていた空に、一筋陽が差したような心持ちだった。ターブルとて、我が子には違いないのだ。
「ともかく、そのように目を剥いて羨むような話ではないのだ。焦らずとも、そなたにはそなたに相応しい戦場を用意してやる」
「いつだ?」
 彼が宥めると、何とも子供らしくない反応が返ってきた。目は未だ彼を睨みつけたままだ。こういう時、大抵の子らは素直に喜びを発散させるものだが―
「そうよな、そなたもそろそろ正式に初陣だ。そこいらの小競合いで一戦、という訳には参らぬであろうよ。適当な機会が来るまで、いましばらく辛抱するがよい」
「いやだ!」
 王の返答に、突然ベジータは苛立った声でわめいた。
「こんなところでじっとしていたんでは、ちっとも強くなれない!おれはたたかいたい!強くなりたいんだ!」
 吼えるような叫びに、天井のシャンデリアが飛び散り、部屋の窓という窓が屋外へと弾け飛ぶ。部屋の外に控えていた近侍達が飛び込んできたが、子供の体から噴き出した爆発のような波動に思わず呻いて体を竦めた。
「敵を欲するか」
 この父にも覚えがある、と王は微笑しながら椅子から立ち上がる。その動きに、髪や肩に散ったシャンデリアの欠片が、石枠に成り果てた窓から射す夕陽を受け、きらきらと輝いた。
 これほどに急いているというのは、この子供は自身感じ取っているのかもしれない。彼の焦がれるような期待を。彼ら種族の置かれた困難な状況を。一刻も早く成長せねばならない、己の運命を―
「だが息子よ、欲しいものなら目の前にあるぞ」
 興奮を高めてゆく子を、その子によく似た鋭い目で見下ろし、低く申し渡す。
「一撃でもよい、余の顔に喰らわせてみよ。すぐにも願いを叶えてやろう」
 途端、ベジータの黒瞳が異様な光を放った。そのまま突っ込んでくるのかと思ったが―
(・・・違う!)
 母譲りは黒髪黒瞳のみではない。この子供には生まれ持った戦いのセンスがあったのだ。
 通常、訓練にせよ実戦にせよ戦う中で磨かれてゆくものであり、ベジータの場合もそれは他のサイヤ人と同様であったが、恐ろしく飲み込みが早いのである。応用力も抜群で、ちょっとした切っ掛けを与えると、その先にあるすべてを自分のものにしてしまう。天才児と呼ばれる所以の、一つであった。
 子供と思って対すれば、喰われる。
 彼が自らを戒めるその言葉を思い出した時には、既にベジータの姿は屋外に消えていた。近侍達が、その姿を探してうろうろと視線を泳がせている。うち一人がスカウターのボタンを押したのは、
「上よ!」
 と王が叫ぶと同時、ベジータが天井を突き破って王の頭上に突進してきた直後だった。甘い、と低く笑って迫り来る拳をかわし、二撃目に移るべく既に地を蹴る体勢を作りつつある息子の小さな手首を掴む。
「勝負―」
 あった、と言い掛けた瞬間、彼の鼻先を白いブーツの踵が掠めた。間一髪身を逸らしたが、その動きに集中するあまり手首を掴む指が緩む。緩んだ指先を逆に掴み、それを自分の脇に引き寄せながらベジータが宙を回転する。回転しながら、一度縮めた脚を伸ばし、再び蹴りを入れるべく彼の鼻面に迫る。
「おれの」
 勝ちだ!甲高い雄叫びを上げたが、ベジータの足裏が喰い込んでいるのは父王の顔面ではなく、がっしりと大きな掌であった。
「残念だったな」
 腕を伸ばして逆さにぶら下げると、もう子供は手も足も出せない。肉弾戦でないのなら何とでもなろうが、物理的な距離が邪魔して敵に届かないのだ。まともに掴む父王の手からまっとうな手段で逃れるのは、いかな天才を備えていようと子供には不可能である。
「だがすばらしい。これが遊戯でなかったならば、そなたの勝ちであったやもしれぬな」
 膨れ面で睨みつけている息子を解放し、王は笑ってそう褒める。控える近侍どももつられて笑っていたが、実際のところ彼は内心冷や汗を禁じ得なかった。最初の一撃は避けられる、と子供はそう計算していたのだ。おそらくは、その後右手首を拘束されるところまで想定していたのに違いない。端から相手の力を利用して攻撃を加えるつもりだったのだ。あれはそういう動きだった、と彼は反芻する。
「決めたぞ。次回の遠征には、そなたを正式に伴おう」
「・・・ほんとうか!?」
「本当だとも。少々苦戦しそうなので初舞台にはふさわしからずと考えていたが、そなたならば問題あるまい。活躍を期待しておるぞ」
 父王の言葉に、ベジータの表情がぱっと開いた。なんと、こうして目を輝かせる様は普通の子供と何一つ変わらないのに。
 全員を退室させ、気に入りの部屋の無残な様子を一人眺め遣って、王は再び苦笑した。
(おそるべき子供よ)
 あれほどの後継に恵まれようとは。喜びと戦慄が混じり合う複雑な感情に、彼の肌はひっそりと粟立つ。まさに暮れようとしている空には、赤味掛かった紫の雲が長々横たわっていた。


2010.11.23



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