明と暗(2)

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 ナラス妃を自室へ返した後、王に使者を出した。晩餐の誘いである。
 通常、晩餐は一種執務のようなもので、王は表で臣下達と席を共にする事が多い。本来なら彼女も同席すべきなのだが、余程気の乗らぬ限り出座しなかった。
『易々と姿を見せぬが値打ちというものでしょう』
 たまには臣と語らってはどうか、と遠まわしに諌める王のことは、そんな適当な言い訳に笑顔を付けて受け流した。
(男どもまで相手にしてはおられぬのよ)
 彼女は自分の館で女官を相手に食事を摂る事が多かったが、王が遠征で不在の時など、妃達を招いて晩餐会を催したりもした。後宮とは王の家族の住いであり、また外敵の来襲したときには最後の砦となる場所である。気の合う相手など数えるほどしかいないが、これだけの大家族、円滑な関係を築き、また序列を明確にしておくという意味でも、そうした事はどうしても必要なのだった。
 彼女のこの外交ならぬ“内交”を、苦々しく眺めている者もある。
 女官長のそれは至極当然の反応だ、と彼女は思っていた。毒殺やごたごたを心配しているのだろう。己の職務に忠実すぎるだけだ。だが高位の妃などの中に、出自の低い妃と同席することなどを嫌う者がある。卑しい女などこの目には映らぬ、とばかり存在を無視する。それだけならまだしも、見苦しい嫌がらせをしてみたり、王后である彼女の誘いを「体調が優れぬ」と断り続ける者まであった。
『それほどお体の弱い方に、妃の任は務まりますまい。ここは養生にふさわしいところではありませんから、どこぞ空気の良いところでゆるりと休まれるがよい』
 あまりにあからさまな一人に対し、そう申し渡して暇を出したことがある。本当に虚弱であればいざ知らず(それはそれで問題ではあるのだが)、そうではないということが誰の目にも明らかであったため、放置すると序列の乱れに繋がると考えたのだ。
『わたくしは王陛下の妻、女官ではないのです!あなたの指図は受けません!』
 当の妃は猛然と抗議したが、
『その王からこの後宮をお預かりしているのは、このわたくしです。ここに於いては、わたくしの言葉は王の言葉と心得ていただく』
『な、なにを』
『お黙りなさい、発言を許可した覚えはありません。今がいかに大事の時であるかが理解できない方を、ここに留めおく訳には参らぬ』
 と、放逐した。
 王は彼女の独断に対して苦い顔をしたが、それでも件の妃を連れ戻すという事はしなかった。彼女がなぜそうしたのかという事をよく承知していたのであろうし、王といえども、后の処断をそう軽々しく覆す訳にはいかなかったのであろう。
『ここが王宮である以上、怠慢は断ぜられるべき罪です。どなたもお忘れになられませぬよう』
 おおらかで御し易いと思い込み、彼女を少々なめている部分のあった妃達を、この件は震撼させた。王のほかにも自分達の運命をこれほど容易く変えてしまえる存在がある、という事実に衝撃を受けたらしい。これより後は、高位の妃達の得手勝手な行動はほとんど目に付かなくなっている。


 ほどなく使者に立てた女官が戻ってきて、王が誘いを受けたことを伝えた。ただ、条件付きである。
『二人だけで食卓を囲みたい、と仰せでございました』
 と言うからには、その席に上る話題が何であるか予想がついているのだろう。ナラス妃や他の妃達を同席させたくないのだ。
 最初、目の覚めるような明るい水色の衣装を選んだ。王が遠征先から連れ帰った職人が染色から織り上げまで行ったもので、昼近くに彼女の館に届けられたばかりだった。吐息に靡くような薄布なのに、どうしてだかほとんど透けない。しかも僅かに緑掛かった発色が非常に鮮やかで、なんと風変わりな、これは一体どうやって織ったものなのだろう、と気に入って眺めたり透かしたりして楽しんでいたのだ。
「夜のお召し物としては、お色も素材も軽すぎるのではございませんか。それは午前か、午後早い時間の御衣装でございましょう」
 チャーガはそう差し出口をきいた。そんなことは言われなくとも分かっていたが、早く袖を通してみたいのだ。
「よい、王はそのようなこと気には掛けられまい」
 彼女はつんとそう答え、構わず仕度を進めさせた。だが次第にそれが黄味掛かった夜の照明には映えないだろう事が気にかかりはじめ、もうほとんど最後の仕上げという段になってから、
「やはりこれは夜には合わぬ」
 と言い出してチャーガを呆れさせた。
「ですから申し上げたではございませんか。御衣裳を変えれば、お化粧も御髪も変えねばならないのでございますよ。お約束の時間も迫っているというのに・・」
「黒がよい。黒いものを」
「黒い御衣装など数え切れぬほどございますよ」
「新しいものを見繕ってきておくれ、そなたは趣味が良いから」
 おだててなど頂かなくとも結構です、とこぼしながら、二人の女官を引き連れてチャーガは奥の衣裳部屋へ消えたが、すぐに二着の黒い衣装を持たせて戻ってきた。手触りが滑らかで艶々したものと、密に立ち上がった毛足が光を飲み込む素材の衣装だったが、『黒』と聞いた瞬間から、この古株の頭の中ではそれらが候補に上がっていたのに違いあるまい。
「どちらが良いと思います?そなたの勧めに従いましょう」
 彼女が笑って訊ねると、チャーガはしばらく考えるふうだったが、
「今宵の陛下にお顔映えするのは、こちらでございましょうか」
 と起毛している方を推した。大部分光を反射しないが、畝の部分にだけ綺麗に光の筋ができた。肩が剥き出しになっており、尻にかかる辺りまでが身体の曲線に沿っている。お蔭で尾の付け根が少々窮屈なのだが、手首に向かって広がる袖は重く落ちの良い素材が生かされ、長く引き摺る裾とともに、動くたび豊かな襞をつくるよう設計されていた。
「素敵ですこと」
 髪結具を運んできた女官が、吐息混じりにそう呟くと、
「ほら、先日献上された紫色の宝石の一式があったでしょう。あれが合うのじゃないかしら」
 待ちきれないとばかり、別の女官がうきうきと続ける。
「緑玉のほうが映えるのじゃなくて」
 と他の一人が割って入ると、
「なにを仰るの、黒に映えるのは絶対に赤よ」
 とまた別の一人が知ったふうに口を挟んだ。主人の前で意見の割れた部下達に古株が眉根を寄せたが、後宮勤めの間は定められたものしか身に着けることができないので、仕える女主人を美しく仕立て上げることは、女官にとって至上命題であるとともに大きな楽しみでもあるのだった。

 結局、『海泪』と名付けられた白くて丸い宝石を着け、彼女は応接室に向かった。
 遠征先から持ち帰った、といつぞや貴族の何某が献上してきたものだが、殻を持つ海洋生物に異物を埋めて育てさせるらしい、という生成過程が何だか生臭くてグロテスクに感じられ、今日まで出番が無かったものだ。中指の先ほどの大きさの一対のみであったため、耳飾りに加工させていた。首飾りも指輪も揃いのものが無いというので、女官達は残念がっていたが、
「首飾りは、あっても省いたがよいでしょう。型には反しておりますけれど、御夫婦水入らずなのですし。御髪も飾らず小さく纏めた方が、お首まわりやお顔だちの美しさが際立つというもの。姿の整った女人にしか許されない、難しい装いですよ。気を引き締めてお仕度を」
 とチャーガはかれらをたしなめた。
「遅い」
 部屋に入ると、時間より幾分遅れて到着したらしい王が、さらに遅刻してきた彼女に低い声で最初の一言を浴びせた。
「お久しぶりですのに、御機嫌斜めでいらっしゃる」
 悪びれる様子もなく正面に着席する彼女をじろりと一瞥し、王は不機嫌そうに睫毛を伏せて腕組みを解く。彼は宮服(戦闘服)を脱いでおらず、マントも着けたままであった。
「空腹なのだ」
 それは嘘ね、と彼女が笑うと、王が片方の眉を上げて不審そうに首を傾げる。
「何が嘘だ?」
「お腹が空いたというだけなら、先に召し上がっていらしたでしょう?御機嫌が悪くなるほどの空腹を抱えて、わたくしを待っては下さらなかったはず」
 可笑しそうに返した彼女から王が視線を逸らしたところに、女官が入室してきて餐の間へ移るよう彼らを促した。王は憮然とした表情を崩さないまま席を立つ。紅のマントが座面を撫でる衣擦れの音まで不機嫌そうだ、と彼女は思った。
「せめてマントはお取りになれば?妻と食事というだけですのに、正装も過ぎれば無粋ですわ」
 この人は何か酷く神経質になっているらしいと感じながら、彼女が背後から声を掛けると、
「また表に戻らねばならぬのでな」
 着替えるのが面倒だったのだ、と王はわずかに彼女を顧みてそう返した。
「まあ、そう?お忙しいのね」
 お体をお労りあそばして。着席した背後から逞しい首筋に触れ、彼女が彼の耳元でそう囁くと、
「そなたはまた、斬新な格好だな」
 卓をまわって正面に着座する彼女を眺め、王が少し硬さの取れた声で言った。
「そうかしら」
「何と言うか・・・」
 彼女をみつめながらしばらく考え、ふむ、と彼は鼻を鳴らして、
「すっきりしている」
 と言った。考えた割には女を褒めるに不適当な言葉だったので、彼女は苦笑を禁じ得なかった。
「お好みに合わないのね」
「違う。そなたの美点が際立つ装いだ、と申した」
「そう?嬉しいこと」
 と彼女が微笑むと、王はおもむろにプロテクターを外し始めた。前菜とスープ壺を乗せたワゴンを押して近付いて来た給仕の女官が、マントごと放るようにして渡されたそれを慌てて受け取る。
「間の抜けた格好だが、許せ」
 と自身のアンダースーツの襟元に指を入れ、布地に密着していた肌に風を通そうと顔を仰向けた動きに、胸から鎖骨へと続く筋肉の綺麗な隆起が垣間見えた。
(―あの首筋に噛みつきたい)
 不意に駆け抜けた衝動に、彼女は思わず睫毛を伏せる。彼の前にある女は多少なりともこうした試練に耐えねばならないが、それを動かしたためにずり上がらないよう尾の根を常に意識させる衣装のせいか―尾、特にその根はサイヤ人にとって非常に“センシティヴな”部分である―、このとき彼女を突き上げたそれは、少々強かった。
 前菜をさっさと片付け、目の前の皿に注ぎ入れられたスープに匙を差し入れながら、王が湯気の向こうから彼女にちらりと視線を流した。勘付かれたかのかもしれない、その鋭い目は微かな笑いを含んでいるようにも見える。
(嫌なひとだわ)
 女にとって自分がどれほど極上の料理なのかを知っていながら、彼はいつも、その抗い難く旨そうな匂いを隠そうともしないのだ。彼女は手を付けないままの前菜の皿を下げさせ、ドレスから覗く自分の乳房の膨らみを強く意識しながら、たちのぼるスープの湯気をそっと吸いこんで体勢を立て直し、
「ここにはふさわしくない、と仰ったそうね」
 勝手なペースで食事を進める彼に、敢えて前置きを省いて訊ねる。
「いかにも」
 王もまた、白々しく確認することなく即答した。視線はスープに落としている。
「ターブルは確かに、少々大人しい子だと思いますわ。でも星送りにされるほど力の劣った子なのでしょうか?わたくしにはそれほどとは見受けられませんけれど」
「いいや」
「いいや?」
 鋭く遮った言葉がどの部分を否定したのか明確ではなかったので、彼女は鸚鵡返しした。
「赤ん坊の星送りとは違う。供を付けて他の星へ遣るのだ」
「まあ・・・では遠征なの?」
「そのような形にする」
 形にするにも無理がある、と彼女は小首をかしげた。旗印として、という話すら成り立たない。あれはそれほどの分際の子供ではなく、一王子に過ぎないではないか。太子であるベジータを送る、というならまだしも―
「どうしてわざわざそんな事を・・」
「申した通りよ。あれはここにはふさわしくない」
「ここ、と仰るのはつまり、この王宮のこと?」
「サイヤ人の社会の事だ」
 と応えた王の下唇に薄くスープの雫が留まっているのを彼女は発見したが、彼は直後に上の歯と唇とでそれを拭い取ってしまった。液体を乗せた彼の粘膜があまりに旨そうだと感じ、思わず自身の歯を割って這い出ようとした己の舌を罰するように、彼女はその先を口中で軽く噛んでいた。



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