明と暗(3)

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 数日後の風が心地良い夕方、日没近くにターブルは発った。
 見送りに出たのは、王后とナラス妃、そして女官長の三名のみである。極秘の任という形に整えられ、ひっそりとした出立だった。従軍する兵士は、傅人を合わせて僅かに5名のみである。うち3名が途中消息を絶つよう(引き返してくるよう)言い含められているのだが、后以外の二人はそこまで知らされてはいなかった。
「おたあさま」
 ターブルは大きな黒目をくるくると見開き、不思議そうに首をかしげて、義母と生母をかわるがわるみつめていた。
「御武運を。しっかりやっておいでなさいませ」
 と頷いたナラス妃の顔には、何とも形容し難い表情が浮かんでいる。最悪の事態を回避した安堵と、この度の出征の不自然さに意識を奪われているのだろう。
「名誉なことではございませんこと」
 なぜターブルが遠ざけられようとしているのか自身納得しかねる思いではあったが、後宮門へと引き返しながら彼女は妃にそう声を掛けた。
「あのお歳で、遠征の長官とは」
 はあ、とナラス妃は曖昧に返した。女官長は背後で沈黙している。柔らかさの無い女よ、大方事情は飲み込んでいるのだろうに、とその無表情に呆れた彼女の耳に、回廊の奥から近づいてくる足音が届いた。
「後は任せます」
 女官長に短く告げ、彼らが挨拶するのを待たずに、ドレスの灰紫の裾を返して足早にその場を去る。
「さっきのはなんだ」
 発着場から船が出て行ったぞ、誰が出立したんだ、と問うベジータの声が、角を曲がって大柱の陰に滑り込んだ彼女の背後で響いた。
「王陛下の御命令でございますので、その御質問にはお答え申しあげかねます」
「ターブルだな」
 女官長の凛とした声に被せるように、ベジータが甲高く切り返した。
「ターブルの母だ。おれはおぼえてる。ということは、あれはターブルだ」
 ナラスが息を飲む気配があったが、そのまま沈黙している。
「憶えておられると仰られても、殿下が後宮におられた頃のことでございましょう。お人違いではございませんか」
「おれはうそもごまかしも、ぶれいなくちききもゆるさん」
 女官長の返答を、子供とも思われない重い口調でベジータが切って捨てた。声は高いながらも、威厳さえ感じられる。
「めいれいだというなら、だれなのかはこたえなくていい。どこへいった?」
「密命による御出立です。どちらへ遠征されるのかはわたくしどもも存じ上げません」
 後宮の者が見送りに出ている以上、王族の出立であるという事は形式上も隠せないと判断したらしく、女官長は言葉を繕わずに彼に答える。
「えんせいか」
 何故あいつなんだ?面白くなさそうに呟く声には、さすがに子供らしさが滲んだ。が、それきりもう用は済んだとばかり彼は踵を返し、今度は父王を問い質しに行こうというのだろう、来た道を戻ってゆく。
「義母上様に御挨拶を差し上げられませ」
 背を追う女官長の声を一顧だにせず、彼はさっさと遠ざかる。そうした御年頃なのでございましょう、傅人によく申しておきますので御容赦下さいませ、と妃に謝罪する女官長の声にはほとんど抑揚が感じられなかった。彼らは共に中流貴族の出であり、出自の上ではほどんど格の違いが無い。そのような場合は多くあり、相手によっては誤解を買いかねないのだが、この女の機械的な物言いは誰が相手であろうと変わらないのだった。
「いえ・・お噂通り大変な王子、王が夢中になられるのも無理はありませんわね」
 王后陛下がお羨ましい、と肩を落としたナラスを慰めることもせず、
「間もなく日没でございます、お急ぎください」
 と見事なまで職務に忠実に、女官長は妃を急かした。鞭打たれ、追い立てられるようにナラスは引き返してゆく。
(大きくなった・・)
 彼らがいなくなった後も、複雑な想いに胸を高鳴らせたまま彼女はその場に立ちつくしていた。
 戦うしかあるまい。
『母親』という病と。子を遠ざけて、それで快方に向かうほど単純ではないらしい。ならば―逃れられぬなら、闘うしかない。
(恐れるな、わたくしよ)
 顔を上げると、陽の落ちてゆく空に紫雲がたなびいている。その美しさを惜しみながらも、自らを包み隠してくれる闇がいま少し慕わしく、待ち遠しかった。


 晩餐前、執務室の上、最上階にある居間で休息中の王のところに、ベジータが押しかけてきた。ぐるりを囲む窓から広がる王都の輝きが素晴らしく、王は隙間の時間をみつけてはここに上ってくる。
「不満か」
「ふまんだ」
 どうしてあいつが選ばれたんだ。口を尖らせて問い詰める息子に、彼は苦笑いした。
「わかった、そなたに隠し事は出来ぬな。あれは実際のところ遠征ではないのだ」
「?」
「ターブルはな、戦いには向かぬ。ゆえにこの星から出すことにしたのよ」
「・・ほしおくりにしたのか?」
「滅多な事を申すものではない。あれはそなたの弟で、歴とした余の息子なのだぞ。下級戦士の赤ん坊とは訳が違う」
「じゃあ、なんだ?」
「性格的に問題があるのだ。あれは、戦いには向かぬ」
 向かぬ、と繰り返すばかりの父に、ベジータの目は未だ不服そうな色を滲ませている。なんと綺麗な瞳だろう。奥深く澄んだ漆黒に魅せられる己に、彼はまた苦笑を浮かべた。皆が彼に瓜二つだと口を揃えるが、この息子の持つ黒髪黒瞳は母親譲りだ。その点は件のターブルと同じである。
(・・ターブルか・・・)
 性質が柔らかく、おっとしりた子供であった。だがそれが問題なのではなかった。



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