樹海(2)

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 現王には、幾人もの異母弟妹があった。中で最も兄王に愛されているのが、この王弟カリフである。長兄である王とは系統の違う容貌の持ち主で、サイヤ人としては薄い色素も手伝ってか王の視線は冷ややかで鋭いが、この弟の真っ黒な瞳にはどこか柔和な優しみがあった。
「使える男よ」
 と王は高く評価していた。そして、彼はそれを何よりの誇りと感じている。王族であるという事以上に、この兄に必要とされることこそが彼のアイデンティティを形成している。彼はそれほど兄王を敬愛し、妻などがちょっと首をかしげるほど傾倒していた。
 惹かれるようになった契機はある。
 昔、彼は何かを殺すという事がどうしても出来ない子供だった。苛立った父が、自分で殺して食うまで戻るな、と王宮から狩場へ放り出すと、飢えたまま死にかけた。
『これでは生きられまい』
 殺せ、と命じたのは、父の愛情だったのだと思う。実際父がそう命じなくとも、あのままでは当時のサイヤ社会で生き延びる事は難しかったに違いない。
『おれにくれ』
 だが衛兵に連れて行かれそうになったとき、兄が突然父にそう申し出た。
『何?』
『くれ、と言った』
『・・落ちこぼれとは申せ、余の子であるぞ。くれとは何ごと』
 一旦は撥ねつけた父であったが、
『父上は解っておらぬ』
 と言い放った兄の言葉に、少なからず驚いた様子で振り返った。
『解っておらぬ?余が何を解ってないというのだ』
『そうではないか。物も人も、要は使い方だ。一つの使い道に役立たぬといって排除しようというなら、それは使う方が無能なのだ』
『何と申すか!』
 さっと青ざめ、声を荒げた王に、近侍たちの顔が強張った。息をするのも憚られる緊張の中、父の両の拳が震えている。発言を許されている臣は、そこにはいなかった。事が王家の恥部に関わるため、秘せられていたのだ。
『・・・いいだろう』
 だが父は、そこで怒りを抑えた。
『そこまで申すならそなたに預けても良い。だが忘れるな、王家からこのような者が出たのでは示しがつかぬ。ゆえに余はこれを排そうとしたのだ。何に使おうというのかは知らぬが、余の顔に泥を塗るような事になれば、その大言の責任を取ってもらうぞ』
 まだ少年であった兄が、どういう思惑で彼の命を拾い上げたのかは分からない。彼の中に本当に何かを見出したのかもしれぬし、ひょっとすると単に年頃らしい反抗だったのかもしれぬ。
『おれはな、サイヤ人がこのままでいいとは思っていない。だがやつらには無理だ。理解できないのだ』
 飢えて息も絶え絶えの子供の顔を覗き込み、兄は開口一番そう言った。点滅している意識の隅で、やつらとは誰のことだ、この人は何を言ってるのだろう、と彼は懸命に考える。
『お前のようなやつを、おれは他にも知ってる。父上は、そういうやつらをサイヤ人とは認めない。活かしようを知らんのだ』
『ぼく・・・ころしたくない・・・たたかいたくないよ』
『だが戦えないやつ、殺せないやつは死ぬしかない。サイヤ人でなくともだ。お前は何を喰って生きてきた?生きるためには喰うしかない。喰うことは、殺すことだ。お前が手を下そうと、そうでなかろうとな。だからお前は今、死にかけてる。生きるということは、殺すということなのさ』
 幼い彼は、驚愕した。彼はそのとき思考するのも難しい状態だったはずだが、変声期を迎えた兄の掠れ声は鮮明に耳に焼き付いている。
 そうなのだ、生きる事は殺すことだ。大人達には、彼の感じていた漠然とした不安を理解することはできなかった。彼がなぜ殺すということに抵抗を覚えるのか、解ってはくれなかった。サイヤ人は普通、それを感じる前に“サイヤ人”になる。だから周りの誰も、それまで彼にそう教えてはくれなかったのだ。
 罪の意識、という類のものではなかった。それを罪だとする文化を、そもそも彼らは持たない。彼のそれは、もっと根源的な部分で感じるものだった。己に喰われる何かに、無意識のうちに己を重ねる。つまり殺すことに対する彼の恐怖は、死に対するそれの裏返しだ。彼は特にそれが強い性質(たち)だったのか、であれば父の言う通り「サイヤ人にあらざるべきもの」であったかもしれぬ。
『死にたいのか』
『・・・いやだ・・』
『だが殺すのも嫌か』
『・・・・・』
『甘えてるのだ、お前は。そのまま死にかける強情は、子供のくせに大したものだがな』
 と兄が微かに破顔した。大人びてひんやりした容貌に、一瞬光が射した。何をも恐れぬ、己の何をも疑わぬ、少年の光だった。

 兄は、彼に何かを強制することはしなかった。殺せとも、役に立てとも命じなかった。ただ彼自身が、そうなることを強烈に望んだのだ。懸命に己を鍛え、戦士として兄と並び称されるまでに成長した。兄の国家構想を理解し、愛し、その実現のために労を惜しまなかった。どんな人間も材として使い切るため、矢面に立って貴族達の反対を押し切り、実質上の奴隷制を排して籍簿を作成する実務に携わったのも彼だったし、これによって可能となった赤ん坊の惑星送りを取り仕切ったのも彼であった。
 兄は、あの時彼のこうした才能を嗅ぎ取ったのかもしれない。兄が愛しているのは、彼自身というよりその才なのかもしれなかった。どちらでも良い。彼は兄を愛している。敵は多いが、彼らに理解されたいとは思わなかった。
(影でよい。名は要らぬ)
 兄が知っていてくれる。それでもう、命も要らなかった。



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