微睡 (3)

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 制御装置の再設定を終え、調整板の表示をテストしているところにベジータが現れた。
「まだ終わらんのか」
 開いたままになっていた出入口に立ち、胸の前で腕を組んで、彼は昂然と言い放った。
「なかなかいいタイミングだったわね」
 声が響く前から背後に彼の気配を感じていたが、彼女はちらりと振り返っただけで作業を続行した。
「もうすぐ終わるわ」
「さっさとしろ」
「あんたにひとこと言っときますけどね」
 彼女は右手を腰に当て、こころもち顎を上げて、下目使いで彼を顧みる。
「あんな脅しでこのあたしが言うこときいたなんて思わないで頂戴よ」
 男はふんと鼻を鳴らし、片頬を上げて笑いを浮かべた。
「だったら貴様は何故ここにいる」
「あんたの努力家振りには一目置いてるからよ」
 彼女は再び作業に戻りながら言った。調整板に目を落としたまま、続ける。
「あんたは礼儀知らずで物の言い方も知らない野蛮人よ。だけどそれだけの男でもない。あんたは、あたしが会った中で一番努力を惜しまない人間だわ。それだけは脱帽してるの。だから、出来るだけの事はしてやろうと思ったのよ」
「・・・地球人と比べるな。俺は」
「黙って聞いて。あんたに、そういうあたしの―あたしたちの気持ちを理解しろとは言わない。けどね、あの態度は許せないわ。今度あんなことしたら、もう絶対協力なんかしないわよ」
「役に立たんのなら殺すだけだ」
 彼女は再び振り返る。
「ええ、どうぞ。で?役に立たないあたしを殺して、それでどうするの?あたし以上にあんたをサポート出来る人間がいるってわけ?」
「貴様の父親にやらせるさ」
「父さんは、あたしを殺した男の言うことなんかききゃしないわよ。殺されたってね。あんた頭は悪くないと思ってたけど」
 彼女は工具を持った方の手を腰に当て、再び顎を持ち上げた。男はしばらく彼女を睨んでいたが、やがて舌打ちし、そっぽを向く。
「くだらんことを喋ってないで、さっさとやれ」
 そう吐き捨て、男は部屋の中に入ってきた。出入口から一番奥まった壁を背に、床に腰を下ろす。微かに、顔を顰めた。僅かだが、身体が不自然に揺らぐ。他の人間なら気付かないだろう。だが彼女はそれを読める程度に彼を知っていた。
 ケガしたのかしら。
 昨日、ここでか。あるいは外のトレーニングで無茶をしたのか。しかし声を掛けることはしなかった。いずれにせよたいしたことはなさそうだし、彼女はまだ完全に怒りを収めた訳ではなかった。男は床の上に伸ばした足を軽く重ね、腕を胸の前で組んで目を閉じる。それを軽く横目で睨みつつ、彼女は再び作業に戻った。


 調整板のカバーをネジで止め、作業は完了した。工具を片付け、男に声を掛けようとして動きを止める。
 眠ってる?
 規則正しい呼吸に併せて、胸の前で組んだ腕が上下している。そっと近付き、少し俯き加減の頭に顔を近づけると、すうすうと静かな息遣いが聞こえた。
 疲れてんのね。
 すぐ側に膝をついたが、彼は目を覚まさない。肩に手を伸ばしかけたが、滅多に無い機会だとそれを引っ込めて繁々観察すると、常々緊張している眉間や口元が今は少し緩み、鋭い容貌もこころもち幼く感じられた。
 こんな顔して寝てるんだ。
 こんなことで。我ながらそう思うのだが、存外可愛らしい寝顔に、彼女は、自分の中に残っていたとげとげとした怒りの欠片が溶けて行くのを感じないではいられなかった。
 何が足りないのかしら。
 本当に、何が。男の隣に腰を下ろし、壁に凭れ掛かってふっと溜息をつく。
 戦いのことは分からない。だがこれ以上身体に負担を掛けて、それで何かが変わるとも思えなかった。同じサイヤ人である悟空が超化を果たした際には、百倍の重力の中、六日間を過ごしただけだったと聞く。この男は、その三倍の重力を生むこの部屋の中で、一体何ヶ月を過ごしたのだろう。
 最初の頃は、この部屋から出てくる度に、日を重ねるごとに、その体に力が満ちてゆく様子が彼女にも見て取れた。顔は生気に溢れ、自分の何をも疑うことなどないように見えた。見ているこちらまで気分が高揚したものだ。
 だが今は、行き詰まり、本当に誰かを殺しかねないほどいらつき、荒廃している。自尊心の強さ故か表立って見せようとはしないが、近頃ではそれはもう誰の目にも明らかだった。
 ――疲れた。
 作業が終わったという安堵からか、彼女は急に強い疲労に襲われた。
 ここ何ヶ月か、彼女はこの男の出す無茶苦茶な注文に振り回され、徹夜せざるを得ない事態に陥ることがしばしばだった。自分の仕事はろくに片付けられず、デートに出掛ける暇など無論なく ―尤も彼女はもうその気を失ってしまっていたが― 、羽を伸ばせる僅かな時間と言えば、ショッピングの間と入浴中くらいだった。二週間前など眠っているところを叩き起こされ、その後はベッドにいてさえ完全に安らぐことは出来なかった。
 焦れているのだ。気持ちは解る。だがそれにまともにつきあわされるこちらは、これ以上身が持ちそうになかった。しかし自分が倒れたなら、男の注文は彼女の父に向けられるだろう。仮にもカプセル・コーポレーションの総帥である多忙な父が、それに応じきれるわけがない。その時この男が採るだろう実力行使が、グループ全体をひっくり返すような混乱を引き起こすに違いないであろうことは想像に難くなかった。
 厄介な奴ね。
 彼女は隣で寝息を立てる男の横顔を眺める。黄味掛かった肌は、艶を失い、くすんで見える。夢を見ているのか、瞼がぴくぴくと痙攣した。
 すぐ側に感じる体温に不思議な安らぎを覚えながら、彼女は考える。
 孤独な男。こうして誰かの隣で眠ったことがあるのだろうか。柔らかさやぬくもりに癒されたことがあるのだろうか。誰かに抱かれたことが、あったのだろうか。
「やっぱり疲れてるわ」
 急にこみ上げてきたものに驚き、彼女は思わず呟いて天井を仰いだ。目をしばたたかせながら、指で目尻を拭う。暫くそのまま目を閉じていると、右側に重みが掛かって来るのを感じた。見ると、男の身体が僅かに傾き、彼女の肩に軽くもたれかかるような格好になっている。
 重いわ。
 けれど、彼を揺すり起こすことも、体を離すこともしなかった。
 今日だけよ。
 壁に頭を凭せ掛け、立てた膝の上に両手を重ねて目を閉じる。
(降り出したわね・・)
 乾いた地面を打ち始めた静かな雨音が、眠りに落ちゆく彼女の耳をしっとりと叩く。触れた部分のぬくもりがそう感じさせるのか、二人して温かな繭にでも包まれているようだと思った。


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