微睡 (2)

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 そうは言っても、配線が所々剥き出しになって、放置すれば引火、ひいては爆発に至る危険もある重力室をそのままにしておく訳にもいかなかった。
 思うように事を進められないでいるのだろう男が少し気の毒になった、ということもある。怒りが消え失せた訳ではなかったが、修理はしてやらざるを得まいと思った。夜のうちに内外壁の裂け目の修理を突貫で進めさせ、配線関係や細かい調整などの作業をするため、彼女は次の日の昼頃になってその場所に篭っていた。夕食時、あるいは朝食時に男が再び急かしたりしたら、彼女は今度こそ本当に臍を曲げてしまっていたかもしれないが、彼がダイニングに現れることは無かった。ベジータちゃんはどうしたの、と母に尋ねられたが、それに対してはちょっと首を傾げるに止(とど)めておいた。
 ベジータ、か。
 昨日は特に機嫌が悪かったようだ。怒鳴り合いになることはしょっちゅうだったが、ああまで露骨に彼女を恫喝して見せたのは初めてであった。首を滑る指先の、ひんやりとした感触が甦る。
(このまま指が沈んで来たら―)
 身の内を走り抜けた恐怖を思い起こし、彼女は小さく身震いした。だが、そこまで余裕を失ってしまった彼を思うと、憐れでもある。
 うまく行ってないのよね・・
 思うように超化が果たせず、苦しんでいる。
 あれほどやっても、まだ駄目なのか。一体何が足りないというのだろう。彼は毎日毎日死ぬほど ―時に本当に生死の境をさまよったりした― 激しいトレーニングを繰り返し、彼女などの目から見ると、自身を痛めつけているとしか思えないような方法で自分を追い込んでいるというのに。死の淵から甦ると彼らの種族はその強さを増すという話だったが、ならば何度もそこから生還してきたあの男は、とっくにその目的を果たしていても良さそうなものだ。
 何故あそこまでやれるのだろう。下級戦士に出し抜かれて悔しいというだけで、ああまで命懸けになれるものなのだろうか。最初は馬鹿だの戦闘マニアだの言って白い目で見ていた彼女も、その凄まじい姿を間近で目にして考えを改めた。やりたいだけやらせてやろう。出来るだけの協力はしよう。今は、そう思っている。
「それを、あの阿呆は」
 彼女は再び自分が怒りで波立つのを感じ、大きく溜息をついた。感謝など期待してはいないが、もう少しこちらのバックアップに対して思うところがあっても良さそうなものだ。少なくとも、早くしろと脅し上げを食らうのは割に合わない。
『ブルマさん、お昼ですよ』
 胸に付けた通信機から、母の明るい声が響く。すぐ行くわと返事し、向きを変えて歩き出そうとしたとき、作業の為に床から外されていた建材に蹴躓いた。重量のあるそれは、微かに向きを変えただけで、何事も無かったかのように鎮座している。じんと痛む足指の先でわざわざ地を踏みしめながら、彼女はその床材を跨いだ。


「ベジータちゃん、お出かけなのかしら」
 テーブルにつくと、母が彼女に尋ねて来た。
「トレーニングに出てんじゃない?重力室は自分で壊しちゃって使えないから」
 茄子とトマトのパスタをフォークですくいながら彼女は母に返す。あたしはあいつのお守(も)りじゃないんだけどな。黙って考えたが、しかし自分以上に彼の行動を把握している人間はいないのだから仕方がない。
 この母は、ちょっと不思議なほどあの男を気に入っている。いかに邪険に扱われようと気にする様子は無い。最初は、近づくな、構うなと彼女を遠ざけようとしていた男も、最近では諦めたのか、無視はするものの文句を言うことはなくなった。ママには誰も敵わないわね、とブルマはちょっと肩をすくめる。
「まあ、そうなの。これどうしましょうね」
 母は少し困ったように、彼のために用意された昼食の山を眺めた。


 夜になって、昨日から外出していたヤムチャが戻り、重力室で調整の仕上げに専念している彼女の元へやって来た。
「またお篭りなのか」
 そう言いながら近づいてくる彼を振り返り、彼女はにっこりと笑った。
「あら、随分早かったじゃない」
 彼女の皮肉に、彼は少し慌てる。
「黙って外泊して悪かったよ。でもそういうんじゃないんだ。確かにメンツは女の子達だったけどさ、踊ってたら朝になっちゃってて・・」
「そう」
 彼女はもうそんなことはどうでもいいのだと言わんばかりに素っ気無い様子で彼に背を向け、作業を続行した。
「ブルマ・・頼むよ」
 彼は身体を寄せ、背後からそっと両腕を回し、彼女を抱こうとする。
「やめて」
 彼女は少し身体を揺らして彼の手を振り払い、しかし作業する手を休めることなく冷ややかな声音でそう言った。彼は少し怯んだが、甘えたように彼女の名を呼び、機嫌直せよ、と言いながら再び触れて来る。
「ヤムチャ」
 彼女は作業着の腰の辺りに下りて来た彼の手を押さえながら振り返り、低い声でその名を口にした。
「あたしはね、腹が立ってるの。いろんなことにね。そういう気分にならないのよ」
「お前、この間からずっとじゃないか。どうしたってんだ」
 ずっと、なんなの。ずっとあんたと致してないって言いたいわけ?なんでなのか解んないのかしらね。
「何怒ってんだ?ちゃんと話したろ?やましいことは何も無いって」
「別にそんなこと言ってる訳じゃないわ」
 そこまで言って、自分が目の前の男には腹を立てていないらしい事に気付いた。ヤムチャの尻が軽い事などとっくに諦めている―
「とにかく、出て。集中したいのよ」
 気を散らしていてまともな調整が出来るほど、この部屋は単純に出来ていなかった。彼は不満そうに眉を寄せたが、わかったよと言い残し、ぷいと部屋を出て行く。
 また出掛けるのかもしれない。そう思っても、かつて彼女を侵蝕したこともあるどす黒い雲が顔を覗かせる事は、もうなかった。


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