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 大きめのボストン一つを運び入れただけで、彼の引っ越しは終了した。鞄の中身は変わり映えしない。七年前、この家からC.Cに持って行ったものの他は、ブルマがくれた乗り物やハウス等のカプセル類―昨今では非常に貴重な品々だ―、今の彼の体に合った服が数着。
 C.Cへ持ち込んだのは、衣類が少しと、ちょっとした日用品と、あとは昔ピッコロがくれた道着だった。父が着ていたものは、亡くなった時に旅立ちの衣装として身に着けさせたが、同じ形のものが新品で二着残っている。だが敢えて、置いて行った。
 ひょっこり帰ってきたとき、お父さんが困らないように。
 小声で呟いた幼い悟飯を見下ろして、ブルマは何とも言えない顔をしていたものだ。あえてそのままにして行ったのは、父の道着だけではない。人造人間どもに荒らされた室内を片付け、壊された扉と窓を修理し、母の調理道具も裁縫箱も、お気に入りだった―そして最高によく似合っていた―白いチャイナドレスも、元あった場所に納めて行った。よくそれで髪をまとめていた綺麗な飾り紐ひとつだけ、今も形見として持っている。教育熱心で厳しかったが、若くて美しい母は彼の密かな自慢だった。
 父は物に執着しない人だったから、道着以外で形見になりそうなものと言えば飯椀と箸ほどのものだったので、ならば箸でも持って行こうかと思ったのだが、それもやめておいた。やっぱり、ひょっこり帰ってきたとき困らないように、である。本当に父が帰って来るかも、などと考えていたわけではない。ただ何もかもがあまりにも急激すぎて、その時はまだ父や母の気配を消してしまう踏ん切りがつかなかった。気持ちを整理する時間も、十分には無かった。
「にしても、すごいホコリ」
 あの時から凍りついたままのこの場所で、それだけが時間の経過を物語っている。まずは父さんたちに挨拶して、その次は掃除だな、と彼は舞い上がる埃を鼻先で払いながら考えた。年に何度かは戻ってきて両親の墓に花など手向け、そのうちの何度かはついでに室内を清掃したりもしていたのだが、最近それをしたのは三年近くも前だ、この惨状も無理はなかった。
「ごめんよ、放ったらかしにしてて」
 柱の一本を撫でながら、彼は詫びた。幼い彼を守り、温め、たくさんの思い出をくれた我が家に。



 彼には気を操るスキルがあったので、埃に関しては比較的容易に片がついたが(まずは小さめにコントロールして空中に吹き上げ、それを扉や窓から外に吹き飛ばせば良いのだ)、その後家中を丁寧に拭き上げて回ったので、終わるころにはすっかり陽が傾いていた。
「お腹すいたけど、先にお風呂沸かさなくちゃ」
 むかし湯船として使っていたドラム缶はすっかり錆びついてしまっていたが、彼はそれを見越してあらかじめ代わりのものを調達し、一昨日運び入れておいたのだ。その新しい湯船にうんと熱めに湯を沸かしておき、帰り際に市で手に入れた食材で炒飯と唐揚げと卵スープを作って夕飯を済ませ、ちょうど良い具合に冷めた頃を見計らって風呂に体を浸した。
(我ながら手際がいい)
 適温になった湯の中で、彼はひっそり自画自賛した。僕のこういうのって誰の影響なんだろう。お母さん・・じゃないな、あの人は僕に勉強以外の事は何もさせなかったもの。失礼だけど、ブルマさんはもちろん違うし・・・案外、ピッコロさんだったりするんだろうか。
 すっかり暮れた藍色の空には、既に音のしそうなほど星が煌めいている。あちこちの施設や住宅が破壊されて灯りが少なくなってはいたものの、やはりこれほどの夜空は都では拝めない。
(よくお父さんとこうして星を眺めたっけ)
 星座の名前を次々挙げてみせる息子に、悟飯は何でもよく知ってんなあ、と父は目を細めていたものだ。その優しい笑顔を鮮やかに想い起こし、思わず涙ぐむ。
(お父さん―)
 僕はなんて幸せ者なんだろう、と彼は震えるようにそう思った。彼には思い出がある。誰にも壊すことのできない宝物だ。ひたすら明るく、愛情深かった父の記憶は、今も尚彼を温め、勇気付けてくれる。どう生きるべきかを示してもくれる。
『やっぱり、男の子には父親が必要なのかしらね』
 ソファで眠り込んだトランクスの髪を撫でながら、ブルマが漏らしたことがある。母親には与えてやれないものって、やっぱりあるんだわ。ましてやこの子は、半分サイヤ人だから。
『尤もあいつが生きてたとこで、その役割が果たせるとは思えないけどね』
 想像してみたのだろうか、そう言って面白そうに相好を崩す。だが白い横顔に一瞬射した微かな孤独の影が、常々強くて明るい人だと思っていた彼女を、ひどく可憐でなよやかに見せた。彼は急に、彼女を抱き寄せたいという強い衝動に駆られた。そのとき遂に、はっきりと自覚したのだ。

 この女(ひと)に、惹かれ始めているのだと。
 



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