秘密と魔法(4)

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「ああ忙しい、忙しい」
 図書館から戻ったトランクスは、夜からの外出(の演技)の支度で右往左往していた。気の場所で芝居がばれないよう、場合によっては父が都を離れるまで実際外に出ていなければならないかもしれない。
「パパもそろそろ支度したら?」
 日も暮れたというのにリビングのソファでニュースを見ているベジータに、シャワーを使って濡れた髪を拭きながら彼は声を掛ける。母には昼間電話して、父が来訪するだろうという事を告げておいた。色々準備もあるだろうし、仕事ではあっても母が男性達に囲まれている姿を目にしては父とて気分が良くないだろう、という彼の気遣いである。
「支度?」
「まさかその格好で行く訳じゃないんでしょ?」
 黒いタンクトップにグレーのスウェットパンツという軽装の父を上から下まで眺めながら彼は言った。
「そのつもりだが」
「駄目だよそんなの」
「何が駄目なんだ」
「北の方へ行くんだよ、風邪引いちゃうよ」
「俺は寒くない」
 本当はそんな問題ではない。彼は父がどういう肉体を持つ男なのか痛いほど知っている。そんな普段着丸出しの格好で万一仕事関係者に鉢合せでもしたらどうするのだ。母の体面が潰れるではないか。それが解らない父ではないはずだが、夜陰に紛れて忍び入れば問題無いとでも思っているのか、あるいは問題だとすら思っていないのか。
「ママだって格好良いパパの方が喜ぶよ」
 だが、母の社会的な事には一切関知しない父に向かってそれを口にすべきではない、と分かっているので、彼は父の弱そうな部分を攻めに掛かる。
「ふふん」
 すべて読んでいるのか、父は鼻で嗤った。
「あいつが欲しがるのは服の中身だ」
 自信の程を口にしたのだと分かっていたが、年頃の少年には直接的な含みを持って響く言葉だった。黙ってしまった彼を見て思い当ったのだろう、父は呆れたように表情を開き、僅かに片頬を持ち上げる。
「まったく、下品な所はブルマにそっくりだな」
 父の低い呟きは、微かに温度を感じさせた。


 それでも彼の勧めに応じる為に父は自室へ向かったが、再びリビングに現れたその格好を目にして彼は呆気に取られた。
「・・そりゃさっきよりはマシだけどさ」
「充分だ」
 ベジータは、黒い開襟シャツに黒革のパンツというラフな出で立ちで、はや窓を開けようとしている。
「ちょ、ちょっとまってよパパ」
 今にも飛び立ちそうな父の背に声を掛け、慌てて呼び止めた。
「コート着たほうが良くない?」
 幾分かは正装感が出て誤魔化せるかもしれないと思い、彼はそう提案する。だが父の答えは彼が予想もしなかったものだった。
「無かった」
「え」
「適当なのが無かったんだ」
「そんな訳ないじゃん、クロゼットに一杯あるでしょ。今年買った黒のロングコートは?」
「ブラの涎(よだれ)で駄目になった」
「・・グレーのハーフは?」
「ブラの足跡が付いたから始末した。御丁寧にペンキを付けて踏んでくれた」
「・・・白のカシミヤは?」
「ブラが落書きして芸術的な一品になった」
「・・・・キャメルの細身のは?」
「ブラが勝手に羽織って歩いて落としてきた」
「・・・・・去年のトレンチもブラが駄目にしたの?」
「いや、あれはまどろっこしくて好きじゃない」
「・・・・・・チョコレート色の革のやつは?」
「今の気分じゃない、第一合わんだろ」
「・・・・・」
「気が済んだか」
「・・まあね」
「あれはまだましな方だ、お前はもっと色々破壊して回ってた」
「もう時効でしょ」
「さあな、ブルマが決めることだ」
 そう言いながら、父は両腕一杯に窓を開いた。未だバスローブ一枚だった彼は、流れ込んできた外気の冷たさに僅かに身を縮める。冴えた夜空に飛び去る父を見送り、濡れた髪を風に弄られながら、母にと買った品を託そうとして忘れていた事に気付いた。
 ・・まあいいや。あれはおばあちゃんにあげよう。
 豹皮の模様の手袋だって、祖母ならきっと素敵に使いこなしてくれるに違いない。
 母には父、そして父には母で十分だろう。
 へえ、あいつが来るんだ。電話口で意外そうに響いた母の声に溶ける、面白そうな、嬉しそうな色。ブルマが決めることだ。この家の全ては母に帰属すると言った父の言葉に潜む、自信と惚気(のろけ)。
 こんなに冷たくなっちゃって。
 到着した父に母が囁きかける優しい声が聞こえてくる気がして、あの薄着は父の無意識の作為だったのかもしれない、と窓を閉めながら想像を巡らせ、馬鹿らしくなって小さな溜息をついた。
「さてと、オレはどうしようかな」
 父が先に家を出たので、彼が実際に外出する必要はなくなった。祖父母は既に社に出向いている。烏龍は昼頃出掛けて戻っていない。
 来年あたりから、彼も祖父母か母に連れられ、社交の場への同席を余儀なくされそうな気配である。イヴを気儘に過ごせるのはこれが最後になるかもしれない。そう考えると、家の中の沈黙がひどく大切なものに感じられ、急にワクワクと気持ちが弾み始める。
「とりあえず髪でも乾かすか」
 結局は徹夜でゲーム、なんてことになるのかもしれないが、それならそれで構わない。彼は今夜を精一杯楽しもうと決めた。


2005.12.18


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