秘密と魔法(1)

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「どうしたんだいトランクス、浮かない顔だな」
 大学近くにあるカフェのテラス席で、悟飯が首を傾げた。向かいの席で、椅子の背に凭れてぼんやり通りを眺めていたトランクスが、はあ、と溜息をつく。吐き出された息が薄く小さな霧を作った。
「ここんとこパパが機嫌悪くて。帰ったらまた重力室でしごかれるかと思うと・・」
 特徴的な薄色の髪がさらりと流れる。午後遅い冬の光が長い睫毛に降り、瞬きに合わせてきらりと揺れた。純粋な地球人と比較は出来ないが、まだまだ少年らしい線の細さが残り、彼の持つ透明感を際立たせている。
「ベジータさんが?どうして?」
 絵になる子だなあ。木組みのテーブルの上にあるベージュのコーヒーカップに手を伸ばしながら、悟飯は目の前の景色に感心する。折から吹き抜けた冷たい風に、白いタートルネックの首をすくめた。
「ママが出張中なんだよ。2月にならないと戻って来ないんだ。まだ1ヶ月も経ってないってのにさあ」
 会いたいんなら会いに行きゃいいと思うんだけど。湯気を上げる水色のカフェオレボウルの縁を指先で弾き、不規則なリズムを刻みながらトランクスはぶつぶつとこぼした。少し唇を尖らせる仕草が、彼を年齢より幼く見せている。悟飯は苦笑しながらカップを口元に持って行った。
「じゃあ、そう言ってみたらどうだい」
「バカな事言わないでよ、そんなことしたらパパ余計に意固地になっちゃうじゃんか」
「はは、そりゃそうか」
 悟飯は笑って、一口含む。濃い芳香が鼻腔を刺激し、熱い液体が舌を滑った。ああ、あったかい。幸せそうに溜息を吐き、くすんと小さく鼻をすする。こういうところは地球人の血が濃く出たのだろうか、彼は同族たちの中では極端に低温に弱い。昔はそんなことも無かったのだが―
「君も色々大変だね」
 カップを両手で覆い、掌を温めながら悟飯は可笑しそうに同情の言葉を口にする。
「悟飯さんとこが羨ましいよ、悟空さんは素直だもん」
「うん・・まあね」
 まったく、仕事もしねえで二言目には修行、修行だ。
 とは、最近ではとんと聞かなくなったが、幼い頃よく耳にした母の文句だった。両親の夫婦仲は昔から悪くはなかったが、それは母の強靭な忍耐と巨大な寛容、父の能天気の上に成り立っていたのだと言える。母のそれらが尋常ではなかっただろう事が、今なら理解出来た。父は確かに素直で、常に自分に忠実だった。母にとってそれは、父の愛しい部分でも、煩わしい部分でもありつづけたことだろう。
「健全だよ、君の御両親は」
「?」
「いや、何でもないさ」
 悟飯は湯気に曇った眼鏡を外し、ポケットから白いハンカチを取り出してグラスを拭う。ぼやけた視界に、広場の中央にある大きなクリスマスツリーが映った。
「明日か」
 眼鏡を掛け直しながら呟いた悟飯の視線を追ってトランクスが振り向く。
「ああ」
 イヴね。金と青を基調に豪奢に飾り付けられたツリーから、さして興味もなさそうに視線を戻してトランクスが頷いた。
「誰かいい人と一緒に過ごすのかい」
 何気なく言ったのだが、小さな皿にこんもりと盛られた一口大のマドレーヌに手を伸ばしていた少年は、一瞬動きを凍らせる。
「まさか」
 悟天じゃあるまいし。菓子を口に放り込み、うっすらと顔を赤らめてそっぽを向く様子に、思わず唇が綻んだ。興の向くまま、もぐもぐと口を動かすトランクスに乗り出すようにして顔を近づけ、囁く。
「ナイショにしといてあげるから、僕にだけ教えてよ」
「違うってば!」
 抑えた声で叫んだ拍子に、形の良い唇から菓子の欠片が飛び出した。からかい甲斐のある反応に、悟飯は声を立てて笑う。
「もう・・!」
 トランクスはテーブルの上に吹き出した欠片を払い落としながら悟飯を軽く睨みつける。
「ふふ・・だって、さっき女の人の手袋を選んでたじゃないか」
 妻からの頼まれ物を手に入れよう、と大学からこのショッピングモールに出てきたところ、高級店の立ち並ぶ通りで婦人服のブティックに入ってゆくトランクスをみつけ、声を掛けたのだ。いかにも玄人好みなその店に、彼に見合う年齢の少女への贈り物など無いだろうことは分かっていたが。
「これはママのだよ。好きそうなのがあったから・・」
 椅子の上にカバンと一緒に放り出された、黒い牛革を模した包装紙に細い銀のリボンをあしらった小さな包みに目をやり、トランクスが拗ねたように言った。
「優しいね、君は」
 年頃の少年にとって、ああいった場所に足を踏み入れるのはちょっと勇気の要る事だろうと思い、彼は目を細める。
「そんなんじゃないよ、ちょっと考えがあるんだ」
「考え?」
「悟飯さんには教えないよ。すぐからかうんだから」
「意地悪だなあ」
 両親絡みであることは想像がつく。親孝行な子だ。一女の父でもある彼はトランクスの頭を撫でてやりたい衝動に駆られたが、これ以上子供扱いすれば本気で怒らせるかもしれないと思い、それを抑える。
「さて、そろそろ戻らないと」
 最後の一口を飲み干し、カップをソーサーに戻して悟飯は立ち上がった。
「健闘を祈るよ。上手く引っ掛かってくれるといいね、ベジータさん」


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