秘密と魔法(2)

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 ・・・べつに引っ掛けようってんじゃないけどさ。
 夕方の冷たい風にコートの襟を立て、うう、寒いなあと呟きながら去って行く悟飯の後姿を見送りながら、トランクスは肩をすくめた。
 あんな調子でこれ以上パパの相手をさせられたんじゃ、たまんないよ。
 勉学に追われる彼にとっては、切実な問題である。この辺りで一度、父を母に会わせてリセットしておく必要があるだろうと思った。特に何か企んでいるという訳ではないが、尋常に勧めたところで父が応じる訳がない。トレーニングでの疲労が増すだけだ。
『何寝惚けたこと言ってる。なぜこの俺が』
 ああもう、素直じゃないんだよなあ。ふんと鼻を鳴らす様がありありと目に浮かび、彼はまた溜息を吐いた。だが必要に迫られる形で彼が懇願すれば、あるいは引き受ける可能性もある。一縷の望みをかけ、母に贈り物を用意した。しかし『プレゼントを届けたいんだけど、行けなくなっちゃったんだ。パパ代わりに行って来てよ』では、下手をすれば殴られるかもしれない。彼は悩んでいた。
 イヴを明日に控え、街は浮き足立っていた。カラフルな包みを抱えた人々が、楽しげに行き交っている。
 まったく、何がそんなに楽しいんだか。
 だが先日、祖母にツリーの飾り付けを頼まれ、勉強とトレーニングでへとへとになった身体で200余りもあろう小さなオーナメントを枝にせっせとぶら下げていた自分を思い出し、思わず一人で吹き出してしまった。
 損な性分だよなあ。
 人が好いというのだろうか、頼まれると断れないのだ。セルフィッシュの王道を行くようなあの両親からどうして自分のような子が生まれたのか、つくづく不思議だった。
 なんだかんだ言って結構楽しかったんだけど。
 とりどりのオーナメントを手に取ると、子供の頃のクリスマスを思い出した。金色の糸で精巧な装飾を施されたゴールドやブルーのボール、クリスタルのグラスボールにティア、麦の穂のような細やかな編み込みで象られたスター、びろうどの衣装を纏った小さな小さなエンゼル・・一つひとつに、彼の歴史が刻まれている。
『クリスマスにはね、みんな魔法に掛かるのよ』
 幼い頃、一緒にツリーを飾りながら祖母が話してくれた。
『みんな?』
『そう。素敵でしょう』
『パパも?』
『もちろんよ』
『でもパパは、くだらないっていうよ、こういうの』
『うふふ、でも聖夜には皆と一緒に過ごすでしょう』
『そうだね』
『知ってる?』
『なあに?』
『パパとママが初めてキスしたのも、クリスマスだったのよ』
『ほんと?』
『ええ、ほんとよ。見た訳じゃないけど、おばあちゃまには分かったの』
『どうして?』
『ママのお顔に描いてあったのよ、「パパと情熱的なキスをしました」って』
『ほんとに?』
『内緒よ』
『わかった、ないしょだね』
 だが小さな彼はその足で母の所へ行き、おばあちゃんが内緒だって言ってたけど、と彼女に訊ねたものだ。
『やだ、母さんたらそんなこと言ったの?』
『ホントなの?』
『んー、多分ね』
『たぶん?』
『ママ気を失ってたんだと思うんだけど、憶えてないのよね』
『じゃあどうしてわかったの?キスしたかもって』
『・・・内緒』
『またないしょなの?』
『何が内緒なんだ』
 食事を終えてダイニングから出てきた父の耳に不穏な台詞が届いたらしい、通りすがりに背後から彼らに問い質して来た。母は、良い所に来たじゃないの、と振り返り、悪戯っぽく上目を使う。
『トランクスがね、あんたとあたしのファーストキスの話を聞きたいんだって』
『な・・』
『あんたはちゃんと憶えてるでしょ、聞かせてあげたら?』
『ば、馬鹿が』
 父は頬にさっと朱を刷き、眉根を寄せてそっぽを向くと、足早にその場を立ち去ってしまった。母は笑いながら彼に向き直り、やさしく目を細めて語りかける。
『ね、こういうことは秘密にしておくものなのよ。じゃなきゃパパなんか、恥ずかしくてどうにかなっちゃいそうでしょ』
『そんなあ』
『慌てなくたって、あんたもキスするようになったら分かるわよ』
『いまでもしてるよ』
『それはママやおばあちゃんとでしょ。そうじゃなくて、好きな女の子とよ』
 あ。
 てことは、パパから、ってことか。
 つくづく思い直したことなど無かったので気付かなかったが、母は気を失っていたというのだから、つまりはそういうことなのだろう。母から迫ったに違いない、と今の今まで当然のように思い込んでいたが。
 パパ、一体どんな顔で・・・
 彼は毎日拳を突き合わせる父の厳しい表情を思い浮かべ、再び頬が熱くなるのを感じて僅かに俯く。軽いキスや抱擁は日常的に目にするが、彼の記憶する限り、父から母にそれらを求める姿を目にした事はなかった。
 だったらもっと素直になりゃいいのにさ。
 無理な話だと分かっていても、被害の殆どを被る彼としてはそう願わずにいられない。せめてブラが家に居たなら少しは父の気が逸れたかもしれないが―父は小さな妹を、彼から見れば立派に『溺愛』していた―、彼女もお気に入りのベビーシッターと共にブルマに同行している。
 いや、ある意味あんな素直な人も珍しいか。
 洗い浚い身体に出ちまうんだもんな。トランクスは立ち上がり、荷物を手に取りながら薄く笑った。これといった名案は浮かんで来ない。当分付き合わされることになりそうだ、と彼は既に八割方諦めていた。


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