秘密と魔法(3)

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 篭りきりだった祖父が研究室から顔を出し、ダイニングに向かうトランクスを呼び止めたのは翌朝のことだった。
「今日は何日だね」
 祖父は眼鏡を外し、親指の背の山で眉間を押さえながら彼に問うた。
「24日だよ」
「もうそんなになるのか」
「早くおばあちゃんに顔見せてあげなよ、今夜のパーティーに間に合うかちょっと気にしてたから」
 祖父のこの種の質問は日常的なものだった。彼は結構な高齢だったが、研究開発の能力に衰えは見えない。熱意もまた同様である。没頭すると寝食を忘れ、何日もラボから出てこないことがよくあった。
「ふむ、ちょっと眠らんといかんな」
 このままじゃ、ゲストと話しながら居眠りしてしまいかねん。祖父はそう言って小さな欠伸をした。
「時にトランクス、お前さんの今日の予定は?」
「予定?」
「忙しいかね」
「ううん、別に。いつもと同じさ。さっきまでパパと早朝トレーニングで、このあと昼過ぎまでサブスクール、その後図書館に寄って、帰ってきてパパとトレーニング・・」
「イヴだというのに、色気の無いスケジュールじゃなあ」
「・・放っといてよ」
「いや丁度良かった、それじゃ一つ頼まれてはくれんか」
「なに?」
「これをな、ママに届けて欲しいんだよ」
 祖父はそう言い、ポケットを探ると小さな赤いカプセルを取り出した。
「何これ?」
「内緒じゃ」
「またなの!?」
「?また、とは?」
「・・ああ、何でもないよ」
「じきに正式発表されるさ、その時までのお楽しみだ」
「ちぇ」
「開けてはいかんぞ、壊れたら大事(おおごと)だからな。カプセルに入ってる間は安心だが」
「分かったよ、で、何時までに?」
「明日午後のプレゼンに入用だと言っておったから、今夜あたり届くとありがたいよ」
「オーケー。そうだ、これを口実に夕方のトレーニングを・・・」
 さぼろう、と口に出そうとして閃いた。
「おじいちゃん、天才だよ!」
「ん?儂か?わしゃ確かに・・」
「タイミングの天才さ!」
「はあ?」
 訳が分からずに首を傾げている祖父を残し、彼はダイニングへと急いだ。父の気は階下にある。顔を覗かせると、案の定既に朝食と格闘を始めていた。
「へへ」
「・・・なんだ、気色の悪い」
 にやにやしながら向いの席に腰を下ろす彼を見遣り、父は不気味そうに目を細め、片方の眉を上げた。
「パパ、口の端に黄色いの付いてるよ」
「む・・」
 父は側らにあるナプキンを鷲掴みし、ぐいと口元を拭った。白い布に移ったスクランブルエッグの欠片を眺め、ふん、と鼻を鳴らす。
「ブルマみたいな事言いやがる」
「ママなら咥えて取ってくれるだろうけどね」
「・・・」
 父は軽く彼を睨みながら食事に戻ってゆく。機先を制しておいて、彼はおもむろに持ちかけた。
「あのさ、パパ」
「なんだ」
「これ、ママに届けてあげてくれない?おじいちゃんに頼まれちゃってさ、明日必要なんだって」
 言いながら、カプセルを押しやる。父はちらりと目をくれたが、すぐに手元のバゲットに視線を戻した。
「何故自分で行かない」
「行きたいんだけど、約束があったの思い出して」
「何の約束だ?」
「スクールの仲間とパーティーなんだよ」
「断れ」
「無理だよそんなの、ずっと前から決まってたのに」
「じゃあ運送業者にでも頼むんだな」
「だめだよ、盗まれたりしたらどうすんのさ。発表前のトップシークレットなんだよ」
「なら自分で行け。北の支社なら距離も知れてる、その位の時間は捻出できるはずだ」
「お願いだよパパ、それにさ」
 父に向って手を合わせながら少し上目遣いで付け加える。
「ママ、きっとパパに会いたがってると思うんだよね」
「・・・・・」
「連日会議会議で疲れてるよ。パパが行ってあげたら喜ぶと思うんだ」
「・・・俺はリフレッサーじゃない」
「頼むよ、たまにはオレにもママ孝行させて」
「・・・」
 父の沈黙に、彼は勝利を確信する。
(ぷっ)
 可愛いよなあ。
 表情は変えなくとも、母が傍に居るとたいてい父の気は柔らかくなるのだ。自分で気づいているのかどうか。少なくとも、他人に覚られているとは思っていまい。微かに舌打ちする父を視野の端に納め、彼は笑いを噛み殺した。


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