聖夜に (3)

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 飛ばしたい気分だったが、こう雪が降っていてはそうもいかなかった。彼女は、可能な限り低く、ゆっくりとジェットフライヤーを飛行させる。艶消しゴールドのボディは彼女自慢のオリジナルで、イブの雰囲気にもピッタリだった。晴れてりゃもっと目立つのに。彼女は今朝からの雨やら雪やらを恨む。後部座席には出番の無かった白い毛皮が放り出してあった。
 街の中心部にさしかかると、一際巨大なツリーが彼女を出迎えた。白とブルーの電飾で飾り付けられ、黒い空に向かってぴんと背筋を伸ばしている。一種、神聖に見えた。
 いいわね、これ。そういやここんとこ庭のツリー飾ってないわね。重力室が側にあるし、なんか雰囲気ぶち壊しなのよね。まあ、今年はあの男に振り回されて、それどころじゃなかったけど。
(・・・確かにね)
 ちょっと、いい男ではあるわ。眼つきは悪いし、優しくもないけど。
 自分が男に優しさであるとか甘いマスクであるとかいったようなものを求めていた頃のことを思い出して、彼女は薄く笑う。あの頃は、己がどんな人間なのかもまだ解っていなかった。
 ヤムチャは、男らしい美貌と、女に接する時の申し分の無い優しさを兼ね備えていた。欠点といえば、彼を自分だけの男だと感じさせる何かが足りないということだけだったが、それは恋人としては決定的な欠陥であると言えた。しかし、そんなことは彼らの関係が成立してそれほど時間の経たない内にはっきりしていたことであり、十五年以上も継続したそれに終止符を打つ理由であると主張するには、弱いものであった。
 理由ね。
 理由は、はっきりしていた。彼女は、もはや自分たちが同じフィールドの上にはいないのだということに気付いてしまったのだ。
 自分は、戦っている。彼女には強い自負があった。それが仲間たちの戦いに劣るものだとは思わない。手にしている武器が肉体ではないというだけのことだ。彼女は確かに、父の優秀な頭脳を継ぐ、専門分野における天才だった。だが、彼らが自分自身を追い込んで高めるとき、彼女もまた血を吐くような思いで自分を振り絞ってきた―美学に反するので、他人に悟られないようにしてきたけれど。そうやって、自分は常に彼らと共にあったのだ。
 だがヤムチャはどうなのか。本当に限界なのかもしれない、とは思う。けれど自らそれを定め、それを言い訳にして、彼らと共にある努力を放棄しているように彼女には見えてしまうのだ。同じ力を持たねばならないという事ではない。ただ、これまで彼がそうしてきたように限界に挑み、前進し続けることをやめてしまえば、もはや自分たちは同じ舞台の上にはいられなくなる。
 けれど、その肩の力の抜けたようなところが彼の良さなのかもしれない。それが、多くの人を許容し惹きつける彼の優しさに繋がっているのかもしれなかった。それならば、それでいいと思う。男としての彼に、自分はそれを求めなかったというだけのことだ。パートナーとして共に過ごすことはもう出来なくとも、彼女は彼という人間が好きだった。口に出さずにおいたのも、別離の原因を浮気癖ということにしたのも、彼とこれからも友人で居続けたいと望んだからである。
(なのに、あいつったら)
 脱力してしまった。少しは自覚しているかと思っていたのだが。
 他に好きな男が出来たんじゃないのか、だって。そんなの、この際関係ない話なのよ。ふらふらして、色んなこと放っぽり出して、自分からあたしを手放すようなことになっちゃったくせに。彼女は自ら舞台を下りた彼が、自分以外の何かに破綻を原因付けようとすることに、失望を感じないではいられなかった。
 終わってたのかも。
 生きる場所がズレてしまう前から。地球に戻ってきてから、彼を『自分の男』という以上に意識したことが無かったような気がする。自分と対等なパートナーを彼の中に見出せなくなっていたのではないか、と今になってみるとそう思うのだ。
 そして今、彼が下りた舞台の上にいるのは、あの戦闘マニアだった。
 彼女はそうはっきりと自覚していたが、それは、今までヤムチャが演じてきた役をそのままあの男が引き継ぐということを意味するものではない。人間として、同じ次元に立っているというだけだ。
 だけ、じゃないかもしれないんだけど。
 彼女は、自分と男の間にある、微妙なものに気付いていた。
 男が彼女に呼びかける時の、声の響き。
 不機嫌そのものといった様子であることには変わり無いのだが―特にここ半年ほどは―、なんと形容したらいいのだろう、微かな湿度のようなものが感じられる時がある。第一、彼が名詞を使って呼びかけるのは彼女だけなのだ。おい、女。だがその『女』とは、呼びかけにおいては彼女以外の誰にも向けられる事の無い、一種固有名詞のような扱いを受けていた。
 ふと身体が触れ合った時に流れる、空気。
 一所にだけ据えられている燃えるような眼の光が、一瞬、ほんの一瞬だが、弱まり、睫毛が揺れるように感じる。だがそれはあまりにも一瞬過ぎて、視覚的に捉える事が出来ているのかどうかが、自分でもよくわからない。
 無茶を繰り返す男を止めようとして、その身体に触れる彼女を振り払うときの仕草。
 どんなに邪険にされようとも、実際には痛みが尾を引いたり指の跡が残ったりする程度に乱暴な扱いさえ、彼女は受けたことが無かった。彼が彼女に要求する作業に差し障りが出ることを慮っているという訳ではあるまい。あの男なら、彼女の腕の一本や二本折れていようとも、同じ仕事を要求するだろう。
 だが、確信があるわけではない。
 微か過ぎるのだ。全部自分の思い過ごしなのかもしれない。そして、もしそうであるならば、それは取りも直さず彼女にとってこそ彼がある種特別である、ということを意味する事になりはしないか。
 だとしたら、ちょっと困るわね。
 男の、あの憮然とした表情を思い浮かべる。今のあの状況で、彼が自分を受け入れることなどありうるだろうか。もしあったとしても、それは彼女の肉体を受け入れる以上の意味を持つものではないだろう。意思を持たない肉として扱われるなど、たとえ一時でも彼女には耐えられそうもなかった。
 わかりにくいのよ、あいつ。
 だから彼女は、何かの拍子にあの男とどうにかなってしまうことを嫌だと思ってはいない自分を薄々感じてはいるものの、そういう自身を手放しで認めるわけにはいかないのだった。
 少なくとも、どうにかなるならば、もっと自分の存在をあの男に顕示してからでなくては。彼女は、そう感じる自分が既に――とは考えていない。単に自尊心の問題だ、と思っている。
 眼下にカプセル・コーポの建物が見える。リビングにもダイニングにも灯りは無いようだった。両親は、社のパーティーに出席しているころだろうか。重力室の窓からも明りが漏れていないということは、ベジータは自分の部屋にいるか、あるいはトレーニングに出掛けたまま帰っていないのだろう。彼女はゆっくりとフライヤーを旋回させ、玄関前に着地させた。
 フライヤーから降りると、雪化粧した庭に目を遣った。まだ薄いが、一面白に覆われ始めている。西の都でこんなに降るのは珍しいことだ。
「積もるかもね」
 彼女は白く息を吐き出しながら天を仰ぎ、玄関をくぐった。

2005.5.7



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