聖夜に (1)

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「予想はついてたでしょ」
 広がる夜景を見下ろしながら、ブルマが呟いた。横顔に細い後れ毛が掛かって艶めかしい。光を飲み込む布地の、肩紐の無い黒いロングドレスが、彼女のしなやかな体躯や豊かな胸元のミルクのような白さを際立たせている。
「・・今夜で最後って訳か」
 そうだ。予想というより確信だった。今日か明日か。違いがあるとすればそこだけだ。

 『西の都で一番空に近い場所』として有名なラウンジの個室は、明日に迫った聖人の誕生日を祝って、控えめだが普段よりも凝った装飾が施されている。それがいつにも増して美しい彼女の姿と相まって、彼には寒々しさを倍化させるものに感じられた。
(わざわざこんな話をしに来るとこじゃないよな、普通)
 昨夜、待ち合わせ場所に現れた彼女のにこやかな表情を目にした時は、最近ぎくしゃくしていた彼らの関係を改善するため、クリスマスまでの二日間を一緒に過ごすつもりなのだろうと思っていたのだ。だが夕食時の気味悪いくらいに機嫌の良い様子や、同じベッドで過ごそうとしない ―尤もそれはここのところずっとだったが― 彼女の態度に、自称“勘の良い男”である彼が別の意図を読み取るのはそう難しくなかった。今日はショッピングなどして昼間を過ごしたが、そのときも、彼は迫り来る足音を聞くような思いを味わっていたのだ。
「明日からうちには居づらいと思うから、三月末まで昨日の部屋押さえてあるの。その間に、どっか落ち着く先見つかるでしょ」
 あんたと一緒に住みたいって女の子達はゴマンといるだろうから、余計なお世話かも知れないけどさ、と彼女は小さなバッグからカード型のキーを取り出し、黒光りするテーブルの上に置いた。
 手切れ金みたいだな。馴染みでは無いが、このホテルで百日部屋を取るのにいくら掛かるのか位は彼にも想像がつく。先払いだから、早く出てバックした分はあんたの懐に入れといて。紅い唇から漏れる台詞に、彼は苦笑を禁じ得なかった。
(『みたい』って話じゃなくなってるぜ、おい)
「理由は訊いちゃ駄目なのか」
 ヤムチャは、深緑の地に金文字でナンバーが刻印されたカードを暫くもてあそんだ後、口を開いた。
「あんたがそれを言うの」
 彼女はテーブルの上のマティニに沈んだオリーブの実に目を落とし、小さな声で呟いた。テーブルに映るカクテルグラスが、虚実で美しい対照を成している。グラスの縁をなぞる指先は深い赤に染められていた。
 オレが悪いって訳なのか。そりゃ確かにな。お前以外の女と出掛けることだってあったさ。でも、いつも言ってたろ。そういうんじゃないって。
「オレの浮気が原因だってことなんだよな」
 彼はこの先を口に出すべきか否かを考えながら、一旦言葉を止めた。
 このまま、そういうことにしておいた方がいいのかも知れない。そうすればいつものように、ほとぼりの冷めた頃姿を現せば、ヨリが戻るということも―
(無いよな、今度ばっかは)
「ホントにそうか?」
 だったら、言わせてもらおう。
「・・どういう意味?」
 ブルマは視線を落としたまま低く言った。
「オレが例えば、お前一筋って男だったら、このまま続いてたか?」
 例えばじゃなくて、実際そうなんだけどな。
「仮定の話なんか、意味無いわ」
「ブルマ、オレの顔を見てくれ」
 ヤムチャが、彼女の顔を滅多に無いほど真剣な様子でみつめる。ブルマはちょっと視線を上げたが、すぐにまたそれを手元に戻してしまった。
「お前、他に好きな男が出来たんじゃないのか?」
 彼は決定的な一言を口にした。彼女は、沈黙したまま動かない。
「・・いいさ、それは仕方ないよ。そういうのは―仕方ないもんな。それにお前をヤキモキさせたオレも悪かったのは確かだ」
 くそ。オレってどこまでお人好しなんだろ。何が『仕方ない』だよ。
「だけどな、相手が悪過ぎないか?あいつ、そういうの理解出来るのかな。お前の気持ちとか、そういう、なんていうか」
「ヤムチャ」
 彼女が、目を上げずに彼の名前を呼んだ。声が揺れている。まずい。泣かせちまったか。彼は彼女の顔を覗き込む。だが薄暗い照明の下、俯けた顔に浮かぶ表情までは読み取れなかった。
「余計なお世話だろうけど、言わせてくれ。あいつは普通の男じゃない。オレもちょっと前まで忘れてたけどな。あいつが最初何のために地球に来たか憶えてない訳じゃないだろ?そのとき何をしたのかも。それにタイムマシンに乗って来たとかいうあの変なやつが現れてから、いや悟空が帰って来てからって言った方がいいのか、あいつ滅茶苦茶じゃないか。悟空を超えることしか頭に無いって感じだ。いや最初からそうだったかも知れないけど、最近はもう他の事は何も見えちゃいない。そんな状態で―」
 お前に目を向けるようになるとは思えない。だが彼はそれを口に出さなかった。
 それは―本当じゃない。ような気がする。だから口に出せない―オレってこう見えて正直だから?いや、違うな。彼女のことを想って言ってるつもりだが、実はそうじゃないんだってことを激しく自覚するのがイヤなだけなんじゃないのか、オレ。
「・・ヤムチャ」
 ブルマは俯いて肩を震わせている。言い過ぎちまった。わかってるんだ。こんなこと、言ったって無駄なんだよな。たとえオレの言う通りでも、お前は自分を止めたりしない。全身全霊で、奴を振向かせる努力をするだろうさ。お前はそういう女だよ、ブルマ。走り出したら誰にも止められないんだ。自分自身にだってな。
「それ・・ベジータのこと?」
 すまないブルマ・・ああ、涙なんか浮かべて――ってお前笑ってんのか?
「あの戦闘マニアの変態のこと言ってんの?」
 彼女は、もうたまらないと言いながらバッグからハンカチを取り出し、喉の奥で笑いながら目尻を拭う。
「あーあ、可笑し。あんた自分が何言ってるか解ってる?あたしがあんなの好きになる訳無いじゃないの。非常識だし態度はデカイし口は悪いし自意識過剰だし大食漢だし。あの変態が女になんて興味あるわけ無いでしょ。あいつの恋人になれんのは孫君か重力室だけよ」
 彼女はマティニのグラスに口を付け、一口飲んだ。
「責任転嫁は良くないわよ。ふらふらしちゃって、しっかりあたしをつかまえとかなかったのはあんたじゃないの」
 彼女は最後の一口を飲み干し、静かにグラスを置くと、立ち上がって彼に尋ねた。
「荷物、どうする?落ち着くまでうちに置いとく?」
「・・頼むよ」
「分かった。プーアルにも話しとくわ。じゃ、元気でね」
 空になった自分のグラスからオリーブをつまみ上げ、口に放り込んで、彼女は軽やかに退場して行く。ドアの外に消え行くその白い背中を、彼は呆然と見送った。



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