黄昏(3)

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 遠征先で、無数の筒状爆発物を胴回りに巻いた幼児が、彼女によちよちと迫ってきた事があった。訳も解らないまま、自爆攻撃を強いられたのであろう。集落一つを吹き飛ばす威力を持つ強力なもので、至近距離で炸裂すれば深手を負いかねなかった。近侍達は、今考えるとあれは陽動部隊だったのだろう、付近に迫っていた一団の派手な攻撃に気を取られ、幼児に気付いていない。
(面倒な・・)
 と手ずから弾き飛ばそうとした瞬間、目が合った。黒く、大きく、無垢だった。まだ喃語しか話さぬ、幼い息子に似ていた。凍りついたまま爆破されかかった彼女を間一髪で救ったのは、王であった。
『母親のままでいたければ、後宮から出て参るな』
 これでは足手纏いよ。その身体で爆風から守った後、王は冷ややかに言い捨てて彼女を突き放した。
 このままでは―
 わたくしが、わたくしではなくなってしまう。すさまじい恐怖に駆られ、彼女は息子を遠ざけるようになった。三歳を迎えて後宮から出るその日まで、決して顔を合わせようとはしなかった。その後も可能な限り接触を回避し、宮殿の廊下で擦れ違う時なども、守役にきつく申し渡して深く敬礼させ、顔が見えないようにさせてきた。そうして彼女は、徹底的に我が子を避け続けたのである。
 惑星の名を戴く、誉れ高き彼女の息子は、今フリーザの手元にいる。質に取られている以上、王が行動を起こせば命を取られるのかもしれない。
(その方が幸せであろうよ)
 永らえたなら、その生はきっと過酷を極める。裏切者の子として、フリーザの下で生きねばならないのだ。逃れる事など、尚叶わぬ。そして上手くない事に、息子はフリーザに酷く気に入られているという。その生き地獄に落ちる公算が高い。
『あれなれば、かの伝説の戦士も夢ではない』
 王は常々、彼の最も優れた息子の将来についてそんなふうに語っていた。欲目というもの、と彼女は内心嗤っていたが、その言葉通りであれかし、と今は願わずにいられないのだ。檻に繋がれ、誇りを踏み躙られる生を想えば、身を裂いてその子を産み落とした母として、そうしないではいられなかった。
「あれは」
 低い声に、彼女は現実に引き戻される。その心を読んだように、王が呟いた。
「生きるだろう」
 折から吹き過ぎた風に、立ち去ってゆく彼の背で緋布がはたはたと翻る。その裾から流れたゆかしい、なつかしい香りに、彼女はゆっくりと瞬きした。
 いや―
 心を読んだのではない。彼もまた、残酷にも生き残るに違いない我が子の未来に、思いを馳せたのだろう。彼女とは違う形のそれであったかもしれない。だが彼もまた、一人の親には違いなかった。
 ベジータ。
 彼女は心で、息子に呼びかける。通信手段を持たなかったころ、サイヤ人には精神感応(テレパシー)の力があったという。それを恃んだ、という訳ではない。ただ自分達に未だそんな力があるのなら、この声が息子に届くこともあるのかもしれない、と思った。
 疎まれ、遠ざけられて、母の顔も知らない我が子。おそらくはこの先、彼女を思い起こす事もない。記憶の中に、母親のない子。自ら望んだ事だ。それは良い。それでよい。
 だが―
 父上のこと、どうかお忘れあそばすな。
 一族が滅んだ後、生き延びたならば、彼を記憶するただ一人のサイヤ人となろう。まだ幼すぎる。父がどんなに偉大な男であったか、きっと知り得まい。願わくばそれを誇りに生きて欲しいが、是非もない事だ。だがせめて、その血を彼に授けた者として、数多(あまた)の子等から自分を選び取った王として、自分を確かに、愛した父として。それでよいのだ。憶えていて欲しい。
「陛下、間もなく晩餐でございます。そろそろお召し替えを・・」
 近侍に促され、一つ頷いてから、今一度眼下の王都を見下ろした。これもまた、王が一代で産み落とした子ではある。
 この子は、消えてゆく。幾多の惑星で、幾多の都が彼らによって滅んできたように、この子もまた一族の血塗られた歴史を抱き、産みの親もろとも灰燼に帰してゆく。
「陛下」
 再び促され、踵を返した。だが王が灯し、また王ゆえに消えゆくその煌きは、いとけない子が贈る手向けのごとく、彼女の黒瞳の中でいつまでも、いつまでも明滅を繰り返していた。


2008.2.11



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