黎明(2)

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(おかしな人だこと)
 来る度に不機嫌そうな王の様子に、彼女は常々首を傾げていた。何が気に入らないのだか知らないが、そんなに面白くないというなら渡りが無くなっても良さそうなものなのに、頻々と通ってくる。それも大抵、その晩最後の渡りとなる場合が多いようだ。二人、三人と別の女の部屋に入った後、彼女の部屋に来て夜明けまでを過ごす。
「御機嫌がお悪いというよりも、少し緊張しておいでなのですよ」
 彼女付きの年配の女官は―名をチャーガと言った―、浴槽の縁に腕枕してうつ伏せる彼女の背を湯の中でそっと揉みながら、そう言ってゆったりと笑った。もう一人の若い女官が、足裏を念入りに擦り立てている。
「緊張?」
 先日新しく入ったのだが、この娘はこういった事の按配が上手くないな、と閉口した。そっと足首をねじると、ようやく察したか少女が手を引く。お薬草を、とチャーガが指示すると、彼女は軽やかに立ち上がって浴室の外に消えた。
「ええ、陛下はあなた様に対しては、常に一歩引いてお接しだと私はお見受けしておりまする」
「馬鹿な」
「最初は、あなた様の御出自が高貴であるためなのかと想像致しましたが、それだけではないような」
「そなたはあの方がわたくしをどう扱われるか存じておらぬゆえ、そのように申すのです」
「どのようにお扱いになられまするか」
「それは・・そなたには関係ありません」
 顔を赤らめて口篭る彼女の言葉に、女官は控えた。笑いを噛み殺している。睨んだが、この古株にはまるで効果が無かった。
 彼女を扱う王の態度といったら、それはもう酷いのだった。
 彼女は、生まれてこのかた想像したことすら無いような姿態を晒すよう強要されたり、そこがそんな風に使えるものなのか、と自分の体の新しい機能に驚かされたりした。
『そなたはまだ己を知らぬだけだ』
 あまりの要求に、遊び女ではございません、と拒んでも、王はそう言うだけで意に介さない。だが不思議な事にその高慢な態度もまた、彼女に拍車を掛けるのだ。心配致すな、そなたはこうする事がそのうち好きでたまらなくなる、と耳元で囁かれると―
 いけない。
 堪える彼女を見下ろし、あるいは見上げて、王は酷薄な笑みを浮かべ、
『貪欲な女よ』
 煽ると解って耐えているのだろう、などと侮辱の言葉を浴びせて散々弄ぶ。
 誰にでも、こんなふうなのだろうか。
 知りたかった。だが本気でそう考える事は、彼女の敗北を意味する。そしてそれを敗北であると感じれば感じるだけ、彼女は檻に近付いてゆく。それを弁えてなお、彼女は負けたくないと感じる。
「お腹側を」
 身体を返すよう促され、湯の中でくるりと向きを変えて浴室の天窓を仰いだ。午後特有の気だるい光がそこから斜めに射し込み、楕円形の浴槽からはみ出した足指の先をかすめて、床の上に落ちている。珍しい純白の石材の照り返しが眩しく、彼女は思わず目を細めた。そこから視線を逸らせて湯船縁の枕へ頭を預け直した所に、香草を盛った銀盆を手に女官が戻ってきて、彼女の姿を見て打たれたように立ち尽くす。
「これ、お妃様をそのようにじろじろと、失礼な」
 たしなめられた少女が我に返り、急いで湯船脇まで寄った。皮膚を清浄に保つ作用のある草を掴んで、湯の中に浮かべようとしたが、うろたえたものか三分の一が床の上に散らばる。
「後は私が。もうお下がり」
 促されて、チャーガに銀盆を手渡しながら白い肢体に尚ちらりと目を遣り、それを眩しそうに瞬かせながら、少女は一礼して出て行った。
「未熟者でございます。よく申し聞かせますので、お許し下さいませ」
「慣れています。そなたも最初は同じだった」
「でございましたな。あまりにお美しいので、お見上げすまいとしてもついこの目が」
「目のせいとな」
「はい、この目が悪いのでございます」
「ほほ、そなたは面白い」
 真面目な顔で喋りながら、チャーガは香草を一束練絹に包んだ。湯に浸して少し揉むと、彼女の右手を取って指先から肩に滑らせる。涼しい香りが心地良く、彼女は空いている方の手で湯に浮かぶ葉を一枚取り上げ、鼻先に運んで楽しんだ。
 彼女の皮膚は、黄味掛かった肌の者が多いサイヤ人としては珍しく、静脈が透けるほど白かった。加えて粉をはたいたように密で、滑らかである。これも珍しい素直で柔らかな黒髪がそれを際立たせ、幼い頃から人目を引いた。容貌の半分は父から継いだが、この二つの麗質は完璧な形で母から譲り受けたものだ。
「お心が広くておいでなので、私共もつい心安くお仕え申し上げてしまいがちです。お気に障らなければ幸いなのですが」
「広いか」
「はい、先の娘なども、お人と御機嫌によっては・・・私の口からあまり詳しくは申し上げかねますが」
「また新手が増えたと思っていたが、そういう訳ですか」
「お妃様なれば、鷹揚に構えて成長をお待ち下さるのではないかと」
「申し難い事をはっきり申す女よの」
「恐れ入りまする、その方がお気に召すかと存じまして」
 なるほどこれだけの数の女が集まれば、気難しい者も居よう。サイヤ人の気質は(取引のある他星人などと比較すれば)概ね明朗だと彼女は思っていたが、と言ってそれほど単純だという訳でもないのだ。加えて、種族の特質的に無理からぬ事だが、激しやすい者も多い。女官も楽なものではないらしい、と彼女はちょっと眉山を上げた。



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