黎明(1)

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 中庭沿いの回廊を行く彼女に、柱の陰でたむろしている煌びやかな女達の視線が突き刺さった。素知らぬ顔で通り過ぎた背後に、ひそひそと囁き交わす声が続く。
 何とまあ、鬱陶しい。
 よくもこう毎度毎度、とうんざりしたが、一人の男の寵を競うとはそうしたものなのだろう。しかもサイヤ人である。こんなところに閉じ込められて、日々陰湿な戦いを強いられたのでは憂さが積っても無理のない話かも―
(暢気な)
 しれない、と同情を覚えた自分に彼女は薄く笑った。己も、先日来その一員に仲間入りしているではないか。
「・・が后候補だと申しますわよ」
「あんな・・な小娘が?」
 微かに届いた陰口に、わたくしは小娘と呼んで貰えるような歳ではないのだけれど、と吹き出しそうなのを堪える。
(それにしても、まあ)
 何度見ても大きいこと。建物の壁に四角く切り取られた曇り空を見上げ、彼女は呆れた。
 後宮に面白いことなど何一つあるまい、と覚悟していたが、今のところそれほど退屈はしていない。この宮自体もそうだが、敷地の広大さたるや尋常ではなく、まずそれを見て回るだけでかなりな時間潰しになるのだ。
 広い敷地は幾区画にも区切られ、高位の妃達が住まう大宮殿を中心に、長い回廊で繋がった美々しい屋敷や建物で埋め尽くされている。かなりの部分秩序立てて造られており、それぞれに独自の役割が与えられていた。惑星ベジータは、この宙域において人類の生息する星としては十指に入る巨星で、土地に不自由することなど無いとはいうものの、ここまで来ると一つの街である。
 まずトレーニングの為の施設が備えられており、かれらの恵まれた肉体を維持するという点で不自由が無かった。仮想現実空間(主として敵地であろう)を楽しむための装置を備えた大型ドームまである。自由に身体を動かせないという状況は、時にサイヤ人にとって深刻な問題にもなりかねないため、その辺りに配慮しているのだろう。
 また、専用の図書館を備えている。それも相当規模が大きく、内容も充実していた。媒体も、紙から電子ものまで様々あり、ある程度それらが扱える者であれば、殆ど不自由なく知識を吸収できるだろう。現に、この後宮が輩出した女生物学者や優秀な女医があると聞く。
 意外であったのが、小ぶりながらも歌劇場まで備えていた事だった。探索していてこれを見つけた時、彼女は、観劇者は妃たちで良いとして、果たして演じ手(歌い手)は誰なのだろうと沈思黙考したが―
(不思議なお方)
 女に地位など不要だ、と何の話をしていた時だったか王は彼女に言い放った事があった。それでてっきり「ああそういう手の男なのか」と思い込んで鼻白んでいたのだが、知識や教養を深める事には賛成であるらしい。先の放言も、彼女の思っているような意味で吐いたのでは無いのかもしれなかった。
(どころではない)
 規模にせよ内容にせよ、宮の外でこれだけ整った施設をみつけるのは、どれ一つも難しいのではないか。彼は女達を担い手に、ここを拠点にしてサイヤ社会に高い文化を浸透させようと考えているのかもしれない、とさえ思われる。
 サイヤの歴史は、そのほとんど全てが戦いにのみ彩られていた。高い文明を吸収し、また独自に発展させてもきたが、その動機となったのは、あくまでも戦闘本能の更なる充足である。故にか彼らは、今や軍事においては抜きん出た存在ではあった。だが、文化の類を十分に育てて来たとは言い難い。王はそれを、どんな形にか変えようとしているのかもしれなかった。
 彼はよく、遠征先からその星の人や物を持ち帰るのだと聞く。それは時に目も眩むような宝飾品であったり、それらを拵える職人であったり、素晴らしい音曲を生み出す楽人や歌手、楽器、見た事もないような布を織り上げる工人や、ほとんど魔法のような腕を誇る料理人であったりした。敷地内に林立する独創的な建物群のデザインは、そうして連れ帰った建築設計技師達が担当したと聞いているし、妃達が身に着けている衣装や宝石も、そうした職人達に彼女らが先を争って作らせているらしい。
 ここはつまり人為的に創り出された混沌の世界である訳だ、と彼女は考える。そうしてありとあらゆる場所から持ち込まれたものが、この後宮に吸収され、女達の、一人の男を巡る熾烈な競争の世界で研磨され、洗練を極めて王宮に手渡される。外の世界の人々にとっては、王宮は常に流行の発信基地である。広く社会にそれが拡散してゆくのは、そこまで来れば時間の問題だ。
 さらに、彼が持ち帰ったのは目に見えるものに留まらなかった。
 サイヤ社会に、初めてまともな法をもたらしたのである。その拘束力は未だ王室にまで及びはしないものの、歴代の王たちが専制を揺るがすものとして一蹴してきたそれを、彼は見事に取り入れてみせたのだ。まだ動き始めてからさほど時間が経っておらず、評価は難しいというものの、その一事のみ取り上げても、彼が歴史に名を刻む男になるのだろう事はもう間違いなかった。
 そして、富である。
(これが極めつけだろう)
 と彼女は思う。彼を王に戴いて後、フリーザと正式に軍事同盟を結んだ事で、サイヤ人は凄まじい巨富を手にすることになった。
『ここから見える星のすべてに、我らの栄える日が来よう』
 戴冠式の夜―彼女がまだ"小娘"だった時代だ―、彼は居並ぶ群集を前に、満天の星空を見上げて高らかに宣言してみせた。深く豊かなその声に、堂々たる若き王の姿に肌が粟立ったものだ。この人の下で、きっと何かが変わる。輝かしい新時代の幕開けに熱狂した人々の思いを、彼は裏切らなかった。
(でも)
 と彼女は眉をひそめる。すべてが、あまりにも急激すぎる気がするのだ。
 彼が王に立ってから、統治権力の一極集中が加速度的に進んでいた。人々は、内政・外交・経済、すべてに抜きん出た君主に酔い、彼を愛してのぼせ上がっている。そうして王の統治が上手く運んでいる間は問題無いだろう。だがどこか一端にでも綻びが現れれば、この突貫で織り上げられた錦はたちまち細切れに裂けてしまうのではあるまいか。彼の政に反対だという訳ではない。そうならない為にも法の整備を進めているのだろう。だが一体、何をそんなに急ぐ必要があるというのか。彼はまだ十分に若い。まだ十分に、一つ一つ踏み固めて行く時間があるというのに―
 差し出がましいとは思ったが、一度だけ、そのように進言してみた。
『后にでもなったつもりか』
 しかし珍しく機嫌の良かった王は(彼は彼女の元に渡るとき、概ね不機嫌な顔をしている)、彼女の言葉にたちまち気分を悪くして部屋を出て行ってしまった。あのままの状態で表に帰るという事はないだろう、と隣の内庭を見下ろす窓から窺うと、果たして回廊を行く背中が、対棟にある妃の部屋へと消えてゆくのが見えた。しばし間があって二階の窓が乱暴に開いたかと思うと、帳の向こうから女の物凄い良がりが響いて来る。彼女に聞かせてやろうという訳だ。なんという、と腹を立て、汚らわしいとこちらもすぐ浴室に飛び込んで身体を流したが、落ち着いて考えてみれば、その行動も状況もかなり可笑しい。
(あれだけの男が、まあ何と子供じみた真似を)
 いきり立った姿に寝込みを襲われた女の仰天顔を想像し、彼女は身体を震わせて笑った。



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