開幕、そして追憶(1)

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 重臣が集う一室に、王室医師団の長と、その配下二名が恭しく入室してきた。先頭に立って彼らを率いているのは、純白一色で正装した女官長である。
「いかがです」
「陛下はどちらに」
 長卓の脇にたむろしていた一群から突出して来て、腕を掴まんばかり訊ねた若い軍人を冷ややかに見返し、彼女は厳かにそう訊ねた。
「奥でお休みになっておられます」
「では、お取り次ぎ下さいませ」
 後宮女官のお高いことよ、と誰かが囁いたが、腰から後頭部に一本柱が通ったような姿勢のまま黙殺している。王の直臣であり、後宮の外では王以外の誰も彼女に指図できない。また一千とも言われる後宮女官すべてが彼女の配下であり、従って女官長とはこの一大官僚機構の長でもあった。
「通られよ」
 上座からそう声を掛けたのは、内大臣である。
「陛下からそのように承っている」
「では」
 女官長は、微笑めば愛らしかろうその顔をこころもち上げ、道を開ける廷臣たちの間を無表情のままするすると進んだ。小柄揃いの医師団が、大男たちの間を縫ってその背に続く。彼らが部屋の上手(かみて)にある扉の前に立ち、番人が奥に声を掛けようとした瞬間、重厚な扉が内側から音もなく開いた。
「首尾はどうだ」
 横になっていたらしく、王は少々気怠げな様子で扉に片腕を預け、僅かに掠れた低い声で訊ねた。女官長は、彼が扉の陰から姿を現す前に跪いていたが、思いおもいにたむろしていた臣下達は一拍遅れて気付き、慌てて彼女に倣う。最後に、長卓に掛けていた面々が立ち上がり、王に対する礼を示した。
「王子の御誕生です。母妃様ともに大変お健やかにて。おめでとうございます、陛下」
「おめでとうございます、陛下」
 息を詰めていた重臣達が、その声に栓を抜かれたごとく一斉に祝辞を述べる。
「医長どの」
 女官長に促され、医師団の長が王の前に進み出た。そう言えばこうした報告に医師が同行するとは珍しい、とようやく訝しんだ臣下たちが、はたはたとどよめきを萎ませてゆく。
「陛下、是非我々に御同道下さいませ。御自身の目でお確かめ頂きたいのです」
 医師団長の声が重々しく、しかし興奮のためか少々震えを伴って、奇妙に緊張した空気の中に響いた。
「何を確かめよと申すか」
「新時代の、幕開けかもしれませぬ」

「あまりの数値に、最初計機の異常を疑ったのです」
 数時間前初めて肺呼吸した新生児は、丸い寝台の透明なフードの中で機嫌良く眠っていた。まだ頼り無いながらも逆立った黒髪が、呼吸に合わせてふわふわとうごめいている。既に赤味が大半引いており、男児にしては白い肌に切れ上がった長い目元、唇もふっくり形良く、なかなかの貴相であることが窺えた。
「これはもう、種の限界を超えているのではありますまいか。我らは今、サイヤの歴史が変わるその転換点に立っておるのやもしれませぬぞ」
 だが医長は、新生児の容姿などそっちのけである。
「この御子こそは、陛下が待ち望んでおられた方に相違ございますまい」
 モニタに映し出されたデータを見上げて、彼はまるで機密事項に言及するごとく声を抑えて奏上した。その目は、医学者としての知的興奮で異様なまでに輝いている。
「計り知れぬお方にごさいます」
 医師団の脇に控えていた女官長が、冷静な声で続ける。
「後宮にて多くの御子様方を取り上げて参りましたが、このような御方の誕生に立ち会う事になりましょうとは」
 彼らは、既にこの子供が次の王であると決めて掛かっているようだ。この結果では無理もあるまいが、とモニタを見上げたまま微かに苦笑し、王が医長に命ずる。
「今一度やってみよ」
「は?」
「もう一度、余の前で計測してみよと申すのだ」
「は、ははっ」
 医長は畏まり、開閉ボタンを押して半球形の覆いを開くと、背後に控える女医に赤ん坊を取り出すよう指示した。
「なかなか癇の強いお方のようで」
 と訊かれてもいないのに白衣の腕をまくると、手首に小さな掌形の青痣がある。
「私共の事は、どうにもお気に召されませんようなのです」
「女だと抵抗せぬのか」
「はあ・・いやしかしチームの女医は彼女一人なので、女性であることが幸いしたものかどうかよく判りませぬが」
「さすがは陛下の御子」
 つんとした冷ややかな顔で女官長が呟く。そうであろうが、先々良い男になるぞ、と王が返すと、部屋中がどっと沸いた。
「笑うておらぬで、ほれ早う致さぬか」
 医長にたしなめられた女医が、尚も忍び笑いながらぼんやり眠そうな赤ん坊を抱き上げると、護衛達にぐるりを囲まれて部屋を出てゆく。計測室は一階分掘り下げられた所に造られており、この部屋から、窓を通して中の様子を観察する事ができた。
「それでは、始めまする」
 計測は、成人の能力を測る際とは違い、対象である子供に仮想現実空間で見せる敵を通じて行われる。つまりその仮想敵がどの程度のダメージを被ったかを測るのである。まだ視界がはっきりしない場合は、対象の脳内に直接映像を伝える。簡易計測器(スカウター)でも計測は可能だが、多面的・潜在的なデータを拾う事ができない。頭部に細いコードを複数取り付けられ、円形部屋の中心に置き去りにされた赤子が、仰向けのまましきりと眉を顰めている。既に、かなり機嫌が悪そうであった。
「開始」
 と医長がレバーを押し上げた途端である。窓の向こう側が、かっと眩しく光った。続いて、爆音。超強化ガラスを破り抜き、突風が彼らを襲う。医師達は吹き飛ばされ、部屋の隅や機器類に叩きつけられた。
「しまった、やはり故障だったのか!王子は御無事か!」
 窓の破片であちこち裂傷を作り、床にしたたか打ち付けた頭をさすりながら、這い蹲るようにして半身を起こした医長がわめく。だが立っているのは、王と女官長の二人だけであった。
「も、申し訳ございませぬ!万一の事あらば、わたくしの命をお召し上げ下さいませ!」
「そなたの命で代替が利くと思うか」
 悲痛な叫びを背で聞きながら、王が低く言った。隣にいる女の背が、微かに揺れている。
「女官長どの、王子は!御無事なのか!?」
 這いながら女官長の足元まで辿り着いた医長は、計測室を見下ろしている彼女を仰いで泣き声を出したが、
「すばらしい・・・」
 声震わせる女の顔が恍惚に溶けそうである事に気付き、彼女の衣服を掴もうと伸ばしていた手を思わず引いた。なんと、こういう女でもこんな顔をするか。
「御覧なさい」
 しかし女官長は一瞬後にはその表情を塗り込め、医長の二の腕を引いて軽々と彼を引っ張り上げた。そして医長は、かつて窓であった枠の中に我が目を疑う光景を見たのである。
 彼の死ぬほどの心配をよそに、赤ん坊は何事も無かったように元の場所に寝転がっている。護衛の一人が部屋の中まで同行していたのだが、彼はというと崩れ落ちてきた建材の山の下で苦しそうに呻いていた。撥ね除けてしまえば良さそうなものだが、対象に危険が及ぶかもしれないと判断した護衛としての本能が、それを拒否しているのだろう。扉を破って突入した他の護士が、素早く赤ん坊に駆け寄って抱き上げようとしたが、丸い手で頬を引っ叩かれ(たように医長には見えた)、すごすごと引き下がった。周囲の安全を確認すると、件の女医を呼び入れて後を任せている。
「今の爆発はあの御子が引き起こされたのです。何かお気に触る事でもあったのでしょう。タイミング的に、あなたが間違えるのは無理もありませんけれど」
 と女官長が指し示す計測室の床は、同心円状に浅く抉(えぐ)れていた。赤ん坊は、まさにその中心で小さな島のように盛り上がった爆心で、相変わらず不機嫌な顔をしている。
「・・なんという・・・この頑丈な施設を、う、生まれたての赤ん坊が・・・」
「末恐ろしいことよの」
 口の端で笑いながら呟き、王はくるりと彼らに背を向けた。
「あの、陛下」
 計測室とは逆方向に歩き始めた王に、医長は首を傾げる。王は破片を踏みしめる歩を緩めぬまま、確かめたぞ、と振り返りもせず告げると、そのまま部屋を出て行ってしまった。
「しっかりなさいませよ。後片付けが待っておりますぞ」
 呆然と見送る医長の隣を、女官長がつかつかと通り過ぎて王の背に続く。その無情な言葉に、彼ははっと我に返った。
「あああ!なんたることだ、新鋭の機器が!」
「医長・・それより我々を・・・」
「予算一杯だったのに!」
 がらくたの下で呻いている部下達など目に入らないまま、医長は頭を抱えて再び床に崩れる。計測室では、女医の胸に抱かれた赤ん坊が、小さな口を一杯に開いて大欠伸していた。



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