男の魔性あるいは女の無自覚 (1)

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 奥庭のプールの真ん中で、ブルマは憤懣遣る方無かった。腹の底から湧き上がって来るむかつきに、クリアブルーのラウンジからわざわざ右足を投げ出し、水面をばしばしと打ち据えていたが、そのうちバランスを崩して水中に転がり落ちる。
(あたしって、何であいつと一緒にいるのかしら)
 ぬれねずみになってラウンジによじのぼり、それから彼女は首をかしげた。強くて優しくて、ハンサムな恋人。彼がただ大好きだった頃もあったのに。
 額に張り付いた髪をかき上げ、透明なマットの上に仰向けに身体を伸ばした。両手を大きく広げ、瞼を下ろす。午後の日差しが瞼を突き刺し、目の奥が痛かった。
(ああ、グラス忘れた)
 しばらく我慢してそのまま漂っていたが、プールサイドのテーブルに置きっぱなしになっているサングラスがやはり必要だと感じ、仕方なく目を開く。
 その先、すぐ上空に男がいた。


 微かに、水の音がする。
 水面を叩くような音。奥庭の方からだ。中庭に降り立とうとしていたベジータは、それに少々興味を引かれ、再び浮き上がった。
 ゆるゆる移動している最中に音は止んだが、発生源は思った通り奥庭のプールだったらしい。その中央で女が目を閉じ、手足を伸ばして水に浮かんでいる。彼には一瞬そう見えたが、よく見ると透明な浮きの上にいるらしいと分かった。
(何をやってる?)
 この女の不可解な行動は、彼には見ていて一々面白くさえ感じられた。彼女は全身濡れ、水の動きに揺られながらきらきら光っている。紺色のセパレートから覗く真っ白な肌が弾く水滴の、その一つひとつが見える距離まで彼はゆっくりと下降した。水面に近付くに従い、きつい陽光が水に落とす彼の影が色濃くなってゆく。
 白い女と自分の黒い影を見比べ、不意に奇妙な感覚に見舞われた。自分達がこの透明な水面に隔てられ、違う次元に立っているような―
 女が急に目を開いた。視線だけが、繋がった。


 彼女は男の姿を見て、妙な錯覚を覚えた。彼らの間に薄いガラスがあって、男はその上に立ち、自分はその下でこうして水に漂っているような―
 長い間、彼らは押し黙ったまま互いをみつめていた。彼女は、口を開くことに小さな躊躇を感じていた。何故だか知らないが、口を開けばガラスが割れて、男も消えてしまうのではないかという気がしたのだ。彼がどういうつもりで同じように黙ったままでいるのかは、分からない。
 放っておけば永遠に続きそうなその沈黙を破ったのは、しかし彼女だった。
「ね、一緒に泳がない?」


「断る」
 彼は即座にそう答えたが、そうよね、という女の白み切った呟きが自分の耳に届いたことに、何故か微かな安堵を覚えた。
「何をしている」
 彼は胸の前で腕を組み、女に尋ねた。
「見てわかんない?水遊びよ」
「遊び?」
 そうやって水の上に伸びてることがか。意味が分からず、彼は鸚鵡返しする。
「そう。肌を焼こうと思って」
「肌を焼く?何故だ」
 女はうっと言葉に詰まり、少し考え込んだ。
「ファッションよ。わかる?夏は日焼けしてた方がサマになるでしょ」


 彼女は一瞬、何を尋ねられたのかが判断出来ず、答えに詰まった。
 肌を焼く?何故だ。
 何故お前は日焼けしたいのか、という意味か。それとも、肌を焼くという行為そのものについて疑問を投じたのか。彼女は、相手がこの男である以上、彼女が何のために日焼けしようとしているのかについては興味を抱くまい、と判断し、肌を焼くという行為そのものの意味について説明した。
 だが、実のところ自分でも良く分からない。肌を焼きたいのなら、サロンへ行ったほうが効率がいいのだ。第一、仕上がりが違う。じりじりと照りつける陽光に、本当は何を焼こうとしているのか。
「ヤムチャはね、肌の白い女が好きなのよ」



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