薔薇の追憶 (9)

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 変な格好だな。
 近くで見て分かったのだが、ヴァイオラは非常に風変わりな衣装を纏っていた。
 大きく膨らんだスカートの部分は張りのある布地で作られているようで、この星で見掛けた女達の多くが身につけていたものと同じような形をしていた。だが細く締めた腰から胸元はある意味斬新で、羽根のようなもので覆われている。鳥人を思わせた。彼女が呼吸するたび、肌の蠢きに併せて黒い羽毛がふわふわと揺れる。
(下品な)
 境目のたよりない衣服から覗く二つのふくらみは、娼婦というには地味に思えた彼女のすべてを一転ひどく扇情的に見せた。柔らかな黒羽を毟りとってみたいという不本意な衝動に駆られ、彼は跪いたままの女の胸元からついと目を逸らす。気を紛らせる為に部屋の中を観察しようとしたが、彼女に差す月光の柱が部屋の中のその他の部分をより暗く見せ、先刻薄布の向こう側からぼんやりと見えた調度の輪郭が、申し訳程度に稜線を濃くしているだけだった。
「灯りを点けろ」
 薄暗いのがまたよくないのだ。彼はそう思い、視線を空(くう)に据えたままぐいと女に火を手渡す。立ち上がった気配から、彼女が彼よりも頭一つほど背が高いらしいという事がわかった。衣擦れの音がして、一つ、二つと灯りが灯る。彼はそれを背に聞きながら大きな窓に近付き、ゆっくりと開いた。
「お暑うごさいましたか」
 風はほとんど無かったが、ひんやりとした空気が顔を撫でる。その心地よい冷たさに、落ち着きを取り戻せたと感じて彼は満足し、静かに深呼吸しながらゆっくりと振り向いた。
 趣味は悪くなかったが、部屋の中は存外派手に感じられた。尤も『白の館』などと有難そうな名を冠したところで、ここは娼館である。室内の色彩の半ばを占める赤は、本能を解放し、あらゆる欲望を掻き立てる「命そのもの」の色だが、それらにいちいち金色の縁取りが無いだけ「らしくない」のかもしれなかった。
「どうぞお寛ぎくださいな」
 女は彼に二人掛けの椅子を勧めながら、その傍にある小さな丸テーブルに火皿を置く。彼女が指を鳴らすと、皿の中の小さな炎がふっと消えた。
「うふふ、面白いでしょう」
 彼女の手許をじっとみつめる彼に、女はさも楽しそうに声を掛ける。勧められるまま腰を下ろし、火の失せた皿を手に取りながら彼は女に訊ねた。
「どうなってるんだ」
「ルブが考え出したのです。なんでも指を打ち鳴らすときの音の周波がどうだとか申しておりましたが、わたくしにも仕掛けはよく解りません」
 女はのんびりと首を傾げながら答え、彼に近付いてきた。
「御一緒しても?」
「だめだ」
「まあ」
 隣に掛ける事を拒絶され、女は目を丸くする。その瞳は、何とも鮮やかな紫色だった。
「変わっていらっしゃるのね。皆様膝の上にお招き下さるのに」
「悪かったな」
「初めてだからですか?」
「なに」
「今宵が筆下ろしだと伺いましたけれど」
「な、な・・・きき・・・き・・」
 貴様には関係ない。楚々とした小さな唇からあっけらかんと飛び出した言葉に仰天しながら、彼はやっとの事で声を出す。
「慣れていらっしゃらないなら仕方ありませんわ」
 緊張しておいでなのね。女は勝手に決め付け、彼の斜め向かいにある一人掛けの椅子に腰を下ろした。
「それに、そこがまた気高さを感じさせて素敵です」
 顔を背けた彼の微かに上気した首筋を眺め、あながち世辞でもなさそうに女が目を細める。
「大きくなられましたこと・・」
「・・どういう意味だ」
「?成長なさったという意味ですけれど」
 振り返った彼の顔を不思議そうに見遣り、また女が首を傾げた。
「それは解ってる。貴様は俺を見知っていたのか」
「いいえ、お目に掛かるのは今夜が初めてです」
「・・話が通らん」
「ルブがお話し致しませんでしたか、わたくしのこと」
「昔、父の女だったという話なら聞いた」
「ええ。その王陛下から色々伺っておりましたの、あなたさまのお話を」
「俺の話?」
「ええ」
 陛下のお膝辺りまでしかなくて、最初はよく戦場で見失って困ったのだと仰ってましたわ。彼女は懐かしそうに笑い、左の肘掛にゆったりと身体を預けて彼に顔を近づけ、囁くように続ける。
「こうも仰ったのですよ。『あれは余によく似ている、先は良い男になるな』ですって」
 でも、期待以上でしたわ。女は彼を眺めながら可笑しそうに喉を鳴らした。
 彼はそれを横目で眺めながら、自分の記憶には無かった父王の一面に密かに驚いていた。少々高揚気味で打ち解け過ぎの感がある女の態度など、もはや気にならない。彼は、父が女の前でそれほど饒舌になる男だとは知らなかったし、よりによってその話題に自分が上っていようとは夢にも思わなかった。
(迂闊な男だ)
 こんな素性の知れぬ娼婦に宮中の事を漏らそうという、その神経が理解できない。
「娼は信用できぬとお考えですか」
「・・・貴様!」
 そういう種類か!彼は咄嗟に椅子から立ち上がり、女の傍から跳び退った。
「頭の中を覗いたな!」
「?頭の中を?一体どうなさったのです」
「とぼけるな!貴様、今俺の考えてる事を読んだろう!」
「まあ」
 何て面白い方なんでしょう。女は笑いながら、白い腕を優雅に伸ばしてテーブルの上の黒羽扇を取り、ゆっくりと開いて口元を隠した。一連の動作は滑らかで、舞踏の一部ででもあるかのようだ。
「ええ、そうした力を持つ方々もおいでになられますわねえ。でもわたくしは違いましてよ」
「嘘をつくな。では何故・・」
「ねえ殿下、あなたのお考えになっていることなど、お顔を見れば分かりますわ」
 現在のお立場だって重いのでしょう、もう少しお顔の色を抑えられるようになられませんと。顔の下半分を隠したまま(まだ笑っているに違いないのだ)、女は優しい声色で諭すように言った。
「それから、言い当てられたからといって逆上なさってはいけませんわ。それでは『そのとおりです』と認めておられるようなもの」
「・・そんなこと、しょ」
「娼婦になど教えられるまでもない、でしょう?でも殿下、あなた様は現に今お認めになられたではありませんか」
「・・・・・」
「でもまだお若いのですし、素直な事も力のひとつ。それに、わたくしは職業上その道を極めておりますから。誰が見ても分かるというものでもないのだと思いますよ」
 陛下のお子なのですもの、先々は、何があろうと表情一つ動かされない優れた策士におなりですとも。けれどそれはそれで、何だか寂しい気が致しますわね。女は扇を半分に畳んで膝の上に置きながら、ふと遠くを眺めるような表情を見せた。


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