薔薇の追憶 (37)

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「そうは申しましたものの、正直後悔した事もございましたのよ。とんでもないお客様をお通ししてしまった時などは」
 女はうつ伏せたまま、声をシーツにくぐもらせて笑った。外はもう、うっすら明けかかっている。
「でも、多分これが天職なのでございましょうね。芯から嫌だと思った事はありませんの。陛下が独立させてくださったお陰で、どうしても好きになれない方には門前でお帰り願える身分だからかもしれませんけれど」
 これではまだまだ甘すぎて、陛下のお傍には相応しくございませんわね。そう呟く女を尻目に、ベジータはベッドに身を起こした。
「お食事でございますね」
「―なぜ分かる」
 続いて身を起こし、素早くローブを羽織って身支度する女の顔を、彼はまじまじとみつめて訊ねる。確かに、彼は今ひどく空腹を感じているのだ。女はほほほと華やかに笑い、ほっそり白い指を枕元のテーブルに伸ばして呼び鈴を取り、りんりん、と二度振った。
「朝餉の仕度をお願い」
「はい、おねえさま」
 ずっとそこに待機していたのじゃあるまいな、と彼が冷や汗するほど早々と薄幕の向こうに女児が現れ、彼女の指示に一礼を返して消える。
「あれも娼婦にするのか」
 彼は、そう何気なく訊ねた。というより、ふと心よぎった事をうっかり口にしてしまったという方が近い。自分のどこかがまだ緩んだままなのだ、と気付いて彼は眉をしかめた。
「お気に召しましたの?」
「馬鹿言うな。そうなるのかと思っただけだ」
「まあ、さすがは陛下のお血筋であられると感心致しておりましたのに」
「・・・奴はどの辺りまで食指を伸ばしてたんだ?」
「陛下は女と名の付くものは皆お好きでいらっしゃいましたわ。でも、ふふふ、そんなに御心配なさらなくとも、お召しになるのは相応の年齢に達した娘たちだけでございましたよ」
「呼ぶのか、ここに」
「ええ。わたくしを交えて、複数の娘でお相手させていただく事もございましたので。そうですわね、多い時で七人ほど」
 どこまで業の深い男か、と黙り込んだ彼に、女が爽やかに訊ねる。
「お食事の後は、どうなさいますか?」
「基地に戻る」
 即答した彼を見て、そう、と女が少々沈んだ様子を見せる。
「俺にそんなサービスは必要無いぞ」
 と口元を歪めた彼を、女が黙ってみつめた。大きな紫色の瞳が、揺れもせずに澄んでいる。
「殿下、あなた様は何を選び取られるでしょうね」
 少々場面に合わない事を言ったようだ、と気まずくなって目を逸らした彼の横顔に、女が独り言のように呟いた。
「陛下が最後にそうなさったように、あなた様にも、何かを選ばねばならない時がきっとやって参りましょう。そのとき、あなたは何を捨て、何を選び取られることでございましょうね」
 答えを要求する問いではない。そうされたにせよ、応じる義務など彼には無い。だが何故かその言葉は、寝台を降りて浴室に向かう彼の鼓膜の奥に、じわりと浸透していった。


 けたたましい電子音に、微睡から覚めた。隣でブルマが不機嫌そうに呻いている。
「もう朝なの・・・?信じらんない、これ壊れてんじゃないの」
 彼女は毛布から腕を伸ばし、目覚し時計の頭をそれこそ壊さんばかりぶっ叩いた。だがスイッチから的が外れたようで、一向鳴り止まない。
「んもう、バカ!」
 誰が馬鹿だというのか、女は悪態をつきながら起き上がり、時計を手に取ってスイッチを押した。そのままベッドを降りるのかと思いきや、彼女は未練たらしくごそごそ毛布に潜り込み、彼の腕の中に戻ってくる。
「起きるんだろ」
「・・・送ってくれるでしょ?今日は北の支社だけど、あんたが送ってくれたらあと二時間は寝てられるわ」
「俺はタクシーじゃないんだ、そう何度も足にされてたまるか。起きろ」
「やだやだやだ、まだ眠いんだもん」
「じゃあ勝手にしろ」
「送ってくれるわよね?ね?」
「知らん」
「送ってくれなきゃ、朝御飯抜きなんだから」
 もう飽きるほど聞いた脅し文句の語尾が、欠伸に間延びしながら掻き消える。
「おい、ほんとに知らんぞ」
「大好きよ、あんた・・・」
「・・・聞いてないな」
 再び寝息を立て始めた女を腕に、彼はブラインドの隙間から漏れる朝陽に目を細め、自嘲するように口元を歪めた。
 生きているのか、もう死んだのか。見られるものなら見るがいい、そして嗤え。
 情けなくもこれが俺の、『最後に選び取ったもの』 だ。


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