薔薇の追憶 (38)

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 ロビーの白い長椅子の上で、ラディッツがだらしなく伸びている。起きろと一喝すると、男はびくりと身体を震わせて薄く目を開いた。
『あ、あれ、ベジータ、その頭どうしたんだ』
 開口一番そう呟くと寝惚け眼で起き上がり、腕組みして見下ろしている彼を見上げる。
『俺の頭がどうしただと』
『髪、伸びてたんじゃなかったか?お揃いになったな、とか言ったら、俺の事ぶん殴って・・・』
『なるほど、じゃあ夢の筋書き通りにしてやろう』
 と頬に拳をくれてやると、ラディッツは無様に緋絨毯の上に沈んだ。吹っ飛ぶ拍子に左膝が長椅子の背にぶち当たり、ソファは派手な音を立てて崩壊する。
『痛え・・・』
『ナッパの奴はどうしたんだ、見当たらんようだが』
『ナッパ様なら、お出かけになられましたよ。昨夜、外で女たちと戯れておられるのをお見かけしました』
 涼やかな声に振り返ると、向かって右側の大階段の途中、敷き詰められた緋絨毯の上にルブが立っていた。
『ああ、それはサンパーの毛皮張りなのですよ。困りますね、あれは滅多に手に入らないのに。台無しではありませんか』
 無惨な姿になった長椅子を見て形の良い眉をひそめ、彼はゆっくりと滑るようにステップを降りてくる。
『弁償させるか?見上げた度胸だが、だったらナッパに請求しておくんだな。俺をここへ引っ張り込んだのは奴だ』
『ふふ・・そんなことをして頂かねばならないようでは、この館の主は務まりませんよ』
『料金に織り込み済み、というわけか?』
『御想像にお任せします』
 にっこり微笑んだ白い人は、昨夜とは違う目の粗い青い衣を纏っていた。張りのある生地が動きに合わせて揺れるさまが爽やかで、朝によく合う。そしてまた、この男(女?)にすばらしく似合っている。昨夜は御満足頂けましたか、などと訊かないところも忌々しいほどよく出来ている。
『お連れ様方にも、朝食を御用意致しております。どうぞダイニングへ』
『おお、悪いな』
『必要ない。行くぞ、ラディッツ』
 喜色を浮かべて立ち上がったラディッツに、彼は冷たく言い放って踵を返す。
『でもベジータ、飯は・・』
『もう食った』
 ラディッツは、そりゃあんたはそうかもしれんがと小声でこぼしながら、それでも彼の背に続く。
『何か言ったか』
『いや、何でも』
『文句を言う暇があるんならナッパの奴を拾いに行け。発着場に到着するまでに戻らなければ、俺は先に帰るからな』
『そりゃ無いぜベジータ、基地には下見の視察だって申告してきたんだ。別々に戻ったら疑われる』
『だったら早く行くんだな』
『お、おう』
 走り去るラディッツの後姿を見送り、呆れた奴らだと腕組みした彼に、ルブが背後から進み出て声を掛けた。
『昨夜は色々お聞きになられたことでしょう。だが殿下、お忘れにならないで下さい。彼女は娼、夢の女です』
『持って回った言い方は止すんだな、気に障る』
『これは失礼致しました。昨夜彼女がお話し申し上げたことは、夢だったのだと思って頂きたいのです』
『・・何を聞いたと思うんだ?俺が』
『何を聞かれたにせよ、それがあなたさまの御為でございます』
『余計な世話だ。第一、この俺が得体の知れん女の話など真剣に聞くと思うか』
 といって、全く嘘だと聞き流している訳でもないのだった。人伝の話全般に言えることだが、いかにしてそこから役立つ“事実”を拾い上げるかが肝要である。
(記憶に留めておくとするさ、貴様の話が役立つ時が来るまでな)
 白い人が、彼を先導する。しずしずと、しかし彼を苛立たせない程度の歩調であった。これこそ全く得体の知れぬ男(女)であり、後ろ暗いところが無いはずはないのだが、朝の輝きの中でもその美は全く色褪せる事がない。妙に肝の据わったところといい、父が贔屓にしたという理由が何とはなしに解る気がした。
『またのお越しを、お待ち申し上げております』
 ルブが門の外まで彼を送り、脇に控えて慇懃に腰を折った。両手はやはり、胸の前で重ねている。この星の挨拶の定型らしい。
『俺は親父とは違う』
 そろそろ眠りに就こうとしている猥雑な通りに目を遣り、彼は我ながら全く余計だと思う一言を呟いた。何故なのか、そうせずにはいられなかった。
 鼻を鳴らし、組んでいた腕をほどいて階段を下りた。衣服に移ったのだろうか、ノリラの香が微かに漂う。故郷に通ずるそれは実に二十年の時を経て、彼の追憶の香りとなった。

2006. 5.29 連載開始
2008.10.20 連載終了


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