薔薇の追憶 (33)

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『彼らの滅びとは、つまるところ常に彼らの内にあったのだ』
 さて何から始めましょうか、と一言呟いたきり老爺は長いこと沈黙しておりましたが、やがてぽつりと口火を切りました。
『彼らの秩序とはすなわち、力です。持つものが君臨し、持たぬものは屈服する。だがそれは彼ら種族の内に限った話であり、彼ら以外の何者も、かれらの王にはなり得ないのだ。それがサイヤ人というもの。フリーザがなぜ、王を殺害してそれに成り代わるなり傀儡を据えるなりせず、同盟などという薄甘い形態を受け入れたと思います?それでは効率の良い仕事をする彼らを、兵士として従わせる事が出来ないと知っていたからですよ』
 老爺が手にしたグラスの中で、赤いお酒がゆっくり回り、まろやかに波打っております。じっと見下ろし、そこからたちのぼってくるのであろう香を時々そっと吸い込みながら、彼はまるで独り言のように抑揚の無い声で続けました。
『しかし彼らよりも強大な力を持つ種族など、そう珍しくもない。そしてツフルの科学を吸収し、新たな戦いを求めて外宇宙に進出する知術を得た結果、当然のごとく邂逅は起こった。彼らと、彼らを凌ぐ力を持つ種とのね。そして、歯車は狂い始めた。それは彼らがサイヤ人である以上、最初から避けられない宿命だったのだ』
『陛下は、それを・・』
『理解していたでしょうよ。すべてね。だが一度走り出してしまった文明を後退させるなぞ、どだい無理な話だ。進み続ける事がどんな結果をもたらすかが理解出来ていようとも、人はそこに道があれば進んでしまうものなのです。そしてそれこそが、人類によって築かれた文明の限界であり、また可能性でもある。どんなものでも、破壊と創造の両方を必要とするのと同じ意味で』
 破壊の権化として名高い彼らだが、その視点に立てば、この宇宙にとって必要な存在だったと言えぬでもない訳だ。老爺はそう呟いて顔を上げました。
『対等な同盟など絶対に無理な話だ。それも端から解っていた事です。しかしだからと言って、かの王に何が出来たでしょう?力で屈服させる事はできない、形だけでも対等に手を結んだ方が得策なのだ、とフリーザに思わせた事実一つすら、彼の交渉力の勝利ですよ。現に、最初の頃はうまく進んだでしょう。本能の充足と実益を兼ね合わせた、素晴らしい同盟としてね。だが現実は少しずつ、水面に広がる波紋のように彼らを侵して行った。最下級戦士にまで届いていたのかどうかは分かりません。だが時間の問題だったでしょうな。そして、彼らはサイヤ人なのだ。鍍金の下の現実が露わになったとき、かれらはどのみちその事実から逃れることは出来なかったはず』
 丸い黒眼鏡が裸電球の光を一瞬鋭く撥ね返し、老爺の表情を隠しました。
『誰よりも、王自身が』


 いよいよ乗船の運びとなった頃、降りしきる雪にある変化が見られた。
『これは一体・・』
 物事に動じぬ大臣の顔色をも失くさしめたのは、その色であった。舞い降りる雪が、突如として赤く変色したのである。最初赤茶けていたそれは十数え終わる頃には鮮紅に変わり、薄く白綿を被せたような無風の大地を見る間に染め始めた。
『馬鹿な。何だこれは』
『凶事の前触れではないのか』
『王子の御出立だというのに、不吉な』
 強敵の前では一歩も退かぬ猛者共の、心細げな囁きが、下部ハッチの吐き出した乗降口に向かっていた彼の耳にも届く。
『何を騒いでんですかね、こんなもんくらいで』
 と指先に受けて舐めたナッパが、しょっぱそうに顔を顰めた。
『何だぁ、こりゃ』
 意外に豪気な一面がある、と彼は初めてこの新しい近侍の長所を見出した。だがそれは同時に、得体の知れないものに無用心に近付く迂闊さでもある。彼は幼いながらもこの瞬間、この男とどう接してゆくかを決めたのだった。
『陛下』
 それは彼らの胸中にわだかまる、漠とした不安であったかもしれない。赤い雪は、臣下達が押し殺してきた何かを噴出させようとしていた。囁きは、やがてざわめきとなって城外を覆う。
『陛下、お言葉を』
 王は、彼を見送りに城門を出た一行の先頭にいた。隣で、大臣が重々しく発言を促している。
『どんなに飾ったところで、所詮は猿の集団だな。たかが雪でこの騒ぎだ』
 彼のすぐ背後で、使者が嗤った。彼にしか聞こえぬように―彼にだけは聞こえるように、わざわざ声の大きさを絞っている。彼もまた故意に、聞こえぬ風を装った。それが誇りを守る唯一の方法だった。彼はこの時、既に己の立場を完全に理解していた。
『陛下、お言葉を賜え』
 どう収拾する。
 同じく見送りに出ていた二人の王弟と、重臣達の目が、再度発言を促す大臣の隣に注がれる。その幾つかはあからさまに不穏な光を湛えて、王の動向に向けられている。こうした際に備えてあらかじめ仕掛けてあったものか、ざわめきは殺気立った喚きまでも含み始めている。危うい均衡は、待ち侘びた崩壊の契機を掴もうとしていた。
『静まれ』
 黙然と突っ立つ王に、ついに諦めたか大臣自らが事態を収めに掛かった、その時である。
『見よ』
 それまで口を噤んでいた王が突如天を仰ぎ、声を上げた。張り上げた訳ではない。だが朗々とよく通る、それは紛れもない「王の声」であった。
『緋の雪だ』
 群集が静まり返る。王の生み出した緊張が、場のすべてを支配している。せせら笑っていた使者の男までが沈黙し、彼の背後で次の言葉を待っているのが感じられた。
『我が王家を象徴する色だ。吉兆であろう。息子は果報者よの』
 沈黙は一瞬深まり、次の瞬間、歓喜のどよめきへと一気に沸騰した。冷気に強張った彼らの肌が、興奮で粟立つ。それまで無風であった大地に、折から呼応するかのごとく一陣の風が舞い降りた。それを孕み、王の背で緋布が翻る。
『王陛下、万歳!』
 どよめきは、怒号の如き絶叫へと膨らんだ。興奮のあまり涙ぐむものさえいる。人々が叫ぶ。口々に叫ぶ。嵐のような祝福が、王とその子に降り注ぐ。気付くと、彼の身体も小刻みに震えていた。
 あの時のおやじさんは格好良かった。
 ナッパがそう言って後々まで語り草にしたこの情景が、故郷の最後の景色となった。

 いや、もうひとつ。
 ベジータ。
 離陸した船の中で、彼を呼ぶ声を聞いたような気がした。手近な丸窓から見下ろすと、はためく青布と、風に弄られる長い黒髪が見えた。赤く染まり行く高地の上で、白い顔が船を見上げている。孤影は彼の視界の中でみるみる点になり、やがて消えた。


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