薔薇の追憶 (31)

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 控えの間を抜けたが、時間が遅かったせいかあるいは人払いがあったものか、奥を守る番人達の姿は見えなかった。最奥にある扉の向こう、父王の居室の中から、穏やかならざる気配が漂ってくる。どうやら言い争いの最中であるらしかった。一人は父王、もう一人は女だ。
『本当にお解りにならないの?』
『何とでも言うが良い、余は王として成さねばならぬ事を成しておるだけだ』
『王として、ですって?愚かな!あの子を差し出したところで所詮は時間稼ぎにしかならない。そもそもフリーザと手を結んだ事自体間違いだったのです』
『今更そのような話を持ち出してどうなると申すのだ。申し出を蹴って奴に歯向かえば、我らはとうに全滅していた。今とて状況は変わらぬ。そなたはサイヤの血を絶やしたいのか』
『この先どんな要求もお呑みになるおつもり?無駄ですわ。あれの前に裸で這い蹲ったとて結果は同じでしょうよ。あなたはそんな惨めな玉座に縋りつこうと仰るの』
『ならばどうするのだ!?このまま要求を退けて玉砕せよとでも申すのか!』
『どのみち同じならばその方がましです!』
『馬鹿な事を。そなたは王ではないゆえそのように申せるのだ。余は最後まで活路を見出す努力を放棄する訳にはゆかぬ』
『王ならば決して失ってはならないものがあります。あなたはそれを売り渡そうとなさっておいでなのよ』
『もうよい、黙れ』
『可哀想な人ね、王でありながらサイヤ人というものを理解出来ないなんて』
『黙れと申しておる』
『このままでは、あなたはすべてを失う事になる。彼らの誇りを踏み躙ったが最後、サイヤ人はあなたを決して許さないでしょう』
『・・・かも知れん。だがもう、どのみち後戻りは出来ぬ』
 と、続けて口を開きかけていたらしい女の声が、不意に途切れた。
(・・・?)
 細く扉を開くと、薄暗い室内から聞き覚えのある香りが鼻先を擽った。よく父王の夜着の裾から漂っていた、あの香りだ。
 内部を窺い、その異様さに驚いた。調度の大半が床に倒れて散乱している。半分ほどは滅茶苦茶に壊れ、後の半分も使い物にならないのではないかと思われた。緋色の絨毯は壁際の一部が水に濡れ(彼の倍ほどの高さの花器が割れた際に零れたのだろう)、血を思わせる色に染まっている。その上には純白の花々が散り、大小の花弁が点々と床の上に広がっていた。
 中央の黒い長椅子の背に、真っ青な布が豊かな襞を描いて垂れ下がっている。そこに乱れる長い黒髪の流れの元に、白い肩が見えた。滑らかな首筋の向こうから、父王の顔が覗いている。その低い声を縫って、押し殺したような呻きが漏れ聞こえる。
『もう戻れぬ。余も、そなたも』
『・・・・・』
『賭けるしかないのだ。サイヤ人は着実に進化を遂げつつある。我らが彼奴(きゃつ)を倒す力を得るのが先か、彼奴が我らを殲滅するのが先か、頭の足りぬ不満分子どもが余を殺すのが先か。あるいは・・・』
 そのとき父は一瞬、心ここにあらずといった表情を見せた。女の首筋を甘噛みしたまま、その動きが止まる。
『・・あるいは?何です』
 どこか甘美な息を混ぜて女が訊ねると、父は軽く我に返って顔を上げた。
『・・・よい。いずれにせよその時が来るまで、我らは生き延びねばならぬ。彼奴にとって有用な存在であり続けねばならぬ。王子を差し出すことで時間が稼げるというなら、受け容れざるを得ぬ。内輪揉めしている場合ではない、内乱を未然に防ぐ為なら何人(なんぴと)であろうと殺さねばならぬ。それがたとえ何万人であろうと処分せざるを得ぬ』
『・・・・・』
『どんな事であろうと忍ぶ他はない。恥辱は死よりも耐え難い。だが耐え抜かねば我らは滅びる』
『・・・・・るのが、あなた一人だとすれば?』
『なに』
『彼らが、生き延びる事よりも誇りを重んじたとすれば?あなたはどうなさるの』
『・・余は最初から一人だ』
 突き上げられたように、女の背が揺れた。
『憎いか』
『・・・・・』
『余が憎かろう?ならば殺すがよい』
『・・あなたを・・・』
 言い終わらぬ内に、父が動きを速めた。滑らかで細やかなその動きに、細く短く、女がわななく。
『楽になど、せぬ』
 苦しげな呼吸の下から女が切れ切れにそう吐き出すと、白い肩口に唇を押し付けたまま、父が暗い笑みを浮かべた。
『余はそなたを放さぬぞ。逃れたくば殺せ』
 ふと、父が視線を巡らせた。満ちた月の光を吸ったように赤味掛かって底光りするその目と、彼の目が出会う。
『鳴け』
 父が小刻みに動きながら低い声で呟き、ぐいと一つ大きく動いた。押し上げられるように女が波打ち、呻くような悲鳴を漏らして王の望みを叶える。
 開いた時と同様に、彼は静かに扉を閉める。互いの姿が見えなくなるまで、彼らは互いから目を逸らさなかった。
 彼の記憶では、何故かこの数秒間は無音である。


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