薔薇の追憶 (30)

 Gallery  Novels Menu  地下室TOP  目次  Back  Next

『おめでとうございます、王陛下、そして王太子殿下』
 相変わらずの長衣を纏った内務大臣が、晩餐の席で祝辞を奏した。居並ぶ臣下達は、その長衣と同様長々とした口上を神妙な面持ちで聞いていたが、宴が始まると場は一気にほぐれる。
 父はあまり堅苦しい事を好まなかった。合理的な男であったのだろう。彼自身には比較の対象が無いが、父が登極して後は、式典の類も随分と簡略化されたのだという。宴席では無礼講が常であり、この夜も最初こそ皆大人しかったものの、酒がまわり出すと上下左右に入り乱れて大騒ぎを始めた。父も、幾分酔っているように見える。
 だが彼は知っていた。父は本当には酩酊した事などない。
『王に陶酔など有り得ぬ。王とは臣を陶酔させるものよ、心得ておけ』
 あるとき気付き、不思議に思って訊ねた彼に、父は笑ってそう答えた。誰にも気取られるなよ、と付け加えていたが、高い位に登った重臣達は皆気付いていたはずだ。王の目という篩(ふるい)に耐えた者たちである、ということなのだから。
(ああ、なるほど)
 時に(酒席などにおける)記憶が怪しい事もあるが、考えてみれば、それは父にとって取るに足りない事柄に限られている。いや、それすら芝居でないとは言い切れなかった。父を評した「鋭い」「用心深い」という言葉はそんな所から来るものなのかもしれない。
『才ある者は野心を抱く。ゆるぎ無き忠誠、という才能もあるにはあるが、才と言えるほどのそれを持ち合わせているものなど滅多に居らぬもの。中にはそなたの地位を脅かすような企みを抱く輩もあろうよ。だが才無き者など傍に置くには値せぬ。そうであろう?どう使いこなすのか、それが王たるそなたの領分だ。宴はな、良き見極めの場よ』
 良いか、王子よ。瞼を下ろそうとも、隅々まで己を研ぎ澄ませておけ。誰がどんな言葉を口にするのか。関係の良くない者達が居るとすれば、その原因は何であるのか。何が問題で、どうすれば事態を変えられるのか。最後に誰を残し、誰を排除すべきであるか。この父とて例外ではないぞ、油断致すな。
 幸いにしてそなたは聡い。幼くとも、父の申すこと解るであろう?この先頼れるのは己だけだ。己の頭で判断し、己で時機を見極め、己の力で実行してゆけ。どんなに遠かろうと、そなたならばきっと辿り着ける。
 そうとも、そなたならば―

『王子、ベジータ王子』
 巨大な手にゆすり起こされ、彼は浅い眠りから覚めた。目を擦りこすり様子を窺うと、さすがに傍近く侍った重臣達にさしたる乱れは見られなかったが、はや宴は佳境に入っており、比較的身分の低い者たちが騒いでいる下の間辺りは惨憺たるありさまになっている。
『ちちうえはどうした』
 晩餐が始まった頃には隣に居たはずの父の姿が無い事に気付き、彼は自分をゆすり起こした男に訊ねた。
『なんですかね、用がおありだとかで、呼びに来た用人と一緒に奥に引っ込まれたままお戻りじゃねえんで。それより、もうおやすみになられたらどうです?随分眠そうだ』
 ナッパと名乗ったその男は、大きな身体を縮めて彼を覗き込んでいる。
『よるな、むさくるしい』
 周囲の異様なまでの喧騒、そしてそんな中で己が居眠ってしまったという事実に、彼は途端に不機嫌になってぎゅっと眉を顰めた。突然の不興顔にたじろぎ、ナッパがうろうろと手を引っ込めて命ぜられるまま後ずさる。彼は少々口を尖らせたまま大男を一睨みすると、広い座面の上でずり落ちて丸くなっていた背筋をぴんと伸ばし、小さな彼の為に背高に作られた特別席から降りるべく肘掛に手を置いた。
(なにしてる、さっさとしろ)
 椅子を引くよう目で促したが、男は今ひとつ気がきかないらしく、彼のアイコンタクトの意図を汲めずにきょとんとしている。なんという薄ら馬鹿だろう。彼は舌打ちしたい気分になりながら座面に立ち上がり、己の体裁の悪さに腹を立てつつ肘掛を飛び越えて赤い絨毯の上に降りた。
『あのう、そっちじゃないような気がするんですがね』
 中庭を囲む回廊に差し掛かったとき、背後で男が遠慮がちに呟いた。
『・・・おまえ、もうさがれ』
 うんざりだ。
 彼は立ち止まり、この新しい近侍を追い払おうとした。行き先は寝室ではない。母に挨拶するようにという言葉に従い、父王の居室へ向かっているのだ。この男も聞いていたはずではなかったのか。
『そういう訳にはいきませんでしょう、常にお側に従うのが俺・・じゃなかった、私の役目なんですぜ』
 いやこれも違う、私のお役目なんでございますから、かな。大男は妙な形の頭髪を右手で掻きながら、口の中でもごもご言った。
(かってにしろ)
 彼は鼻を鳴らしてくるりと背を向け、磨きこまれた石畳の上をパティオに沿ってさっさと歩いた。ちょっと待って下さいよ。男は小さな背をどたばたと追い掛ける。
『おおごえをだすな、バカめ』
 彼がもう一度振り返ってぴしゃりと叱り付けると、そこが非常に格式の高い場所である事にやっと思い及んだのか、男はうっと口を噤んだ。
『ははうえはこちらか』
『はっ』
 居室の扉を守る二人の番人は、彼の問いかけに背筋を正してきびきびと答える。
『ではとおる』
 彼は番人が開いた扉をさっさと潜って中に入った。ナッパが後に続こうとしたが、当然のように留められる。
『あなたはこちらでお待ちを』
『なんでだよ、俺・・じゃなかった、私は王子の近侍だぞ』
 むさくるしくて気がきかぬ上に、物知らずと来ている。あれがずっと自分の側に侍るというのだろうか。却って足手纏いになるのではないか。父は何を思ってあの男を自分にあてがったのだろう。
 押し問答する男共が、扉の向こうに消えてゆく。彼は、自分が単独行動の許されない子供である事を呪いながら、奥へと歩を進めた。


 Gallery  Novels Menu  地下室TOP  目次  Back  Next