薔薇の追憶 (29)

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『自分の手で養育してみたい。フリーザはそう申し出たのだそうです。だが実際には質によこせという強要だ。相手が相手です、拒絶できるわけもありません。王は結局太子をフリーザに差し出しました』
『殿下は今どちらに?御無事なのでしょうか』
『フリーザの元におりますよ。随分幼いはずだが、いっぱしの軍人として活躍しているそうです』
『そうですか・・でもお寂しいでしょうね、お小さいのに、たった一人生き残られて・・』
『もし万が一かれらにそういう感覚があるのだとすればね。だがどちらにせよ、生き残ったのは彼一人ではありませんよ。確かあと二人ばかり難を逃れた者がいたはず』
『・・その中に女性は?』
『いや、どちらも男だと聞いています』
 異星人同士の混血が成功する事など極めて望み薄です。本当にその他に生き残った方がおいでにならないのだとすれば、王太子様を最後に陛下の血は断たれてしまう事になるのでしょう。そうして陛下は二度お亡くなりになられるのだわ、とわたくしは唇を噛みました。
『お嬢さん、女性が生き残っていたとしてもだ、もしもフリーザが惑星ベジータを攻撃したのだとすれば、どのみち永らえる事は叶いますまいよ。まさか景観が悪いといってかの星を消した訳ではありますまいからな。サイヤ人の血を遺そうとは致しますまい』
『でも、王子様は現に・・』
『あの子供は新種だと言ってよい。質に取るという以前に、実際興味を持ったのだろうと思いますよ。珍しい獣を飼い慣らしてみたいとでも思ったのでしょう。その上彼奴が恐れたのだとすれば、それは徒党を組んだサイヤ人です。増えさえしなければ、それで問題になどならないのだ。あのフリーザを相手に、どんなに強かろうと王子ひとりでは何も出来はしませんよ』


『今日からそなたの側仕えになる男だ』
『ナッパと申します』
 事は随分とあわただしく進んだ。彼は翌日の朝儀で元服の儀式を済ませ(彼の年齢は、王室特有の幼年成人の記録を更新した)、正式に王太子として立った。略式の手順ではあったが式は夕刻まで続き、空き時間に控えの一間でうつらうつらしていた所に、父王がこの大男を伴って現れたのだ。
『よわそうななまえだな』
 彼は昔、寝入り端にひどく愚図る赤ん坊だったのだという。それは幼児に成長しても変わっておらず、この時も例に漏れず不機嫌極まり無かった。凶悪な目付きで睨み上げながら漏らした正直過ぎる第一声に、男は目を丸くして顔を上げる。
『王子よ、翌朝惑星フリーザより迎えの船が到着する。今宵はよく休んでおくがよい』
『あした?』
『一刻も早くそなたの顔が見たいと仰せなのだ。後で母に挨拶に参れ、余の居室にいるはずだ』
 彼は、父王とフリーザとの関係について薄々理解出来る年齢に達していた。今朝からの慌しさも、父が劣った立場に立たされている証だ、と彼は思った。大方フリーザが期限について無理を言ったのだろう、父は、彼を手放す前にせめて正式な位を授けておこうと考えたに違いない。儀式と儀式の合間に漏れ聞こえてくる重臣達の囁きにも、そのような意味のものが含まれていた。これでは王子は人質ではないか、王は何故唯々諾々と―。そんな声も耳に届いた。
(おれはちがう)
 父のように、いつまでも組み伏せられてなどいるものか。家臣達や当のフリーザが何と思っているかなど関係ない。父の思惑がどこにあろうと大した意味は無い。
 これはある種、好機だと言える。彼は手応えある戦いに飢え始めていたのだ。周囲が付いて行けないほどのスピードで、彼は伸び始めていた。
(みてろよ)
 フリーザは、その手で死神を育てる事になるのだ。彼はそのとき、そう信じて疑わなかった。


「どうしたの?」
 水音が止み、屋上の隅に設置されたシャワーボックスからブルマが姿を現した。背後から、洗面台の鏡に映る彼に声を掛ける。
「・・あのさ、前から気になってたんだけど」
「なんだ」
「あんたって、ちょっとナルシストっぽい?」
「・・なんだと」
 今度は何を言い出すつもりだ。彼はびっくり箱のような女を鏡越しにぎろりと睨んだ。
「だってさあ、そうやってじーっと鏡の前に立って・・・結構そういうとこ目撃するわよ、あたし」
「ほざけ」
 幼い頃から『生き写しだ』と言われてきた。自分の姿を目にする度にその事を思い出す、という訳ではないが、ふと覗いた鏡に父その人を見た気がして、繁々と見入っていたのだ。
(ますます似てきやがったな)
 遠い記憶から、その容貌を呼び起こす。
(ここにこう、髭があった。髪や目の色はもうちょっと薄かった気がするな・・光の波長の関係かもしれんが)
 だがどこかが違う。
(何がどう違うんだ?)
 手の平で鼻の下から顎を隠して気がついた。父は下顎がもっと力強かったのだ。それから唇の様子も違っていた。
(ということは、ここは母似か)
 隔世遺伝かもしれないが。それは漆黒の髪や瞳だけなのだと思っていた彼は、長年付き合ってきた己の顔に新しい発見をして目を見張った。薄く、そのくせ立体的で、色は淡いのに鮮やかな稜線を描く唇。ブルマが吐息と共に、『綺麗でエロティックだ』と形容した、その部分。
「・・大丈夫?」
 パイル地の白いローブを羽織りながら、女が彼を覗き込む。
「そりゃまあ、あんたは結構いい男だと思うけどさ」
 自分で自分に見惚れられたら、ちょっと引くわね。微かに眉を寄せながら、彼女は更に勝手な想像を膨らませる。
「『長年連れ添った夫に、実は女装癖があった』 なんて話を聞いたことがあるけど、そういう、あらビックリみたいなパターンじゃないでしょうね」
 彼が黙っていると、女は体を引いて不安そうに睫毛を伏せた。
「よくわかんないわ、あんた。何考えてるのかとか、今どんな気分なのか、とか。あたしが冗談で言った事でも、そうやって黙ってられると、ひょっとしたらホントなのかもしれないって恐くなる事があるの」
「・・例えば、俺が鏡を覗いて自己陶酔に浸ってるんじゃないかと思う訳か?」
「それは・・ホントにそんな事思ってる訳じゃないけどさ」
「じゃあこうか、お前のいない間に女物の服を着込んで喜んでるんじゃないか、とか思うわけか?」
「やだ、もう」
 ブルマは遂に吹き出し、小さく声を上げて笑った。
「さっきまでと別人みたい」
 いつまでも翻弄してくれるわね。女は、バスタオル一枚巻いただけの彼の正面に身体を寄せ、背に両腕を回して腰を抱いた。
(お互い様だ)
 いくつもの表情を持つ女が、ゆっくりと頭を傾けながら彼の目を覗き込む。余韻を残す瞳が、しっとりと濡れて輝く。胸元深く切れ込む布の重ね目からは、彼女の上気した皮膚が放つ美味そうな匂いがたちのぼってくる。小さな唇は温められて色を増し、はや彼を受け入れるために丸く開き始めている。
 くそ、キリが無い。
 舌打ちしたい気分になりながら、それでも彼の掌は女の腰を滑り降りて行く。乾いたパイル地の上からなぞる、馴れ親しんだ丸い量感が彼を楽しませた。それだけでもう、彼女は甘い溜息を漏らす。彼の首に両腕を絡みつかせ、唇を重ねる。それが合図であるかのように、彼らの深い部分が共鳴を始める。
 彼は女の両腿を抱え、小さな白いタイルを敷き詰めた洗面台に押し上げた。そのままローブの合せ目に指を掛け、半身を剥き出しにする。柔らかな曲線に埋もれるように、しかし香りだけを堪能していると、早く、と女がじれったそうに身体を震わせた。
 目を上げると、黒く鋭い視線が撥ね返った。白い首筋の向こうからのぞくその瞳に、彼は再び父の影を見た。


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