薔薇の追憶 (3)

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「そんなに怒るこたねえだろ」
 あーあ、色男が台無しだ。腫れ上がった自分の左頬をさすりながら、ナッパが口を尖らせた。
 娼館の立ち並ぶ通りは、品の無い色に溢れている。通り掛った建物の二階から悲鳴のような女の笑い声が響き、酔っ払ったイスラ星人の男がバルコニーから通りを行く彼らの目の前に転がり落ちてきた。
「しかし、随分と古式ゆかしい街並だな」
 ナッパの隣できょろきょろと辺りを観察していたラディッツが、落下の衝撃で肋の一本も折れたに違いない男の顔を跨ぎながら、感心したように呟く。
「非文明的だと言え」
 先頭を歩いていたベジータが、歩を止めて肩越しに彼等を振り返った。すこぶる機嫌の悪い彼の這うがごとき低い声に、大男二人がうっと身体を反らせる。
「ま、ま、そう睨みなさんなって」
 いい加減に機嫌直してくれよ。ナッパが両手を前に翳して彼を宥め賺した。
「この星ぁ、ここらじゃ珍しい自由市場(しじょう)なんだ。何でも揃ってるぜ。ヤバイもんだって金さえ積みゃ手に入る」
「しかし自由市場ったって、これぁ・・」
「確かにな、ここは公娼街じゃねえ。だがフリーザだって解ってて見ねえ振りしてるんだ。奴だってこの星の上がりで随分潤ってる」
 物資は人を呼ぶ。人の集まる所に、需要がある。
 ここはそうして出来上がった色街だった。植物をモチーフにしたものだろうか、複雑な曲線を描く建物が連なり、どこか古めかしい雰囲気の街並が再現されているのは、客である男達を(女を主な客とする男娼達は別の区画に囲われていた)日常からスリップさせる大掛かりな装置だ。
「ここの女どもぁ面白えんだぜ。フリーザの持ってる公娼星の連中とは訳が違う」
 あいつら、どうも陰気でいけねえ。件の公娼星に囚われるに至った経緯を考えれば、彼女達が面白おかしく生きて行けよう筈は無いのだが、彼は陽気で威勢の良いここの女たちが気に入りらしい。
「見なよベジータ、あんた注目の的だ」
 ラディッツが、おかしくて堪らないといった調子で背後からベジータに耳打ちした。彼が顎で指し示す方には、中規模の娼館の玄関口でごてごてと派手に着飾った娼婦達がたむろしており、ひそひそと囁き交わしながら一様に彼に視線を送っている。
「坊や!」
 青白い肌に燃えるような赤毛の女が、彼に向かって声を投げた。同時に、女たちがどっと笑い声を上げる。周りで彼女達を値踏みしていた男どもも、彼に向かって次々と下卑た野次を飛ばした。が、同門の軍人と思しき男が装着していたスカウターが突如爆発したのを目にし、彼らはしんと静まり返る。
「汚らわしい」
 額に掛かる前髪がふわりと浮き上がったかと思うと、ベジータの身体がぼんやりと光り出した。爆発しようとする彼のエネルギーに、地面が小刻みに揺れ始めている。
「よ、止せベジータ」
「片付けてやる」
「ベジータ!」
 本気だ。そう悟った二人は慌てた。ただ事ではない様子に、人々が悲鳴を上げて一斉に避難を始める。
「頼む、頼むベジータ、ここにだってフリーザの息が掛かってるんだ。揉め事はまずい」
「さっき言ってたろ、ここは奴にとっても美味い星なんだ。下手すりゃ処刑だぞ!」
「やかましい!」
 ベジータが、取り縋るラディッツを片手で払い除けるような仕草を見せた。同時に、彼の顔の辺りで小さな爆発が起こる。憐れな青年は吹き飛んだが、雑踏に抱きとめられた。大男の下敷きになった人々の悲痛な叫びが辺りに響き渡る。
「何事です!」
 そのとき、通りの一番奥、突き当たった場所にある白い建物のバルコニーから張りのある声が飛んだ。建物の中に避難しようと、それぞれの玄関口に殺到していた娼婦達が動きを止める。ルブさま、ルブさまだ。室内の光に浮かび上がった影を仰いで口々にそう囁き、次々にその場に跪いた。彼らの長いスカートが重なり合って広がり、辺りは色の海になる。
「お客人」
 細長いシルエットがベジータに呼び掛け、ひょいとバルコニーの柵を越えて空(くう)に身を躍らせた。跳んだのだろう。だが飛んだのかもしれないと思わせるほど優雅な様でその人物は着地し、かれらの前に進み出る。
「今の地震は、あなたさまで?」
「だったら何だ」
 どうにもよく分からない。これは男か、それとも女なのか。若いのか、それなりに歳を取っているのか。何もかもが白い。肌も髪も、やっと爪先が見えようかというぞろぞろと長い衣服も。瞳の色は灰色掛かって見えるのだが、何しろ夜の照明の下だ。定かではなかった。
 白い人は、彼を見て一瞬表情を凍らせたが、見間違いだったかと思うほどに素早くその色を塗り込めてしまった。それからベジータの腰に巻かれた尻尾に目を遣り、おお、と声を上げたが、その顔はたった今押し隠したものとはまるで違っている。
「その尻尾、サイヤのお方ですね」
「あんた、サイヤ人を知ってるのか」
 ようやく止んだ揺れに胸を撫で下ろしているナッパの後ろから、ふらつきながらも体勢を立て直したラディッツが割って入った。
「それはもう、よく存じ上げておりますとも。ということは」
 ルブと呼ばれたその白い人物が、ラディッツに向けていた視線を戻してナッパに頷きかけ、それからベジータの方に向き直る。
「あなたさまが、今宵の―」
 お待ち申し上げておりました。ルブは両手を胸の前で重ね、慇懃に腰を折って挨拶した。尻の辺りまである豊かな直毛が―ラディッツより形は大人しいが、量は彼より多いのではないか―肩を滑って垂れ下がる。
「どういうことだ」
 ベジータがナッパを振り返り、きつい調子で質した。
「高くついたんですぜ。白の館で一夜過ごそうと思や、安星一つ買う位じゃ間に合わねえんだ」
「何度も足をお運び頂いたんでございますよ」
 ルブが顔を上げ、労うような調子で言ってナッパの巨体を見上げる。
「なるほど。ここまで膳立てされてたという訳か」
「ベジータ」
 俺は帰る。踵を返し、通りを戻ろうと進み掛けた彼を引き止め、ナッパが彼の腕を引く。
「離せ」
 殺すぞ。振り向いた彼の底光りする目にナッパは怯みかけた。
「ふざけるのも大概にしろ。俺を騙してこんな場所まで引っ張り出したのは、むしろ手柄だったと誉めてやってもいい。単細胞の貴様にここまで出来ようとは思ってなかったからな。しかしこれ以上は我慢ならん」
「あんたを怒らせるのは分かってたさ」
「ほう、いい覚悟だ」
「なあベジータ、聞いてくれ。俺ぁ寂しいんだ。何回誘ってもよ、あんたは『俺はいい』って付き合ってくれねえじゃないですかい。いやわかる、わかってんだ。あんたそういうの嫌いだもんな。だけどよ、もう十五になろうってんだ。十五といやおめえ、あんたの親父さんにゃもう2人側妾がいたって歳でさ。あんたがそんなだと俺ぁ死んだ親父さんに顔向け出来やしねえ。ムカつくのは分かる。今日一回キリでもいいんだ。死んだと思って付き合っちゃもらえませんかね?」
 大きな身体を彼の前に縮めるようにして懇願するナッパに、ベジータはふんと鼻を鳴らす。
「貴様が用意した女と黙って致せと言うのか。バカバカしい」
「お客人」
 再び歩き始めたベジータの背中に、声が掛かる。張りのある、不思議に心地よいその声は、歩を止めさせずにはおかない何かを持っていた。
「ヴァイオラは、あなたさまにお会い出来ますのを心待ちにしておりましたのです。会うだけでも会ってやって下さいませんか」
 


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