薔薇の追憶 (28)

 Gallery  Novels Menu  地下室TOP  目次  Back  Next

 その夜、彼は父の居室に呼ばれた。
 心地良い眠りを妨げられ、彼はすこぶる機嫌が悪かった。寝室に踏み込んできた教育係が常のようにくどくど説教臭い事でも垂れていたなら、鼻の一つもへし折ってやったかもしれない。だがどうしたことか、その夜に限って男はいやに静かで、眠い目をこすりながら回廊を歩く彼に黙ったまま付き従っていた。
『王太子殿下』
 男はいつも、次代の王たる証であるその称号を用いて彼を呼んだ。生まれ落ちたときの異常なまでの戦闘力に、即座に彼は王太子として遇されるようになったのだ。本来は成人に際して正式に決定するが、少なくとも表立ってはその事に異議を唱える者は無かった。
『なんだ』
 二人の番人が、彼らの接近に居室の扉を開こうとしたが、男はそれを押し留め、胸を張って立つ彼の前に跪いた。
『私は、今宵でお暇を頂きます』
『なに?』
『これからは、王陛下の近侍の一人としてお役目を頂戴する事になりました』
『・・ふうん』
 小さな彼に、男は最敬礼の姿勢をとっていた。顔は深く伏せられ、表情は見えない。
『殿下の御世までお役に立てますよう、力を尽くす所存にございます』
『そうか』
『どうかお健やかに、お強く御成長あそばされますよう』
『きさまにいわれなくとも、おれはつよくなる』
『はい』
『たいぎであった。これからもつとめよ』
 彼は跪く男の頭頂を見下ろし、父の口真似をしてみせた。ただそれだけの事だったが、男は何故か顔を伏せたまま言葉を詰まらせた。
『お元気で、殿下』
 閉まり行く扉の向こうから、男が彼の背に言葉を掛けた。彼がちらりと振り返ると、内庭の噴水を背後に、相変わらずの姿勢のままで彼を送る姿があった。
 それが、その男を目にした最後だった。

『来たか』
 控えの前室を抜け、もう一つ扉を潜ると―これは王の近侍二人に固められていた―居室奥の窓の前で背を向けていた父が、彼を振り返った。
『ここへ参れ』
 部屋の中には、父の他に内務大臣がいた。元々面白くもない顔の男だが、その夜の表情にはいつにも増して重苦しい色がある。王に呼ばれて奥へ進む彼に、男が深々と腰を折った。
『御機嫌麗しゅう、王子』
『あいにくだな、きぶんはさいあくだ』
 彼はこの男が嫌いだった。いや本人がというより、その服装だ。靴の先まで隠してしまう白いコートは(というよりマントの一種か)まるで文官のようで、およそ戦士らしさが感じられない。彼はふんと鼻を鳴らし、白い長布の裾を横目で見遣りつつ男の前を通り過ぎたが、さすがに顎を上げて見下すような真似はしなかった。
『もう寝んでおったか』
『そうだ。なにかいいゆめをみていたきがするのに、ベッドからひっぱりだされた』
『そうか。だが大切な話だ、致し方あるまい。夢の一つや二つで文句を申すな』
『たいせつなはなしとはなんだ?』
『参れ』
 父は彼をすぐ側まで招き寄せ、体を屈めて彼の背に腕を伸ばし、窓の方へと静かに押し出した。
『あれを見よ』
 父が指差す彼方に、青紫に光る不気味な星があった。
『知っているか』
『しっている。わくせいフリーザだ』
『ほう、誰に教わった』
『ちちうえだ』
『・・・そうだったかな』
 父が以前、宴席で零していたのだ。今度新しく加わったフリーザの側近は殊更気味の悪い奴だ、あの趣味にだけはついていけん、と。そうして今のように窓の外を指差し、奴は顔色も悪いが趣味も悪い、おまけに星の色まで青ざめている、と側近達と共に散々フリーザを扱き下ろして大声で笑っていた事を、当の本人はすっかり失念しているようだった。
 剣(つるぎ)のように鋭く、獣のように用心深い。
 とは、特に傍近くに侍る側近たちが評した王の一面だったが、父は時々、彼に対してこんなふうにとぼけた言動を披露する事がある。
『まあ良い。ときに王子よ、また腕を上げたらしいな。どこまで伸びるかこの余にも計り知れぬ』
 その言葉に、当然だとばかりふんぞり返る彼を見下ろして父は続けた。
『だがな、世の中にはもっと強い人間がいる』
『おれがこどもだからだろう?おとなになったらフリーザだっておいぬいてやるんだ』
『ふふ、大きく出たな。あそこまで極端ではなくとも、力ある戦士は多いぞ。そなたも惑星フリーザに行けば分かる。あの星には、宇宙のあらゆる場所から猛者が集められているのだ』
『サイヤじんよりつよいのか』
『王子よ、我々は強戦士族だ。そしてそなたは間違いなくその頂点に立つ男となる。どんな事があろうともその誇りを失うな。だが時として、我等のように生まれながらの戦士ではなくとも、種の限界を超えて突出した力を持つ生命体が誕生する事がある。あの星にはそうした精鋭が掻き集められているのだ。フリーザ軍とは、その連中を核に構成された宇宙最強の軍団だ』
 父が低い声で話す言葉は、彼を武者震いさせた。強い者と戦いたい。戦って、勝ちたい。小さな体の中で、誇り高い戦士の血が騒ぎ始める。
『どうだ、行ってみたいとは思わぬか』
 脇に控えた大臣が、こころもち垂らしていた頭を上げて彼らに視線を遣った。彼は大きな口を真一文字に結び、石のように沈黙している。
『実はな、王子よ、フリーザ様がそなたを手元に置きたいと仰せだ』
『おれを?』
『そなたの強さを耳にされて、それほどの逸材ならば是非御自分の手で育ててみたいと仰せなのだ』
『・・・・・』
『かの軍門に入れば、戦う相手には事欠かぬ。日々の実戦がそなたを鍛えてくれよう。訓練の施設もプログラムも、常に最先端のものが用意されている。自分を磨き上げるには最高の環境だ』
 大臣が目を瞑り、苦痛に耐えているかのように眉間を険しくした。ごつごつとした大きな手を、固く握り締めている。
『どうだ、フリーザ様の元へ行くか?』
 彼が首を縦に振ると、父王はゆっくりと、厳(おごそ)かに頷いた。
『それではもう戻って眠れ。明日は忙しくなるぞ』
 控えの間に出て何気なく振り返った彼の目に、男達の姿が映った。大臣は、迎えた時と同様に腰を折って彼を見送っている。その隣、城外からの明りが差し込む窓を背に、父の姿がぼんやりと暗く彼の目に焼き付いた。


 Gallery  Novels Menu  地下室TOP  目次  Back  Next